14-9:帰還(エピローグ)
(場所:地下室・特殊事案対応室)
「……っ、ガハッ!!」
水底から一気に浮上したような、猛烈な虚脱感。
俺(愁)は、椅子の上で大きくのけぞり、肺一杯に現実の空気を吸い込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
視界がチカチカする。
鼻をつくのは、あの焦げ臭い江戸の腐臭じゃない。
冷却ファンの回る乾いた風と、埃っぽい地下室の匂いだ。
(戻って……きた……?)
俺は、頭に被っていた「霊的デバイス(ヘルメット)」を、震える手で引き剥がした。
重い。鉛のように重い。
それを床に落とすと同時に、俺の身体も、糸が切れたように座席から崩れ落ちた。
「愁さん!!」
ドンッ、と床に倒れ込む俺を、誰かが必死に抱き止めた。
「……し、詩織……?」
薄目を開けると、そこには、涙でぐしゃぐしゃになった詩織の顔があった。
いつも冷静沈着なエリート巫女の、見たこともないような乱れた表情。
「無茶苦茶です……! 本当に、貴方って人は……!」
詩織は、俺の胸元をギュッと掴み、震える声で、それでも精一杯の“プロ”としての言葉を絞り出した。
「……お疲れ様です、愁さん」
「そして……初仕事、ご苦労様でした、玄様」
その言葉を聞いて、俺の脳内で、玄さんが「フン」と照れくさそうに鼻を鳴らすのが分かった。
(悪くねえ仕事だったぜ、相棒)
「……ああ、キツかったな」
俺が苦笑いして体を起こそうとすると、もう一人、小さな手が俺の背中を支えてくれた。
「……愁さん」
「亜美……! 気がついたのか!」
そこには、まだ顔色は蒼白だが、しっかりと自分の目を取り戻した亜美がいた。
彼女は、俺の腕を両手で包み込み、ポロポロと涙をこぼしながら、何度も頷いた。
「ありがとうございます……。あの時、愁さんの声が聞こえて……玄さんの背中が見えて……」
「私、怖くなかった。……本当に、ありがとうございました……!」
「よせよ。……お前が助けてくれたんだぜ、俺たちを」
俺は亜美の頭をポンと撫でる。
その温もりは、確かに生きていた。
俺たちが守り抜いた「命」の温かさだ。
(場所:大手町・金融中枢ビル周辺 & 地下室モニター)
『――臨時ニュースです! 先ほど、大手町上空の不気味な暗雲が急速に消滅しました!』
『都内全域で停止していたATM、および金融システムが、順次復旧し始めています!』
壁の大型モニターから、興奮したアナウンサーの声が響く。
画面の中、あんなに禍々しかった黒い空が嘘のように晴れ渡り、朝日がビル街を照らし始めていた。
株価ボードの数字も、正常な値に戻り始めている。
「……ふぅ」
コンソールデスクに腰掛けていた霧島さんが、タバコ(電子ではなく、葉巻のような匂いのするもの)に火をつけ、深く紫煙を吐き出した。
「ギリギリだったな。……だが、結果が全てだ」
「ボーナス査定に色をつけておいてやる。感謝しろ」
「へいへい……期待してますよ、課長」
俺はふらつく足で立ち上がり、モニターを見上げた。
そこには、制圧部隊によって後ろ手に拘束され、連行されていく「黒幕」の姿が映し出されていた。
ボロボロのコート。うなだれる頭。
完全な敗北者の姿だ。
だが。
その男が、パトカーに押し込まれる直前。
ふと、カメラ……いや、俺たちの方を振り返った気がした。
俺の「聴覚」ではない。
俺の中にいる「玄」の感覚が、男の唇の動きと、そこに乗った微かな「思念」を捉えた。
『……勘違いするなよ、鬼神』
男の唇が、ニヤリと歪んだ。
『“組織”は……俺一人ではない』
ゾクリ。
背筋に冷たいものが走った。
その呟きは、勝利の余韻を切り裂く、不吉なノイズのように俺の鼓膜にこびりついた。
(……玄さん、聞こえたか?)
(……ああ)
脳内で、玄さんの声が低く響く。
(あいつは“捨て駒”に過ぎねえってか。……ケッ、上等じゃねえか)
(終わっちゃいねえんだな、まだ)
俺は拳を握りしめた。
ATMは直った。空は晴れた。
だが、「現代」の影に潜む「江戸」は、まだこの街のどこかに潜んでいる。
「愁さん? どうしました?」
詩織が不思議そうに俺の顔を覗き込む。
俺は、その不安そうな顔を見て、意識してニカッと笑ってみせた。
「いや……なんでもない」
「さあ、帰ろうぜ! 腹減って死にそうだ!」
「もう……! 緊張感がないんですから!」
「ふふっ……愁さんのお腹の音、聞こえました」
詩織が呆れ、亜美が笑う。
地下室の重い扉が開く。
その向こうには、眩しいほどの朝日と、俺たちが守り抜いた「ありふれた日常」が待っていた。
俺と玄さんの「現代呪術(お仕事)」は、どうやら、ここからが本番らしい。
(行くぞ、小僧! 次の“依頼”が待ってるぜ!)
(ああ……頼むぜ、相棒!)
俺たちは、光の中へと歩き出した。
【第1部・大手町テロ編 完】




