21-2:雷門の異変
亜美を店の奥の座敷に寝かせ、俺と詩織は再び入り口に戻った。
外の空気は、さっきよりもさらに重く、湿り気を帯びているように感じられた。
「……愁さん」
詩織が、シャッターの隙間から表通りを睨み据え、険しい顔で言った。
「亜美ちゃんが倒れたのは、ネットの悪意だけが原因じゃありません。……街全体の“空気”が、急速に変質しています」
「空気?」
「はい。……見てください」
詩織は、店の入り口で印を結び、低く詠唱した。
俺の目にも霊力を同調させてくれる。
「――急急如律令、観!」
バッ。
視界にかかっていたフィルターが外れ、世界の「裏側」が露わになった。
その瞬間、俺は息を呑んだ。
「な……なんだ、あれは……!」
俺たちの店から見える、仲見世通りの突き当たり。
浅草の顔であり、象徴でもある「雷門」。
その巨大な赤い提灯から、まるで工場排水のような、どす黒い煙(瘴気)がモクモクと噴き出していたのだ。
「雷門が……燃えてるのか!?」
「いいえ。あれは物理的な煙ではありません。……強烈な『呪詛』です」
詩織が、震える指で提灯を指差した。
「あの大提灯の中心……見てください。何かが埋め込まれています」
俺は目を凝らした。
黒煙を吐き出す提灯の内部。
そこに、昨日の工事現場で見たものと同じ、不気味な形をした「杭」の影が見えた。
「第2の『呪いの杭』……!」
俺は呻いた。
昨日の風水師は「地脈」から俺たちを攻めた。
だが、今度の敵・虚は、「空」から攻めてきている。
浅草の入り口である雷門の高い位置に「発信機(杭)」を設置し、そこから街全体に呪いの電波をばら撒いているんだ!
(……おのれ、虚!)
玄さんの怒りが爆発する。
(雷門は浅草の結界の要だ! そこを穢すなんざ、江戸の守り神への冒涜だぞ!)
その影響は、すでに目に見える形で現れ始めていた。
「おい! どこ見て歩いてんだよ!」
「あぁ!? お前こそぶつかってきたんだろうが!」
店の前の通りで、観光客同士が怒鳴り合う声が響いた。
普段なら「すみません」で済むような些細な接触だ。
だが、二人の男性は顔を真っ赤にして掴み合い、周囲の人々もそれを止めるどころか、スマホを向けて冷笑したり、イライラした様子で舌打ちをして通り過ぎていく。
「なんだこの店、並びすぎだろ! 要領悪いんじゃないか!」
「うるさいわね! 嫌なら他所へ行きなさいよ!」
向かいの老舗の人形焼屋でも、店員と客が怒鳴り合っている。
いつもなら愛想のいいおばちゃんなのに、今日は何かに憑かれたようにヒステリックだ。
喧嘩。クレーム。舌打ち。怒号。
かつて「人情の街」と呼ばれた浅草が、たった数時間で「不機嫌と悪意の街」へと変貌していた。
「……ひどい」
詩織が、悲痛な面持ちで呟く。
「あの杭が、人々の心にある『小さな不満』や『ストレス』を、何倍にも増幅させています。……亜美ちゃんが倒れたのも、ネットの悪意と、この街の瘴気のダブルパンチを受けたからです」
「なんてことしやがる……」
俺は拳を握りしめた。
これは、単なる嫌がらせじゃない。
街の「機能」そのものを破壊している。
「愁さん。このままではマズいです」
詩織が、俺の方を向いて危機感を露わにした。
「浅草という土地は、そこに住む人々の活気や笑顔が『正のエネルギー』となって、土地の力を支えています。でも、このまま街全体がイライラした空気に覆われ続ければ……」
「浅草の“気”が、完全に穢れきってしまう?」
「はい。そうなれば、この土地は死にます」
詩織は、遠くに見える建設予定地――自分の実家の跡地を睨んだ。
「土地の力が失われれば、あの巨大な『ネオ・エド・タワー』を建てるための地盤(土台)が完成してしまいます。……敵の狙いは、私たちを追い出すことと同時に、浅草全体を“呪いの苗床”にすることなんです!」
俺は、雷門を見上げた。
かつて人々を迎え入れていた朱色の大提灯は、今や毒ガスを撒き散らす癌細胞のように、ドクンドクンと黒く脈打っていた。
物理的なタワー建設を止める前に、街の心が死ぬ。
そうなれば、もう取り返しがつかない。
「……行くぞ、詩織ちゃん」
俺は、シャッターの潜り戸を開けた。
「雷門だ。……あのふざけた提灯(杭)を、へし折ってやる!」




