8-3:上司(じょうし)の“お声(こえ)がけ” その日(ひ)の夕方(ゆうがた)。
終業時刻が近づき、地下の「特殊事案対応室」も、心なしか空気が緩んでいた。
剛田さんはプロテインをシェイクし始め、ケビンは(仕事のフリをしながら)オカルト系の動画サイトを見ている。
俺も、今日一日、霧島の視線に晒され続け、精神的に疲れ果てていた。
(……早く帰って、詩織と昨日の“恨み”の件、詰めねぇと)
そんなことばかり考えながらPCの電源を落とそうとした、その時。
「――お疲れ、浅河くん」
音もなく、霧島が俺の背後に立っていた。
(うわっ!?)
『チッ!』
俺と玄が、同時にビクッと反応する。
霧島は、俺のそんなリアクションを楽しむように、ふらりと近づくと、俺のデスクに手をついた。
顔と顔が、嫌な近さだ。
「あの、霧島さん……? 俺、もう終わりですけど」
「ああ、知ってる。だが、その前に」
霧島は、笑顔のまま、声のトーンを一段落とした。
「浅河くん。昨日の“ヌシ”の件だが、報告書に不備がある」
「え……(不備? あんなデタラメしか書いてねぇ報告書に、今更何の……)」
「君が倒した“アレ(あれ)”の残骸サンプル、回収し忘れてるだろ?」
「……!」
「まぁ、立ち話もなんだ。――ちょっと、“話”をしようか」
霧島が、ポン、と俺の肩に手を置いた。
カジュアルな上司が、部下の肩を叩く、よくある仕草。
だが。
「――ッ!?」
手が触れた瞬間。
冷たいとか、熱いとか、そんなチャチなもんじゃなかった。
ぐにゃり。
俺の意識が、歪んだ。
視界が、まるで水の中から景色を見ているように揺らぎ始める。
ケビンのタイピング音が、剛田さんのシェイカーの音が、急速に遠のいていく。
『小僧ッ! こいつ、何をしやがった!? 意識を持って行かれるぞ!』
玄の焦った声も、ノイズ混じりに聞こえる。
俺の精神が、霧島の手に掴まれ、強引に現実から引き剥がされようとしていた。




