第11章:地下遺跡の“共闘”と大手町の“本命” 江戸の“呪層”と二つの戦場1
11-1:落下地点
ゴフッ、と肺から空気がすべて絞り出された。
(クソッ、全身が……痛ぇ……!)
俺は、瓦礫の山に背中から叩きつけられていた。薄暗い。埃と、湿ったカビの匂いが鼻をつく。
まず確認したのは、腕の中の温もりだ。
「亜美! 亜美、しっかりしろ!」
抱きかかえたまま落下した亜美は、ぐったりとして意識がない。
呼びかけに応じず、荒い呼吸だけを繰り返している。
(詩織か……! あの規模の結界を維持したんだ、当然かよ!)
俺が歯を食いしばっていると、数メートル先で、いち早く体勢を立て直した声が響いた。
「愁さん! ご無事ですか!?」
「俺は平気だ。だが、亜美が……!」
詩織はすでに立ち上がり、周囲を警戒している。さすが、場数を踏んでいるエリート巫女だ。俺なんかよりよっぽど冷静だった。
俺はゆっくりと周囲を見渡す。
そこは、想定していたビルの地下駐車場などではなかった。
湿った土の匂いが、コンクリートの粉塵に混じって鼻を突く。
目の前には、古い石垣が不気味な文様のように壁を形成していた。
見上げれば、崩落した天井の穴。そこから、ビルの基礎であろう鉄骨コンクリートの残骸が、牙のように突き出している。
(ビルの基礎工事で見つかった『江戸時代の遺跡』か……!)
都内の再開発ではよくある話だ。だが、ここは様子が違った。
足元には、干上がった池の跡のような巨大な窪みがある。
そこから、強烈な呪いの残滓が、淀んだ湯気のように立ち上っていた。
「――ようこそ、鬼神」
声は、上から降ってきた。
ハッと見上げると、瓦礫が積み上がった一番高い場所。
そこに、あの黒いコートの男が悠然と立っていた。
落下した穴から差し込むわずかな都市の明かりが、そのシルエットを不気味に照らしている。
「ここがお前たち“旧世代”の墓場だ。江戸が遺した、呪いの溜め池さ」
男は、まるで美術館の展示を説明する学芸員のように、楽し気に語る。
「テメェ……! 亜美に何をしやがった!」
「俺は何も。勝手に霊力を使い果たして自滅しただけだろう? あの娘は」
ククッ、と喉の奥で笑う男に、俺の中の何かがキレそうになる。
俺は意識のない亜美をそっと横たえ、自らも立ち上がろうとする。
だが、その前に詩織が動いた。
「愁さんは亜美さんを! ここは私が!」
詩織は即座に俺と亜美の前に立ち、懐から五枚の御札を抜き出す。
白く清浄なはずの御札が、この空間の呪気に反応して、バチバチと青白い火花を散らしている。
「貴様、何者ですか! なぜ大手町を狙う!」
詩織の鋭い問いかけ。
それに対し、黒幕は、心底おかしそうに肩を揺らした。
「ハッ。まだ状況が分かっていないらしい。大手町? ああ、もうすぐ始まる『本番』のことかな?」
「本番だと……?」
(まさか、これだけの騒ぎを起こしておいて、まだ何かあるっていうのか!)
その最悪の予感が的中した瞬間。
俺が装備していた会社の旧式インカムが、激しいノイズを発した。
11-2:二元中継(霧島サイド)
『ザーッ! ……シュ……! 聞こえるか、鬼神! 愁!』
ノイズ混じりの声。
このクソ上司、忘れたくても忘れられない! 霧島さんだ。
「霧島さん!? クソッ、どういう状況だ!」
『こっちのセリフだ、バカ者が!』
インカムから響くのは、いつもの嫌味な口調ではなく、本気で焦った怒声だった。
『クソッ、陽動(アジト強襲)に釣られた! あのビルはただの囮だ!』
「何だって!? じゃあ、本命は!」
『大手町だ!』
霧島さんの叫びに、俺は息をのむ。
『金融システムの中枢サーバー群が、原因不明の“霊的汚染”でダウンし始めている!』
「霊的汚染……? まさか、あの黒い靄は、物理的なサーバーだけでなく、ネットワーク(霊的経路)を通じても拡散するのか!」
(だとしたら、ヤバすぎる。現代のインフラはすべて、あの“呪い”の餌食だぞ!)
『このままでは、明朝の株式市場が開かない! いや、それどころじゃない……日本経済が、止まるぞ!』
(日本経済が、止まる)
その言葉の重みが、ズドンと腹に落ちてくる。
俺は、目の前の黒幕と、腕の中でか細い息をつく亜美に視線を落とす。
「こっちも地下に落とされた! 敵は目の前にいる! だが、亜美が……!」
俺がそう叫んだ瞬間。
霧島の声が、一瞬、冷静さを取り戻した。
いや、非情な決断を下した後の、冷え切った声だった。
『――その娘(亜美)は捨てろ!』
「……は?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
インカムのノイズが、まるで俺の混乱を笑うかのように響く。
『お前は鬼神だ! 日本経済と一人の少女(仲間)、どちらが重要か分かるだろう!』
『今すぐ大手町へ――』
ザザザーッ!!
激しいノイズが、霧島さんの命令をかき消した。
「待ってくれ、霧島さん! 亜美を捨てろって、どういう……!」
『……ピーッ……ザー……』
通信は、最悪のタイミングで、完全に途切れた。
「…………」
静寂が戻る。
いや、静寂ではない。
この呪いの溜め池の底から、ジワジワと溢れ出す怨嗟の声が、耳鳴りのように響いている。
「ククク……ハハハ! 聞いたか、鬼神!」
瓦礫の上から、黒幕の高笑いが降ってくる。
「それが『会社』だ! それが、お前たちが守ろうとしている『世界』の答えだ!」
「仲間を見捨て、経済を守れ。素晴らしいじゃないか! 感動的だ!」
「……うるさい」
「ん?」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
意識のない亜美の前に、守るように立ち塞がる。
「うるさいっつってんだよ、三下がァ!!」
ドォンッ!
俺の身体から、蒼い霊気が炎のように立ち上る。
地下の淀んだ空気が、俺の怒りに反応して激しく渦巻いた。
「愁さん!? 落ち着いてください! 霊力を一気に解放すれば、この呪層に当てられます!」
詩織の警告も、今の俺には届かない。
(亜美を捨てろ? ふざけるな)
(大手町がどうなろうと知ったことか)
(俺は、目の前の仲間一人、救えねえのかよ!)
「いいぞ、もっと怒れ。旧世代の『力』、見せてみろよ」
黒幕が、スッと右手を掲げる。
その余裕綽々な態度が、さらに俺の神経を逆なでした。
「だが、お前たちの戦場は、ここじゃない」
「なに?」
「お前たちは、大手町(本命)にも、ここ(俺)にも、間に合わない」
黒幕は、残酷な事実を宣告するように、冷たく言い放った。
「――ここで、ゆっくりと『旧い呪い』に飲まれて死ね」
パチンッ。
男が指を鳴らした瞬間。
ゴゴゴゴゴ……!
足元の「呪いの溜め池」が、まるで意思を持ったかのように、黒い泥状の「何か」を噴き上げ始めた。
「怨霊の集合体!? まさか、江戸百万人(当時の人口)の負の感情を、ここで凝縮させていたのですか!」
詩織が絶望的な声を上げる。
(チッ……! こいつら、雑魚だが数が多すぎる!)
黒い泥は、次々と人の形をとり、ゾンビのように俺たちに襲い掛かってくる。
その数は、十や二十どころじゃない。百? 千?
この溜め池が干上がるまで、無限に湧き出てくる気かよ!
「じゃあな、鬼神。せいぜい、仲間を守りながら足掻くんだな」
黒幕は、瓦礫の影にスッと消えていく。
「待てェ!」
追いかけようとする俺の足に、泥の腕が何本も絡みつく。
「クソッ、離しやがれ!」
二つの戦場。
一つは、霧島さんが死守しようとしている、日本経済の中枢、大手町。
もう一つは、江戸の呪層に封じられた、この絶望的な地下空間。
俺は、意識のない亜美と、巫女(詩織)と共に、完全に「詰み」の状況に叩き込まれていた。
(どうする……どうするゃいいんだよ、クソったれ!)
俺のインカムが、霧島さんの声の代わりに、虚しいノイズを吐き出し続けていた。




