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15-2 浅草の土地は高すぎる

その日の夜。


場所は、台東区浅草。


観光客の喧騒が消え、静寂に包まれた商店街の一角にある、古びた木造家屋。


一階が店舗、二階が住居となっているその店は、創業六十余年を誇る和菓子処兼甘味茶房――『浅河あさかわ』。


俺、浅河愁の実家である。


閉店後の薄暗い店内で、俺は売れ残りの豆大福を齧りながら、スマートフォンの電卓アプリを叩いていた。


「……引くことの、ドローン三機分の弁償代が……これくらいで、手取りが……よっしゃあ!」


算出された金額を見て、俺はガッツポーズをした。


霧島さんにガッツリ天引きされたとはいえ、残った額だけでも、俺のような貧乏学生にとっては大金だ。


「いやー、さすが国家予算レベルの危機を救っただけはあるな! 霧島さんの鬼天引きがあっても、これだけの額が残るとは!」


俺はニヤニヤが止まらない顔で、向かいの席に座っている詩織に話しかけた。


「なぁ、詩織ちゃん。これだけあれば、当面の生活費は余裕だろ? それに、君の実家の神社の再建資金だって、だいぶ近づいたんじゃないか?」


詩織は、閉店後の店内で俺に付き合ってくれている。


彼女の前には、すっかり冷めきった紅茶が置かれていた。


俺の浮かれ気分とは対照的に、彼女の表情は暗い。いや、暗いというよりは「無」に近い。


彼女はスマートフォンの画面を食い入るように見つめたまま、ピクリとも動かなかった。


「……愁さん」


「ん? どうした? もしかして、もっと高いドローンを壊してたとか?」


「違います。……愁さんは、ここ……浅草の『坪単価』をご存知ですか?」


「つぼたんか?」


俺は首を傾げた。


和菓子の単価なら知っているが、土地の値段なんて考えたこともない。


「さあ……。まあ、観光地だし、そこそこ高いんじゃないか? 郊外の倍くらいとか?」


「……倍、ですか」


詩織は自嘲気味に笑うと、スマートフォンをテーブルの上に滑らせた。


画面には、大手不動産情報サイトが表示されている。


検索条件は『台東区・浅草エリア』『土地』『所有権』。


「見てください。これが、かつて私の実家……『玄夜げんや神社』があった場所の、現在の公示価格です」


「えーと、どれどれ……」


俺は画面を覗き込んだ。


そこには、更地になった土地の販売価格が表示されていた。


マンション用地として売り出されているその土地の価格欄には、数字が羅列されている。


「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん……」


俺は指で桁を追った。


そして、途中で指が止まった。


「……え?」


見間違いかと思って、もう一度数え直す。


いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、せんまん……いちおく……。


「……じゅう、おく……!?」


俺の声が裏返った。


10億。


いや、細かい数字を含めると、もっと上だ。


今回のボーナスなんて、消費税の端数にもならないような、天文学的な数字がそこにあった。


「う、嘘だろ……? ただの土地だぞ!? なんでそんなに高いんだよ!」


「これが現実です、愁さん」


詩織は、冷めた紅茶を一口啜り、淡々と言った。


「浅草は、今や世界的な観光地です。インバウンド需要、再開発、及ぶところを知らない地価高騰……。この一帯は、東京でも有数のブランドエリアになってしまいました」


彼女はスマホを回収し、画面を愛おしそうに、しかし悲しげに撫でた。


「私たちが命がけで手にした『ボーナス』なんて……この街では、土地を買うための『手付金』にもなりません。マンションの一室を買うのがやっとです。……神社を再建するための広大な土地を買い戻すなんて、夢のまた夢なんです」


俺は言葉を失った。


妖怪や悪霊となら戦える。


だが、「不動産相場」という名の怪物は、あまりにも巨大すぎた。


俺たちの勝利も、命がけの労働も、この街の経済のうねりの中では、砂粒ほどの価値しかないのか。


「……世知辛ぇ話だな、オイ」


俺が天井を仰いでいると、脳内で今まで黙っていた玄さんが、不機嫌そうに声を上げた。


(ケッ。まったく、嫌な世の中になったもんだぜ)


玄さんの声には、怒りと、それ以上の呆れが混じっていた。


(昔は、ワシらが一肌脱いで街を守ってやりゃあ、旦那衆が酒と飯を振る舞ってくれた。土地なんざ、殿様か寺社奉行が認めてくれりゃあ、それで済んだもんを)


(今は令和なんだよ、玄さん。土地は金で買うもんだ)


(……だがよ、小僧。妙だと思わねえか?)


玄さんの口調が、ふと鋭くなった。


(妙って?)


(神社ってのは、そう簡単に潰れるもんじゃねえ。江戸の昔から、あの手の場所は『聖域』として守られてきた。税金だって優遇されてるはずだ。……それを、借金のかたに土地ごと奪われるなんざ、よっぽどのことがねえとありえねえ)


ハッとした。


言われてみればそうだ。


宗教法人は税制面で優遇されているし、境内地は固定資産税がかからない場合も多いと聞く。


詩織の父親が病気で入院費がかさんだとはいえ、先祖代々の土地をすべて手放すほどの借金が一気にできるものだろうか?


俺は、スマホを見つめて沈んでいる詩織に、恐る恐る尋ねてみた。


「なぁ、詩織ちゃん。……ちょっと聞きづらいんだけどさ」


「はい?」


「そもそも、なんで神社を手放すことになったんだ? ほら、神社って簡単には売れないし、税金だってかからないはずじゃ……」


その問いかけに、詩織の肩がピクリと跳ねた。


彼女はゆっくりと顔を上げ、俺を見た。


その瞳には、不動産サイトを見ていた時の絶望とは違う、もっと生々しい「悔しさ」の火が宿っていた。


「……普通の借金なら、何とかなったかもしれません」


「え?」


「父は……騙されたんです」


詩織は、ギリリと拳を握りしめた。


「ただの借金じゃありません。……巧妙に仕組まれた、土地乗っ取りのスキームだったんです」

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