2-2:現代の“恨み”
「……そもそも、なんで今さら、そいつは目覚めたんだよ」
俺が床に突っ伏してうめいていると、詩織が静かに口を開いた。
「神社が、取り壊されたからです」
詩織は、部屋の片隅にある小さな神棚に視線を移す。
そこには、小さな木箱が一つ、置かれていた。
「玄夜神社には、古くから『恨み箱』と呼ばれる箱が置かれていました。法では裁かれぬ理不尽な仕打ちを受けた者が、その恨みを紙に書いて投函する箱です」
「……」
「玄様は、その恨みを糧とし、そして時折、その恨みを晴らしてきた……と、我が家には伝わっています」
『まぁ、平たく言やぁ“仕事”だな』
玄が補足する。
『恨みを聞き届け、悪党を闇に葬る。俺ぁ、そういう商売よ』
「詩織……あんたの家系は、そいつの“仕事”を手伝ってたのか?」
「……私たちは、あくまで封印の監視役です。玄様が暴走せぬよう、その力を鎮め、祀り上げるのが役目でした。ですが……」
詩織は、悔しそうに拳を握る。
「神社が、あの『ガイアフロント』社によって強引に取り壊され、御神木まで伐採された。それによって、玄様を抑えていた封印が、完全に解けてしまったのです」
「……」
自業自得、とは言わねぇけど。
つまり、俺が憑依されたのは、こいつらの管理ミスってことか?
「じゃあ、もう『恨み箱』もねぇんだから、そいつの出番もねぇだろ。大人しく俺ん中でお眠りくださいってんだ」
俺がそう言うと、詩織は静かに首を横に振った。
「いいえ。形は変われど、『恨み箱』は今もあります」
「は?」
「現代の『恨み箱』は……これです」
詩織はそう言って、俺のズボンのポケットから、勝手にスマホを抜き取った。
(いつの間に!?)
「ちょ、勝手に見んな!」
「ロックを解除してください」
「なんでだよ!」
『いいからやれ、小僧。こいつはテメェの言う“スマホ”とやらに詳しい』
玄にまで急かされ、俺は渋々、指紋認証でロックを解除した。
詩織は、慣れた手つきで俺のスマホを操作する。
ブラウザを開き、真っ黒な背景の、怪しげなURLを打ち込んだ。
「これは……?」
「玄夜神社の、裏サイトです。表向きは神社の由来を記しただけのサイトですが……特定の操作をすると、ここに入れます」
そこは、ネットの最深部にある、電子の『恨み箱』だった。
画面には、無数の書き込みが、怨嗟の声となって溢れていた。
『SNSの投資詐欺で、母が全財産を失いました。犯人は海外に逃げたまま。警察は動いてくれません。誰か、あいつを地獄に落として』
『兄がブラック企業で過労自殺しました。会社は「本人の自己管理不足」の一点張り。労基署も証拠不十分で……。あの社長を、許せない』
『娘が、ストーカーに……。法は、あいつをたった数年で出所させる。なぜだ』
「……なんだよ、これ」
背筋がゾッとした。
どれも、テレビのニュースで聞くような、だが、法では裁ききれない、現代のリアルな「恨み」だった。
『フン。どの時代も、やることは変わらねぇなぁ、人間ってヤツは』
玄が、心底つまらなそうに吐き捨てる。
「警察に言えばいいだろ! こんな裏サイトに書いてねぇで!」
「警察が動けない“恨み”だから、人々はここに集うのです」
詩織は、俺をまっすぐに見据えた。
「浅河愁さん。玄様が目覚めたのは、偶然ではありません。この時代が、この東京が、神の力を必要とするほど『恨み』に満ちているからです」
「……」
「そして、玄様はあなたを選んだ。……それが、現実です」
俺は、スマホの画面に並んだ、おびただしい数の「恨み」の文字列から、目をそらすことができなかった。




