25-7:エースの復活
東の空が、群青色から茜色へと変わり始めていた。
長く、苦しかった夜が明ける。
店先に停められたサイバー・ガーディアン社の巨大な給水タンクトラック。
その荷台の上で、詩織が最後の一枚の御札をタンクに貼り付け、深く長い息を吐いた。
「……完了、しました」
彼女がタンクに手をかざすと、ステンレス製の巨大なタンク全体が、ボンヤリと青白い燐光を放った。
中に入っているのは、霧島が用意した数トンの「超純水」。
そこに、詩織が数時間かけて祝詞を捧げ、霊力を浸透させた「簡易聖水」だ。
科学的な純度と、霊的な浄化力。
その二つが融合した、対・毒海専用の決戦兵器が完成したのだ。
「ご苦労だったな」
トラックの横で葉巻を燻らせていた霧島が、労いの言葉をかける。
詩織はふらりとよろめいたが、すぐに気丈に立ち上がった。
顔色は悪いが、その瞳には達成感が宿っている。
「これで……あのヘドロ男を固められます」
「ああ。あとは、それを砕く“ハンマー”の出番だが……」
霧島が視線を店の入り口に向けた。
タイミングを合わせたかのように、シャッターの潜り戸が開き、一人の男が姿を現した。
ザッ……。
朝日に照らされ、影が伸びる。
浅河愁だ。
数時間前まで瀕死の状態だったとは思えないほど、その足取りは力強かった。
汗と脂汗にまみれたTシャツは着替えられ、真新しい濃紺の鯉口シャツ(職人用のシャツ)に、動きやすい作業ズボン。
腰には、愛用の木刀――霊刀・阿修羅が佩かれている。
ただ一つ、痛々しいのは、右腕から首筋にかけて巻かれた包帯だ。
毒の侵食は止まったが、焼けただれた皮膚の痕はまだ生々しく残っている。
だが、それは敗北の傷跡ではない。死神の鎌を振り払った、生還の証だ。
「愁さん……!」
「愁お兄ちゃん!」
詩織と亜美が駆け寄る。
愁は、眩しそうに目を細め、自分の右腕をグーパーと開閉させて感触を確かめた。
「……重いな」
愁がポツリと漏らす。
「体が、鉛みたいに重い。……右腕の感覚も、まだ半分くらいしか戻ってねえ」
「無理もありません」
詩織が心配そうに覗き込む。
「あれだけの毒を受けたんです。……本来なら、立っていることすら奇跡で……」
「でも」
愁は、詩織の言葉を遮り、ニカッと笑った。
その笑顔は、昨夜の苦悶の表情とは別人のように晴れやかだった。
「気分は悪くねえ。……みんなが繋いでくれた命だ。熱くて、燃えるようだぜ」
愁は、真っ直ぐに霧島、詩織、そして亜美を見渡した。
普段は「俺が守らなきゃ」と気負っている彼が、初めて見せる、純粋な感謝と信頼の表情。
「霧島さん、詩織、亜美。……助かりました」
愁は、深々と頭を下げた。
「俺一人じゃ、確実にくたばってた。……この命、あんたたちに拾ってもらった」
「……フン」
霧島は鼻を鳴らし、視線を逸らした。
「勘違いするな。先行投資だと言ったはずだ。……回収できなければ意味がない」
「ああ、分かってるよ」
愁は顔を上げ、その瞳に鋭い鬼火を宿した。
「借りは、敵(毒海)の首で返します。……耳を揃えて、きっちりとな」
(――おうよ!!)
愁の脳内で、玄さんの声が轟いた。
霊体のダメージも回復し、鬼神の覇気が満ち溢れている。
(あのヤブ医者……俺たちの“庭”を便所扱いしやがって。……許しておけねえよなぁ!?)
「ああ、玄さん」
愁は、腰の木刀を強く握りしめた。
(隅田川の汚れ……キッチリ洗濯してやらぁ!!)
戦意は十分。
役者は揃った。
「乗れ」
霧島が短く告げ、自らトラックの運転席へと乗り込んだ。
「えっ? 霧島さんが運転するんですか?」
詩織が驚く。
世界的な企業のCEOが、薄汚れた作業用トラックのハンドルを握るなど、前代未聞だ。
「この聖水タンクは、今回の作戦の要だ。……他人の運転など信用できるか」
霧島はエンジンを始動させ、重低音を響かせた。
その横顔は、経営者のそれではなく、戦場に赴く指揮官の顔だった。
「助手席は詩織、お前だ。放水の制御を頼む。……愁と亜美は荷台に乗れ。接敵と同時に飛び出せるようにしておけ」
「了解!」
俺たちは、それぞれの配置についた。
助手席に詩織。
荷台の上のスペースに、俺と亜美。
「亜美、怖くないか?」
風を切る荷台の上で、俺は隣に座る少女に尋ねた。
亜美は、ヘッドホンを首にかけ、しっかりと前を見据えていた。
「怖くない。……だって、愁さんがいるもん」
「……へっ。頼もしいな」
俺は亜美の頭をクシャクシャと撫でた。
ブォォォォォォンッ!!
霧島がアクセルを踏み込む。
巨大なトラックが、朝霧の漂う浅草の街を、猛スピードで発進した。
目指すは、隅田川下流。
下水処理場の放流口。
毒海が待ち構える、最後の決戦の地へ。
「炎上」、「汚染」。
立て続けに襲いかかる悪意の連鎖を断ち切るため。
チーム『浅草』の総力戦が、今始まる。
(第26章へ続く)




