24-4:マッドドクター「毒海」
「おや。……毒海様の実験動物が、もう迷路を抜けてきましたか」
キャットウォークの上で、白衣の男――毒海は、我々を振り返りもせず、愛おしそうに手元の作業を続けていた。
彼が立っているのは、巨大な配水タンクの点検口の真上だ。
その手には、不気味に明滅する紫色の液体が入った、医療用の点滴袋のような容器が握られている。
ポタリ……ポタリ……。
彼が容器を傾けるたび、粘着質の原液が糸を引き、眼下の貯水タンクへと滴り落ちていく。
一滴落ちるたびに、水面が「ジュッ」と音を立てて反応し、まるで傷口が化膿していくように変色していく。
それは、巨大な患者に致死性の薬物を投与する、悪魔の医療行為そのものだった。
「貴様、何をしている!!」
俺が叫ぶと、毒海はガスマスクの奥でクツクツと笑い、大袈裟に両手を広げた。
「治療ですよ」
「治療だと?」
「ええ。かつて私は、組織(天領会)の研究機関で、呪術と生物学を融合させる『呪毒』の開発主任をしていましたからね。……職業病というやつです」
毒海は、白衣の襟を正し、恍惚とした声で語り始めた。
「私にとって、この浅草という街は、老廃物と雑菌――つまり、あなたたちのような愚かな人間どもに侵された、末期の『患者』に見えるのです」
男は、眼下のタンクを指差した。
「ここが心臓です。この巨大なタンクに集められた水は、強力な圧力をかけられ、動脈のような配管を通って街中へ送り出される。……ここから出た水は、わずか数分後には各家庭の蛇口に届く」
毒海は、手にした点滴袋のチューブを全開にした。
ドボドボドボッ……!
高濃度の呪毒が、一気にタンクへ注入される。
透明だった数千トンの水が、瞬く間にドス黒いヘドロ色に染まり、腐臭を放つガスを噴き上げた。
「私の処方は完璧だ。何も知らない住民たちが、喉を潤そうとその水を口にする。……あるいは、一日の疲れを癒そうと湯船に浸かる」
男の声が、愉悦に歪む。
「その瞬間、私の可愛い“特効薬”が体内に侵入し……彼らを内側からドロドロに溶かして『殺菌』してくれるでしょう」
「……ッ、ふざけるな!」
想像しただけで反吐が出る。
この男は、大量虐殺を「治療」と呼び、浅草に住む何万という人々を、ただの「病原菌」としてしか見ていないのだ。
「それだけじゃありません!」
詩織が、タンクの底を睨み据えて悲鳴を上げた。
「タンクの底……見てください! 何か沈んでいます!」
俺は目を凝らした。
黒く染まっていく水の底。そこに、ゆらりと揺れる影があった。
昨日の工事現場や、雷門の提灯の中にあったものと同じ。
しかし、それらよりも遥かに巨大で、禍々しい呪力を放つ、太く長い「杭」だ。
「あれは……『第3の杭』か!」
「ご名答」
毒海がパチパチと拍手をする。
「あれはただの呪具ではありません。……言わば、人工的な『ペースメーカー』です」
毒海は、まるで自慢の医療機器を紹介するかのように説明した。
「あの杭は、地下深くの霊脈から瘴気を吸い上げ、私が滴下した原液と混合し、増幅させる。……私がここにいなくなっても、あの杭がある限り、このタンクは半永久的に毒を生み出し続ける『呪いの泉』として機能するのです」
つまり、あの杭を抜かない限り、毒の供給は止まらない。
浅草の血管(水道管)には、永遠に死が巡り続けることになる。
(……上等だ)
俺の中で、玄さんが静かに、しかし最高潮の殺気を持って告げた。
(毒の点滴に、呪いのペースメーカーだと? ……自分を医者だと思い込んでる精神異常者が。一番治療が必要なのは、テメェのその腐りきった脳みそだろうが!)
玄さんの怒りが、俺の全身を駆け巡る。
俺は、木刀を握り直した。
「……ああ、そうだな。玄さん」
俺は、毒海を真っ直ぐに睨み据えた。
「おい、自称・名医センセイ。……残念だが、お前の免許はここで剥奪だ」
「ほう?」
「緊急オペの時間だ、ヤブ医者。……そのふざけたガスマスクごと、叩き割ってやる!」
俺はキャットウォークを蹴り、毒海との間合いを一気に詰めた。
もはや問答無用。
物理的な死(斬撃)をもって、この悪夢のような診療を強制終了させる!




