26-4:弾切れの危機
ジュババババババッ!!
空を覆う8つの首から、豪雨のように降り注ぐ強酸の粘液。
それは攻撃というより、もはや災害だった。
「チッ、しつこい害虫め!」
運転席の霧島は、舌打ちと共にハンドルを強引に切った。
大型トラックが巨体をきしませ、スラローム走行で酸の雨を回避する。
だが、相手は50メートル級の怪物だ。攻撃範囲が広すぎる。
ジュウウッ!!
「しまっ……!」
回避しきれなかった酸の塊が、トラックの左後輪を直撃した。
破裂音などない。
分厚いゴムタイヤが一瞬でドロドロに溶解し、ホイールが剥き出しになってアスファルトを削った。
ガガガガガガッ!!
車体が大きく傾き、激しい振動が襲う。
「きゃああっ!?」
「っとぉ!」
荷台の上の亜美が悲鳴を上げ、俺は手すりに足を引っ掛けて何とか耐える。
スピードが落ちる。
毒龍の追撃が迫る。
『ハハハ! 足が止まりましたねぇ! そのトラックごと溶かしてあげましょう!』
毒海の狂った哄笑と共に、複数の首が鎌首をもたげ、次なるブレスの充填を始めた。
「霧島さん! マズいです!」
助手席でモニターを監視していた詩織が、悲痛な声を上げた。
「聖水の残量……もう半分を切りました! 残り40%です!」
「何だと?」
「相手が大きすぎます! 放水しても、浄化する端から新しいヘドロが供給されて……キリがありません! 全身を固めるなんて不可能です!」
絶望的な報告だった。
俺たちの武器は「聖水」による凝固作用だ。
だが、相手は隅田川そのものを吸い上げ、無限に再生・巨大化するバケモノ。
数トンのタンク車といえど、川の水量に比べればコップ一杯の水に過ぎない。
このまま撃ち合えば、先に弾切れを起こすのは明白だ。
「ジリ貧かよ……!」
俺は歯噛みした。
タイヤは潰れ、弾も尽きかけ、逃げ場はない。
完全に詰みだ。
(……いや、待てよ)
その時、俺の中で玄さんがニヤリと笑った。
(小僧。喧嘩の鉄則を忘れたか? 相手がデカくて硬え時はどうする?)
「……決まってらぁ」
俺は、揺れる荷台の上で、ゆっくりと立ち上がった。
風圧と酸の臭いが鼻を突く。
だが、俺の目は、巨大な毒龍の威容に怯んでなどいなかった。
「デカくて倒せねえなら……急所をブチ抜くだけだ」
俺は、運転席の屋根をバンバンと叩いた。
「おい霧島さん! 詩織! 作戦変更だ!」
「なんだと?」
霧島がバックミラー越しに俺を睨む。
「チマチマ全体を洗ってる余裕はねえ! ……狙うのは一箇所。奴の“コア”だけでいい!」
「コアだと? この巨大な肉塊のどこにあると言うんだ」
「それを探すための“耳”だろうが!」
俺は、荷台の隅で震えていた亜美の手を引いた。
「亜美! 立てるか!」
「う、うん……!」
亜美は、顔色は悪かったが、しっかりと自分の足で立った。
彼女はヘッドホンを両手で強く押さえ、五感を研ぎ澄ませていた。
「聞こえるか、亜美。……あの汚ねえヘドロの山の中に、一つだけ違う音が混じってるはずだ」
さっき、毒海は言っていた。
『第3の杭』を取り込んだ、と。
ならば、その杭こそが、この無限再生を支えている心臓部だ。
「探せ! あのバケモノの心臓を!」
「……やってみる!」
亜美は目を閉じ、意識を集中させた。
轟音。爆音。酸が弾ける音。
戦場のあらゆるノイズを脳内でフィルタリングし、排除していく。
ドクン……ドクン……。
聞こえる。
泥の流れる音じゃない。
もっと硬質で、禍々しく、そして吐き気がするほど不快なパルス音。
亜美のカッとした目が開かれた。
彼女は、毒龍の群れの中央、最も太く巨大な首を指差した。
「……見つけた!!」
亜美の叫びが、戦場に響き渡る。
「真ん中の首! ……その喉の奥!!」
「すごく汚い音がする! ……そこに、『杭』がある!!」
そこか!
俺は、中央の首を睨み据えた。
毒海が埋まっている額の下。
大きく開かれた口腔の奥底。
そこが、この地獄を生み出している元凶だ。
「聞いたな、詩織!」
俺は木刀――霊刀・阿修羅を抜き放ち、切っ先を天に向けた。
「残り全ての聖水を、その一点に絞れ!」
運転席の霧島が、瞬時に意図を理解し、不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど。……散弾ではなく、スラッグで貫くか」
霧島は、アクセルを踏み込み、傾いた車体を無理やり安定させた。
「詩織。……リミッターを解除しろ。ノズルの絞りを最大まで狭めろ」
「は、はい!」
「愁のために……“道”を作れ」
詩織が、覚悟を決めた顔で頷く。
彼女はコンソールを操作し、放水銃の設定を「拡散」から「収束」へと切り替えた。
「圧力、最大! 霊力充填率120%!」
トラックのタンクが、今まで以上に激しく青白く発光する。
残った全ての聖水と、詩織の霊力を、たった一撃に込める。
『無駄だ無駄だァッ! どこを狙おうと、再生速度の方が速いッ!』
毒龍が、8つの口を大きく開けた。
全方位からの集中砲火が来る。
その直前。
「今だッ!! 穿てェッ!!」
ズドオォォォォォォォォォォッ!!
放水銃が火を噴いた。
今度の水流は、さっきとは桁が違う。
極限まで圧縮された聖水は、もはや液体ではない。
あらゆる物質を切断する「ウォーターカッター」となって、一直線に空を裂いた。
狙うは一点。
毒龍の中央、その喉の奥!
ジュボォォォォォッ!!
『ギャアアアアアッ!?』
聖水の槍が、毒龍の吐き出した酸のブレスを真正面から突き破り、その口腔内へと深々と突き刺さった。
「道は開いたぞ、愁!」
霧島が叫ぶ。
ヘドロの肉が弾け飛び、白く固まりながら穴が穿たれていく。
そのトンネルの先に、黒く脈打つ「杭」の姿が見えた。
「おうよ!!」
俺は、トラックの屋根を蹴った。
足元の鉄板がひしゃげるほどの踏み込み。
身体が弾丸となって空へ飛び出す。
行くぞ、玄さん。
これが最後の、大掃除だ!




