24-7:緊急凍結(フリーズ)
ゴオオオオオオオ……!!
第二波が来る。
タンクの裂け目はさらに広がり、今度はさっきの倍以上の水量の毒水が、俺たちを飲み込もうと迫っていた。
逃げ場はない。
俺(愁)は毒に侵され動けない。玄さんも、霊的ダメージで沈黙している。
亜美は恐怖で立ちすくんでいる。
全滅だ。
そして、俺たちがここで死ねば、この毒水はそのままポンプ場の配管を通じて、浅草中の家庭へ流れ込む。
数万人が風呂場で、キッチンで、内側から溶かされて死ぬ未来が確定する。
「……させません」
その時。
俺の前に、凛とした声が響いた。
「詩織……?」
彼女は、ボロボロになった俺の前に立ちはだかっていた。
その背中は震えていた。
だが、それは恐怖ではない。体内の全霊力を一箇所に練り上げるための、極限の集中の震えだった。
「愁さん、どいてください!」
詩織は、懐にある全ての御札――防御用、浄化用、攻撃用、すべてを空中にばら撒いた。
そして、自身の指を噛み切り、滴る鮮血で空中に印を描く。
「この命、神に捧ぐ……!」
彼女の黒髪が、霊圧の奔流で逆立つ。
地下空間の空気が、一瞬にして凍てついた。
「『水神招来』……!!」
詩織の瞳が、蒼白く発光する。
それは、彼女の実家・玄夜神社が代々祀ってきた神の力を、自分の器の限界を超えて降ろす、禁断の秘術。
「全ての穢れを、清浄なる氷の牢獄へ……!!」
詩織が、両手を突き出す。
「――『氷天の檻』ッ!!」
パキィィィィィィィンッ!!!!
音が、消えた。
俺たちの目の前に迫っていた黒い濁流が、空中で静止した。
いや、違う。
「凍った」のだ。
ドス黒い毒水が、白い氷の結晶へと変貌し、その凍結は光の速さでタンク全体へ、そして施設そのものへと伝播していく。
ガギギギギギギッ……!!
鉄がきしみ、コンクリートが悲鳴を上げる。
溢れ出ようとしていた数千トンの汚水が、巨大な「黒い氷河」となって、その場に縫い止められた。
それだけではない。
空中に漂っていた有毒ガスも、床を這っていた酸の粘液も、すべてがダイヤモンドダストのように凍りつき、床に落ちた。
「な……っ!?」
キャットウォークの上で、勝ち誇っていた毒海が息を呑む。
彼の身体――気体化して逃げようとしていた紫色の霧までもが、詩織の放った冷気によって捕らえられた。
「バカな……! 気体分子の運動すら止めるだと……!?」
パリパリパリッ!
毒海の白衣が、ガスマスクが、そして霧状になった右半身が、霜に覆われ、氷像のように固まっていく。
「ぐっ……おのれ、巫女ォォッ!!」
毒海は、凍りついた自分の右腕を、躊躇なく自ら切り離した。
パリンッ!
砕け散る氷の腕。
残った左半身だけを液状化させ、彼は凍結を免れた天井の細い排気ダクトの中へと、滑り込むように逃げ込んだ。
「……応急処置ですね。褒めてあげましょう」
ダクトの奥から、悔しさと余裕が入り混じった声が響く。
「ですが、遅すぎた。……すでに十分な量の“種”は、配水管へと流れ込みましたよ」
ゴウン……ゴウン……。
凍りついた施設の外側で、ポンプが稼働する微かな音が聞こえる。
メインタンクは止めた。だが、その先へ送られた水までは止められなかった。
「潜伏期間は3日。……あなたたちが凍え死ぬ間に、街は死滅するでしょう」
毒海の気配が、完全に消えた。
残されたのは、巨大な氷の彫刻と化したタンクと、極寒の静寂。
そして、力を使い果たし、その場に崩れ落ちる詩織の姿だった。
「詩織ッ!!」
俺は、動かない身体を叱咤して、倒れる彼女を受け止めた。
氷のように冷たい。
だが、心臓はまだ動いている。
「愁、さん……。止め、ました……」
「ああ。すごいぞ、詩織。お前がみんなを救ったんだ」
だが、状況は最悪だ。
俺は毒に侵され、玄さんもダウン。詩織は霊力切れ。亜美も限界だ。
そして、毒水の一部は街へ流れてしまった。
タイムリミットは3日。
この絶望的な状況で、俺たちに何ができる?
冷え切った地下室で、俺の意識もまた、限界を迎えようとしていた。




