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25-2:夜明けのロジスティクス


チッ、チッ、チッ……。


静まり返った『浅河』の店内で、壁掛け時計の秒針だけが、無慈悲に時を刻んでいた。


詩織は、高熱にうなされる愁の手を握りしめ、祈るように時計を見つめていた。


電話を切ってから、14分経過。


愁の呼吸は浅く、早くなっている。右腕の壊死は肩を超え、胸部にまで達しようとしていた。


限界だ。


あと数分で、毒は心臓に達する。


「霧島さん……」


本当に来るのだろうか。


この毒ガスと汚染水にまみれた封鎖エリアに。


いくら彼でも、たった15分で準備など――。


その時だった。


ドオォォォォォォンッ!!


遠くで、バリケードが粉砕されるような轟音が響いた。


続いて、腹の底に響く重低音のエンジン音が、急速に近づいてくる。


「えっ? 何? 地震?」


亜美が怯えて立ち上がる。


キキキキキキィィィィッ!!


鼓膜をつんざくようなスキール音と共に、店の前に「何か」が滑り込んできた気配がした。


詩織が慌ててシャッターの潜り戸を開け、外へ出る。


「……!」


彼女は、我が目を疑った。


そこに鎮座していたのは、戦車のような威圧感を放つ、漆黒の大型トレーラーだった。


その後ろには、同じく黒塗りの装甲バンが2台。


車体には、銀色の鋭利なフォントで『CYBER GUARDIAN』の社名が刻まれている。


ヘッドライトが、夜の仲見世通りを強烈に照らし出す。


運転席から飛び出してきたのは、完全防護服ハズマットスーツに身を包み、アサルトライフルのような形状の「防疫スプレーガン」を構えた特殊部隊員たちだった。


「き、規制線はどうしたんだ!」


「強行突破してきたぞ! 何者だ!」


騒ぎを聞きつけた近隣住民たちが、窓から顔を出し、怯えながら様子をうかがう。


その視線が集まる中、装甲バンのスライドドアが、重々しい音を立てて開いた。


シューッ……。


エアサスペンションが下がる音。


防護服の部下たちが整列し、道を作る。


その中央から、一人の男が悠然と降り立った。


「……遅かったか」


男――霧島京也は、左腕の高級腕時計に目を落とし、つまらなそうに呟いた。


その姿は、この汚染された現場において、あまりにも異質だった。


部下たちがガスマスクと防護服で完全武装している中、彼だけはマスク一つ着けていない。


イタリア製のオーダーメイドスーツに、磨き上げられた革靴。


胸ポケットには、深紅のチーフ。


まるで、これから高級ホテルのラウンジにでも向かうかのような出で立ちだ。


「き、霧島さん!?」


詩織が駆け寄る。


「マスクを! ここは空気中にも毒素が……!」


「構わん」


霧島は、詩織の懸念を手で制した。


「私の肺は、安物の毒ガス程度で悲鳴を上げるほど軟弱ではない。……それに」


彼は、周囲の怯える住民たちを一瞥いちべつした。


「指揮官が顔を隠しては、誰も従わんからな」


その傲岸不遜な態度こそが、彼にとって最強の鎧であるかのように。


彼はスーツの襟を正し、詩織に向かって言った。


「待たせたな。……補給物資ロジスティクスだ」


霧島が指を鳴らす。


ガシャン! ウィィィィ……。


大型トレーラーの荷台が、翼のように左右に展開された。


その中身を見た瞬間、周囲の住民たちから「おおっ……!」というどよめきが上がった。


そこに積まれていたのは、パレット積みにされた、山のような「ミネラルウォーター」のダンボール箱。


さらに、発電機、簡易シャワーユニット、そして最新鋭の医療機器を搭載した「コンテナ型手術室」までもが満載されていた。


「み、水だ……!」


「おい、水があるぞ!」


その輝きは、砂漠における黄金以上だった。


ライフラインを断たれ、喉の渇きと死の恐怖に怯えていた住民たちが、理性を失ってトラックへと殺到する。


「くれ! 俺にくれ!」


「ウチには子供がいるんだ!」


「どけ! 俺が先だ!」


パニックだ。


昨日のライブ配信で団結したはずの人々も、生存本能の前では獣になる。


防護服の隊員たちが止めようとするが、数の暴力に押し切られそうになる。


「やめてください! 押さないで!」


詩織が叫ぶが、狂乱した群衆の耳には届かない。


このままでは暴動になる。せっかくの物資が奪い合いで散逸してしまう。


その時。


パンッ!!


乾いた破裂音が、夜空に響いた。


銃声ではない。


霧島が、近くにあった鉄柱を、革靴のヒールで思い切り蹴り上げた音だ。


一瞬、静寂が訪れる。


「……浅ましいな」


霧島は、群衆を見下ろし、冷たく吐き捨てた。


怒鳴ったわけではない。だが、そのよく通るバリトンの声は、騒音の中でもはっきりと全員の鼓膜を震わせた。


「水が欲しいか? 命が惜しいか?」


彼は懐から葉巻を取り出し、ゆっくりと火をつけた。


紫煙が、毒ガス混じりの空気に漂う。


「ならば、私のルールに従え」


「な、なんだお前は! 偉そうに!」


「独り占めする気か!」


一人の男が掴みかかろうとする。


霧島は、動じない。


ただ、冷徹な瞳で男を射抜いた。


「これは、行政からの正式な委託を受けた緊急給水だ。……そして、このエリアの“防疫指揮権”は、現在私が持っている」


霧島は、スマホの画面を男に見せた。


そこには、政府発行の電子委任状が表示されていた。


「全員に配るだけの量はここにある。……だが」


霧島の目が細められた。


「暴動を起こし、配布を妨害する者は……『バイオハザード拡散防止法』に基づき、私の権限でこのエリアごと切り捨てる(ロックダウンする)」


「……ッ!」


男が息を呑んで後ずさる。


ハッタリではない。この男なら、本当にやりかねない。


その圧倒的な「支配者」のオーラに、住民たちは本能的な恐怖と、同時に「従えば助かる」という安堵を感じ取った。


「一世帯につき、1ケースだ。……並べ」


霧島が短く命じる。


それだけで十分だった。


さっきまで獣のように叫んでいた人々が、憑き物が落ちたように大人しくなり、整然と列を作り始めた。


「配れ」


霧島の合図で、部下たちが手際よく水を配り始める。


受け取った人々は、涙を流して水を飲み、霧島に向かって頭を下げていく。


恐怖と、恩恵。


飴と鞭を極限まで洗練させた、完璧な統治。


この一瞬で、彼はこの場の「王」となったのだ。


「……相変わらず、無茶苦茶な人ですね」


詩織が、呆れと尊敬の入り混じった溜め息をつく。


「効率的なだけだ」


霧島は葉巻を携帯灰皿に押し付けると、表情を引き締めて店の方を向いた。


「雑魚の相手は終わりだ。……本命(愁)を診るぞ」


彼は部下に目配せをし、医療用コンテナを店の前へと移動させた。


ここからは、時間との、そして死神との直接対決だ。

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