1-3:鬼神、目覚める
「……」
それは、黒い影だった。
いや、影というより、濃すぎる「闇」そのものだ。
ぼんやりと人型をしているが、目も鼻も口もない。
ただ、そこに「いる」という圧倒的な存在感だけが、俺の皮膚を粟立たせる。
『――見つけた』
「ひっ!?」
声が、頭に直接響いた。
さっき喫茶店で聞いた、ドスの効いた男の声。
『フン。随分とまぁ、鬱屈してやがるじゃねぇか』
影は、俺を品定めするように、ゆっくりとフェンスに近づいてくる。
物理的なフェンスなんて、そいつには何の意味もなさない。
スリ抜けるように、影は俺の目の前に立った。
デカい。
見上げているわけでもないのに、見下ろされているような威圧感がある。
『その若さ。その体力。そして、その胸に溜まった澱……』
影の手が、ゆっくりと俺の胸に向かって伸びてくる。
「や、やめろ! こっち来んな!」
俺は恐怖で叫び、尻餅をついた。
だが、影は止まらない。
『極上の“器”だ。――貰い受けるぜ!』
「うわあああああああ!」
ドンッ!
腹に冷たい氷塊を叩き込まれたような衝撃。
黒い影が、俺の体に、文字通り突っ込んできた。
「がっ……あ……!」
息ができない。
全身の血が、一瞬で凍りついたみたいだ。
寒い。寒い。寒い。
意識が急速に遠のいていく。
(死ぬ……のか、俺……)
就活失敗した挙句、こんな意味わかんねぇヤツに殺されるとか、最悪すぎるだろ……。
俺の意識がブラックアウトする、その直前。
「――そこまでです!」
凛とした、少女の声が響いた。
誰だ?
薄れゆく視界の端に、誰かが駆け寄ってくるのが見えた。
黒いセーラー服。
でも、袖口や襟元が、どこか巫女さんの装束みたいになっている、不思議なデザインの服だ。
腰まで伸びた、濡れたような黒髪。
月明かりに照らされたその顔は、人形みたいに整っていた。
クールビューティーってやつだ。
「間に合わなかった……! 鬼神様の封印が、解けてしまったのですね……!」
少女は、悔しそうに唇を噛み締めている。
鬼神? 封印?
訳が分からないまま、俺の意識は、完全に闇に沈んだ。




