23-3:日常の回復
バヂヂヂッ……プスン。
俺(玄)が一刀両断したスマートフォンから、断末魔のような黒い煙が吹き出した。
それが合図だった。
『ガ……ア……』
背後で唸っていた巨大な「炎上の化け物」が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、ただの空気へと霧散していく。
同時に、頭上の雷門からも、「カラン……パリンッ!」という硬質な音が響いた。
大提灯の中に隠されていた「第2の杭」が、呪力の供給を断たれて抜け落ち、石畳の上で砕け散ったのだ。
「あ、あぁ……僕の……僕の“作品”が……!」
スマホを斬られた男――四天王「虚」は、その場にへたり込んだ。
ノイズの仮面も、不気味な威圧感もない。
そこにいたのは、どこにでもいそうな、顔色の悪い冴えない男だった。
「ち、違う……僕は悪くない! ネットのみんなが勝手にやったんだ! 僕はただ、場所を提供しただけで……!」
男は無様に這いずり、逃げようとする。
だが、その逃走経路はすでに塞がれていた。
「確保ォ!!」
「お前を、威力業務妨害および不正アクセス禁止法違反の容疑で逮捕する!」
遠くから響いていたサイレンが止まり、雪崩れ込んできた警官たちが男を取り押さえる。
霧島さんの手配だ。タイミングが完璧すぎる。おそらく、最初から配信を見て、証拠が確定する瞬間を待っていたのだろう。
「離せ! 離せよぉ! 僕は選ばれた呪術師なんだぞぉ!」
男が喚き散らしながら、パトカーへと連行されていく。
その情けない姿は、俺が手に持っていた配信中のスマホによって、全世界に生中継されていた。
『え、犯人こいつ?』
『ダッサw』
『自分で煽って自分で自爆とか』
『店の人、マジで被害者だったんだ……ごめんなさい』
『浅草のヒーロー、乙!』
コメント欄が、呆れと、謝罪と、称賛で埋め尽くされる。
俺は、最後にカメラに向かってニカッと笑いかけた。
「てめぇらの憂さ晴らしに、俺たちの街を使わせるもんか。……これに懲りたら、二度と浅草の敷居を跨ぐんじゃねえぞ!」
《配信終了》
俺は停止ボタンを押し、大きく息を吐いた。
長い、長い夜が終わった。
翌日。
浅草の空は、昨日の澱みが嘘のように晴れ渡っていた。
俺が恐る恐る店のシャッターを開けると、そこにはもう、あのおぞましい「卒塔婆」は一枚もなかった。
代わりにあったのは――行列だ。
「……え?」
「よう、愁ちゃん! 開くの待ってたよ!」
声をかけてきたのは、昨日まで俺を避けていた乾物屋の親父さんだった。
その後ろにも、土産物屋のおばちゃんや、近所の人々が並んでいる。
「昨日の配信、見たよ! あんた、あんな奴らと戦ってたんだなぇ」
「ごめんねぇ、変な噂信じちゃって……。これ、お詫びの印!」
「お兄さんかっこよかった! サイン頂戴!」
人々は口々に謝罪し、そして「団子10本!」「大福20個!」と、飛ぶように注文を入れていく。
それは、ただの買い物じゃない。
不義理をしてしまったことへの、彼らなりの「粋な詫び方(応援)」だった。
店の中では、まだ顔色は悪いものの回復した母さんが、涙ぐみながら接客に追われている。
詩織と亜美も、忙しそうだが笑顔で走り回っている。
そこには、俺たちが守りたかった「日常」が帰ってきていた。
「……へっ」
俺は、額の汗を拭いながら、スマホの黒い画面を見つめた。
(どうだ小僧。江戸の喧嘩も捨てたもんじゃねえだろ?)
「ああ。……現代の“かわら版”も、悪くねえな」
デマは晴れた。
街の空気も浄化された。
俺たちの「浅草奪還戦」、まずは一勝だ。
23-4:次の敵へ
夕暮れ時。
客足が落ち着いた頃、俺と詩織、そして亜美は、雷門の下に立っていた。
大提灯は、いつもの穏やかな朱色を取り戻し、観光客たちのフォトスポットに戻っている。
「守れましたね、愁さん」
詩織が、安堵の息を漏らす。
「うん。……嫌な音、もう聞こえない」
亜美も、ヘッドホンを首にかけ、自然な笑顔を見せている。
俺たちは勝利を噛み締めた。
だが、心のどこかで警鐘が鳴り止まないのはなぜだ?
四天王は、あと三人いる。
「……帰ろうか。今日は大入りだ、晩飯は豪華にするぞ」
俺たちが背を向けた、その時。
浅草の東側。
スカイツリーを望む、隅田川の川面で、異変が起きていた。
プァァァァ……ン。
水上バスの汽笛が、どこか断末魔の悲鳴のように重く響く。
ザワ……ザワザワ……。
風もないのに、川面がざわめき立った。
夕焼けを映していた美しい水面が、急激にドス黒く、粘度を増していく。
下水と、鼻を刺す化学薬品が混ざったような、強烈な腐臭が漂い始めた。
プカリ、プカリ。
白い腹を見せた魚たちが、次々と無言で浮き上がってくる。
ゴポッ……ゴポポ……。
それは、津波のような衝撃ではなかった。
静かな、しかし確実な「浸水」だった。
黒く淀んだ水が、コンクリートの護岸を音もなく乗り越え、遊歩道へと溢れ出す。
水は低い方へ流れるはずだ。
だが、その黒い水は、まるで意思を持っているかのようにアスファルトの上を這い、側溝を逆流し、浅草の街――俺たちのいる方向へ向かって、触手を伸ばすように広がり始めた。
その汚水の中心。
淀んだ水面の上に、一人の「影」が佇んでいた。
男は、足元から広がる毒が街を侵食していく様を、無感情に見つめていた。
「炎上」の次は、「汚染」。
天領会四天王No.3――水と毒を操る暗殺者が、静かに上陸していた。
(第24章へ続く)




