8-5:フラッシュバック(玄(げん)の“負(お)い目(め)”) 玄(げん)が放(はな)った「御庭番(おにわばん)の末裔(まつえい)か!」という叫(さけ)び。
その言葉が、まるで呪文の引き金だった。
ゴオオオオオオッ!!
金縛りにあった俺の意識に、玄の記憶――いや、「感情」そのものが、濁流のように叩き込まれた。
それは、何百年も熟成された、「無念」と「悔しさ」の塊だった。
視界が、白と黒に染まる。
俺の意識は、精神世界から、さらに深く――玄の生前の、あの江戸の闇へと引きずり込まれていく。
【回想】 ――雨だ。
冷たい雨が降る、江戸の夜。
浅草の裏長屋、玄の隠れ家の土間に、ボロボロの男が一人、這いつくばっていた。
高価だが泥にまみれた忍び装束。その男が、ただのチンピラではないことを示している。
「……頼む……! “鬼神”の玄殿!」
男は、血反吐を吐きながら、床板に額をこすりつけた。
「我ら公儀御庭番の……無念を……! あの悪徳役人、『土御門 景明』を……討って、くれ……!」
男――霧島の先祖と、その仲間たちは、幕府転覆を狙う呪術師・土御門の陰謀を追っていた。
だが、返り討ちに遭い、仲間は皆殺しにされた。
この男だけが、噂で聞いた闇の“仕事人”玄の元へ、最後の望みを託しに来たのだ。
「……テヤンデェ」
胡座をかき、キセルを吹かしていた玄(まだ生身の人間だ。鋭い目つきは今と変わらない)は、冷たく煙を吐き出した。
「ふざけたことを抜かすな。御庭番なんざ、日向を歩く公儀の犬。俺たちみてぇな“裏稼業”の人間を、散々(さんざん)嗅ぎ回って殺めてきたお仲間だろうが」
玄の仲間にも、御庭番に消された者は多い。
今更、その犬から助けを乞われるなど、反吐が出る。
「テメェら“公儀”の揉め事に、“闇”のワシらを巻き込むんじゃねえ」
玄は、キセルを灰皿に叩きつけた。
「日向の犬は、日向で死にな。帰れ」
「そ……そんな……!」
御庭番の男は、絶望に顔を歪ませたまま、雨の夜へと消えていった。
だが、数日後。
事態は変わった。
「玄のアニキ! 大変だ! 浅草の『おとわ(おとわ)』が、両国の役人屋敷に連れていかれた!」
『おとわ(おとわ)』は、玄が可愛がっていた、団子屋の看板娘だった。
例の悪徳役人・土御門が、自らの呪術の「贄」として、手当たり次第、庶民の娘を攫い始めたのだ。
玄の縄張り(シマ)である、浅草の庶民たちにまで、手を出した。
ピキリ、と玄のこめかみに青筋が浮かんだ。
「……チィッ! あの外道野郎、調子に乗りやがって。ワシのシマまで荒らすとは、許せねぇ」
(……あの御庭番の小僧が言ってた「恨」も、浅草の連中の「恨」も……根は同じ、土御門か)
玄は、音もなく立ち上がり、壁に掛けてあった得物(今の「黒蓮華」の原型である、仕込み簪)を懐にしまった。
「……仕方ねぇ。あの犬の依頼は癪だが、ついでだ。どっちもまとめて、晴らさせてもらうぜ!」
【回想・決戦】 その夜、両国の土御門屋敷は、血の海に沈んだ。
嵐の轟音に紛れ、玄は単身、屋敷に忍び込んでいた。
「――闇の“鬼神”か。公儀の犬の仇討ちに来たか?」
屋敷の奥、呪詛の祭壇の前で、ボス・土御門 景明が、不気味に笑った。
「どっちもだ! テメェの悪事ごと、闇に沈め!」
激戦だった。
土御門が放つ「式神」や「呪詛」の刃が、玄の生身の体を斬り裂く。
だが、玄もまた、その攻撃を掻い潜り、懐に入り込む。
「――貰った!」
相討ち覚悟で飛び込んだ玄の簪が、土御門の喉を深々(ふかぶか)と貫いた。
「が……はっ……!」
土御門が崩れ落ちる。
だが、彼も最後の力を振り絞り、玄の腹に、呪詛を込めた短刀を突き立てていた。
「ぐ……っ!」
玄は、深手を負った体を引きずり、屋敷の残党の追撃から、命からがら逃れた。
(……クソッ……!)
雨の中、血を流しながら、なじみの地である浅草へ。
そして、彼のねぐらでもあった「玄夜神社」の、デカい神木の前まで辿り着いた時。
玄の足は、ついに止まった。
(……チクショウ……。ボスは殺ったが……)
(一味の残党は……まだ、ごまんと残ってやがる……!)
(あの御庭番の小僧の「恨」も……)
(『おとわ(おとわ)』を……浅草の連中の「恨」も……!)
(まだ、晴らしきれてねえ……!)
(こんな……こんな所で……死ねるかよ……!)
その、あまりに強すぎる無念と執念が、絶命した玄の魂を、この世に縛り付けた。
黒いオーラが溢れ出し、魂は「鬼神」へと変貌し、暴走しかける。
「――哀れなる、強き魂よ」
そこへ、当時の玄夜神社の宮司――詩織の先祖――が、祝詞を唱えながら現れた。
「その無念、御霊として此処に鎮まれ……!」
神木に吸い込まれるように、玄の意識は、長い封印の闇へと沈んでいった。
【回想終了】 ……ハッ!
俺の意識は、一気に精神世界へと引き戻された。
金縛りは解けていない。
だが、今のフラッシュバックで、俺の胸は、玄のものなのか、自分のものなのか分からない、「強烈な悔しさ」と「負い目」で、張り裂けそうになっていた。
(そうか……玄さんは……)
(霧島さんの先祖の依頼を、一度は断り……)
(挙句、(ボスは倒したが)結果的には、中途半端に失敗して、死んじまったんだ……!)
だから、あの末裔である霧島に対して、強い「負い目」と「苛立ち」を感じていたのだ。
俺は、俺の同居人が抱える、何百年越しの業の深さを、ようやく理解した。




