表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

118/168

24-2:汚染源の特定(蔵前)


阿鼻叫喚の雷門を背に、俺は浅草の街を逆走した。


逃げ惑う人々の波をかき分け、路地を抜け、息を切らして隅田川テラス(親水テラス)の階段を駆け上がる。


普段なら、ライトアップされたスカイツリーと、川面を渡る屋形船の提灯が織りなす、東京屈指の夜景スポットだ。


だが、手すりに手をかけ、眼下を見下ろした俺の目に映ったのは、この世の終わりのような光景だった。


「……ッ、なんだ、これ……」


そこは、死の川だった。


かつて「水の都」の象徴だった隅田川は、見るも無惨な姿に変貌していた。


視界いっぱいに広がるのは、蛍光色の緑と、どす黒い紫がマーブル模様を描いてうごめく、巨大なヘドロの帯。


ボコッ、ボコボコッ……。


川全体が、強酸の鍋のように泡立ち、弾けるたびに黄色い有毒ガスを噴き上げている。


そして、何より酷いのが「臭い」だ。


腐った卵と、鼻を突く化学薬品、そして何十年もドブの底に溜まっていた汚泥をミキサーにかけたような、脳髄を直接犯す悪臭。


俺は口元を腕で覆いながら、手すりを乗り越えた。


「……くそっ! どいつだ! どこに隠れてやがる!」


俺は霊力を足裏に集中させ、汚染された水面に着地した。


ジュッ……ジュワァ……!


靴底が悲鳴を上げる。霊力のコーティングがなければ、一瞬で足首まで骨になっていただろう。


俺は、ヒリヒリと肌を焼く瘴気の中で、目を凝らして川面を見渡した。


溶けかかった水上バスが傾き、沈んでいく。


無数の魚が白い腹を見せて浮いている。


だが――肝心の「敵」がいない。


「どこだ……!? 川底か!? それとも上流か!?」


川は広すぎる。


それに、ヘドロのような濁流と立ち上るガスが視界を遮り、発生源(元栓)が特定できない。


ただ闇雲に探している間にも、毒水は水位を上げ、テラスを乗り越え、浅草の街を浸食し続けている。


一刻の猶予もない。


(小僧! 落ち着け! 闇雲に走ってもらちが明かねえ!)


焦る俺を一喝したのは、脳内の玄さんだった。


(敵は姿を見せねえ。……なら、見つける方法は一つだ。俺たちには“最強の耳”を持った仲間がいるだろうが!)


ハッとして我に返る。


そうだ。雷門には、亜美がいる。


ついさっき、ネットの海から犯人を引きずり出した、あの神がかり的な聴覚があれば!


俺は防水仕様のスマホを取り出し、震える指で詩織に発信した。


頼む、繋がってくれ。


ワンコール。即座に、詩織の声が聞こえた。


『愁さん! ご無事ですか!?』


「俺は平気だ! だが、敵が見つからない! 川全体が腐ってて、発生源が絞り込めねえんだ!」


俺は、視界を遮る有毒ガスを手で払いながら、スマホに向かって叫んだ。


「亜美に代わってくれ! 彼女の耳なら、この毒の発生源が分かるはずだ!」


『分かりました! 亜美ちゃん!』


ガサゴソとスマホが手渡される音がして、すぐに亜美の切羽詰まった声が聞こえた。


『……愁さん!』


「亜美! すまない、また頼るぞ。ヘッドホン、着けてるな?」


『うん、着けてる。……ノイズは消えてるから、大丈夫』


亜美の声は、恐怖に震えてはいたが、芯はしっかりとしていた。


彼女はもう、守られるだけの少女じゃない。


「そのヘッドホンで、隅田川の方角……いや、この辺り一帯の音を探ってくれ。普通の水の音じゃない、“異質な音”がしているはずだ!」


『……分かった。やってみる』


電話の向こうで、亜美が深く息を吸い込む気配がした。


雷門の大提灯の下。高い台座の上から、彼女は意識を研ぎ澄まし、ノイズキャンセリング機能で雑音を削ぎ落としたクリアな世界で、「敵の音」を探し始める。


数秒の沈黙。


その間にも、目の前で、川に落ちた野鳥が断末魔を上げて溶けていくのが見えた。


焦燥感で心臓が破裂しそうだ。


その時。


『……あった』


亜美が、短く呟いた。


『聞こえる……。川の中じゃない。もっと、規則的な……機械の音』


「機械の音?」


『うん。ドクン、ドクンって……。まるで、すごく大きな心臓みたいな音。……何かを吸い上げて、吐き出してる』


亜美の言葉に、俺の背筋が凍る。


吸い上げて、吐き出す。


それは、ただのタレ流しじゃない。


意図的に循環させるための「ポンプ」の動きだ。


『場所は……ここ(雷門)から見て、南。……蔵前くらまえの方角』


『川沿いにある、古いコンクリートの建物の中から……その音が、一番大きく響いてる!』


「南……蔵前……コンクリートの建物……」


俺の脳裏に、地図が浮かび上がる。


そこにある施設は、一つしかない。


「まさか……!」


『愁さん、代わりました! 詩織です!』


再び詩織が電話口に出た。


『今、亜美ちゃんが言った場所を霊視しました。……間違いありません!』


詩織の声が、恐怖で裏返る。


『そこは……「水道局のポンプ場」です! 地下深くに張り巡らされた上水道の配管網が、まるでどす黒い“呪いの血管”のように脈打っています!』


「上水道だって!?」


俺は絶句した。


川を汚しているのは、あくまでタンクから溢れ出した「余剰分」に過ぎない。


敵の本当の狙いは、川ではない。


この街の人々が生きていくために不可欠な、もっと致命的な場所――。


『敵は、そこにある巨大な浄水ポンプを乗っ取っています! 地下の瘴気を吸い上げ、毒と混ぜ合わせ……それを、浅草中の家庭へ圧送しようとしています!』


その事実を理解した瞬間。


俺の脳内で、何かが「ブチッ」と切れる音がした。


玄さんだ。


今まで感じたことのない、氷のように冷たく、けれど底知れない「殺意」が、俺の全身を一気に支配する。


(……てめぇら……ッ!)


玄さんの激昂が、俺の口をついて出る。


(井戸に毒を撒くのが……どれだけの重罪か分かってんのか!)


玄さんの声は、怒りを超えて、冷徹な「断罪」の響きを帯びていた。


(江戸の昔、井戸は長屋の命綱だった。それを汚すってことは、女子供、年寄り……そこに住む全ての命を、苦しめて殺すってことだ)


(武士の風上にも置けねえ。いや、人としての一線を超えてやがる)


ドクンッ!!


俺の体から、制御できないほどの霊力が噴き出す。


水面が波立ち、毒ガスが吹き飛ばされる。


(そんな外道はな……市中引き回しの上、獄門ごくもんだぞ!!)


獄門。


単なる死刑ではない。打ち首にし、その首を晒し者にする、極刑中の極刑。


かつて「仕事人」として数々の悪党を斬ってきた玄さんが、最も許せない一線。


それを、奴らは踏み越えた。


「……ああ、同感じゃねえか、玄さん」


俺は、スマホを握り潰しそうなほど強く握りしめ、蔵前の方角へと身体を向けた。


「亜美、よくやった! お手柄だ!」


「詩織ちゃん! 場所は分かった! 俺もすぐに向かう! 現地で合流してカチ込むぞ!」


『はい! 亜美ちゃんも連れて、私たちも向かいます!』


俺は汚染された川岸を思い切り蹴り、陸地へと飛び上がった。


靴底から立ち上る白煙など気にも留めず、アスファルトを砕く勢いで疾走する。


もう、「テロの阻止」なんて生易しい言葉じゃ済まされない。


これは「処刑」だ。


人々の命綱を握り、それを汚した万死に値する罪人への、執行猶予なしの死刑執行だ。


待ってろよ、毒使い。


その汚い首、綺麗な水で洗って待ってやがる!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ