25-5:共鳴する治療術
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。
無菌テントの中に、心電図モニターの電子音が早く、鋭く響いていた。
それは、愁の命のカウントダウンそのものだった。
霧島さんが投入した「霊的ナノマシン」のおかげで、一度は安定したかに見えた容体。
だが、敵は手強かった。
愁の体内に巣食う「呪毒」の本体は、ナノマシンの浄化作用を感知すると、まるで生き物のように逃げ回り、さらに深く、臓器の隙間へと潜り込もうとしていたのだ。
「う……ぐぅ……ッ!」
意識のない愁が、苦悶に満ちた声を漏らし、背中をのけぞらせる。
右腕から胸部へと広がるドス黒い紋様が、ミミズ腫れのように脈打ち、暴れている。
「ダメ……! 逃げ足が速すぎます!」
詩織は、愁の胸元に両手をかざし、脂汗を滴らせていた。
彼女の手のひらからは、清浄な青白い霊力がメスのように放たれている。
だが、狙いが定まらない。
闇雲に撃てば、衰弱した愁の肉体そのものを傷つけてしまう。
「亜美さん……! お願い、捕まえて!」
「う、うん……!」
愁の枕元で、亜美が膝をつき、彼の胸板に直接耳を押し当てていた。
ヘッドホンは外している。
彼女は今、全神経を「聴覚」の一点に集中させていた。
目を閉じた亜美の世界。
そこは、雑音の嵐だった。
心臓の鼓動、血液の流れる音、ナノマシンが活動する微細な駆動音。
それらが大音量で渦巻く中から、たった一つの「異物」を聞き分けなければならない。
(……怖い)
亜美の体が震える。
聞こえるのだ。
愁の体の中で、何かが這い回る音が。
ジュルッ……グチョ……カサカサ……。
濡れたナメクジが這うような粘着質な音と、ムカデの足音のような乾いた音が混じり合った、生理的嫌悪感を催す最悪のノイズ。
それが、毒海が植え付けた「呪いの種」だ。
その音からは、「殺したい」「腐らせたい」という純粋な悪意が垂れ流されている。
(気持ち悪い……! 耳が汚れちゃう……!)
逃げ出したい。耳を塞ぎたい。
だが、目の前で苦しんでいるのは、誰あろう、自分を救ってくれた大切な人だ。
(逃げちゃダメ。……私が、愁さんの目になるの!)
亜美は、恐怖をねじ伏せ、その汚らわしい音の発生源へと意識をダイブさせた。
音の波をかき分け、血管の迷路を追いかける。
……いた。
右の肋骨の下。肝臓の裏側に隠れて、黒い音を立てている塊が!
「……そこ! 右の脇腹! 骨の隙間!」
亜美が叫んだ瞬間、詩織の手が動いた。
「はいっ!」
迷いなく、亜美が示した一点に指先を突き立てる。
「祓戸大神に乞う……気吹戸の風よ、穢れを吹き払え!」
バチチチッ!!
詩織の指先から放たれた霊力の針が、愁の皮膚を透過し、体内の「塊」を直撃した。
「ガアッ!?」
愁の体が跳ねる。体内で何かが断末魔を上げたのが、亜美には聞こえた。
だが、まだ死んでいない。
「逃げた! ……上! 心臓の方へ上がってくる!」
「させません!」
亜美のナビゲートに合わせ、詩織の手が愁の胸の上を滑る。
二人の呼吸は、完全にシンクロしていた。
「聞く者」と「祓う者」。
言葉を交わさずとも、互いの意図が手に取るように分かる。
亜美が、愁の肌の上で指を滑らせ、敵の移動ルートをなぞる。
その指の動きを、詩織の霊力が追いかける。
それはまるで、二人がかりでピアノを弾く連弾のような、美しくも必死な光景だった。
「……ッ、速い! 血管に入った!」
「逃がしません……! 結界、体内展開!」
詩織は、愁の首元と腹部に御札を貼り、逃げ道を物理的に封鎖した。
袋の鼠だ。
「亜美さん、追い詰めます! どこ!?」
亜美は、愁の胸に耳を密着させた。
聞こえる。
追い詰められ、行き場を失ったウイルスが、最後の抵抗として暴れまわる音が。
肺の真ん中。
気管支の分岐点にしがみついている!
「……ここ! 喉の奥、真ん中!」
亜美が顔を上げ、愁の胸骨の中央を両手で押さえた。
ここから先へは行かせない。その強い意志を込めて。
「詩織さん、今!!」
詩織が、両手を組み合わせ、渾身の印を結ぶ。
彼女の全身から、青白い炎のようなオーラが噴き出した。
「悪しき穢れよ……退散せよォッ!!」
ドォンッ!!
詩織の掌底が、亜美の手の甲の上から叩き込まれた。
二人の少女の想いが重なった、浄化の一撃。
高密度の霊力が、愁の胸骨を突き抜け、病巣の核を完全に粉砕した。
「がはっ……!!」
愁が、カッと目を見開き、上半身を跳ね起こした。
そして、激しく咳き込んだ。
「ゴフッ……! ゲホッ、オェッ……!!」
彼が吐き出したのは、血ではなかった。
握り拳ほどの大きさの、コールタールのような粘着質の「黒い塊」。
それが、シーツの上にボトボトと落ち、ジュウジュウと音を立てて蒸発していく。
ピー、ピー、ピー……。
モニターの警告音が止まり、規則正しい電子音へと変わった。
愁の右腕から背中を覆っていたドス黒い紋様が、潮が引くようにスーッと薄くなり、消えていく。
「……はぁ、はぁ……」
愁は、糸が切れたように枕へと倒れ込んだ。
だが、その顔色は、さっきまでの土気色から、血の通った色へと戻りつつあった。
「……やった」
亜美が、へなへなと座り込む。
「聞こえない……。あの嫌な音、消えた……」
「終わりました……。完全に、祓いました」
詩織もまた、肩で息をしながら、愁の汗ばんだ額をタオルで拭った。
二人は顔を見合わせ、涙ぐんで微笑み合った。
勝ったのだ。見えない敵との死闘に。
「……ん……」
愁の瞼が、うっすらと開いた。
焦点の合わない瞳が、ゆっくりと二人を捉える。
「……詩織……亜美……」
掠れた、けれど確かな声。
その一言を聞いた瞬間、二人の目から堪えていた涙が溢れ出した。
「愁さん! よかった……!」
「うわぁぁん! 愁さぁん!」
二人は、愁の体に縋り付いて泣いた。
(……へッ)
愁の内側。
深く傷ついていた魂の座で、鬼神がニヤリと笑った気配がした。
(生き返ったぜ。……大したもんだ。礼を言うぞ、嬢ちゃんたち)
その声は、まだ弱々しかったが、確かな力強さを取り戻していた。
エース復活。
最悪の夜を乗り越え、俺たちは反撃の狼煙を上げる準備を整えたのだ。




