18-2:亜美の“ノイズ”
「行こう、愁さん。……反撃です!」
詩織の瞳に光が戻った。
霧島さんが作ってくれた千載一遇の好機。
俺たちは装備を整え、再び裏手の工事現場へ向かおうとした。
その時だった。
「……愁さん」
破壊された店の入り口から、遠慮がちな、しかし切羽詰まった声が聞こえた。
「亜美……?」
そこに立っていたのは、高円寺亜美だった。
パジャマの上にパーカーを羽織っただけの姿。
顔色は悪く、目の下には濃いクマができている。
彼女は両手でヘッドホンを強く耳に押し当て、ガタガタと震えていた。
「どうしたんだ、こんな時間に! ここは危ないぞ!」
俺が駆け寄ると、亜美は泣きそうな顔で俺を見上げた。
「ごめんなさい……でも、どうしても、我慢できなくて……」
「我慢?」
「“音”が……うるさすぎて……」
亜美は、ヘッドホンを少しだけずらした。
途端に、彼女の顔が苦痛に歪む。
「……あそこの裏から、すごく嫌な“音”がするの」
彼女が指差したのは、まさに俺たちがこれから向かおうとしていた、裏手の工事現場だった。
「音? 重機の音か?」
「ううん、違うの。……もっと、高い音」
亜美は、身の毛もよだつものを想像するように、自身の二の腕を抱いた。
「黒板を爪で引っ掻くような……ガラスを釘で削るような……変な音が、ずっと響いてるの。……頭がおかしくなりそうで……」
(……!)
俺と詩織は顔を見合わせた。
俺たちには、そんな音は聞こえていない。
重機も今は止まっている。静寂そのものだ。
だが、俺たちは知っている。
大手町テロ事件の後遺症で、亜美の感覚が「霊的ノイズ」に対して開きっぱなしになっていることを。
彼女には、常人には聞こえない、いや、熟練の術者ですら感知できない「呪いの周波数」が聞こえているんだ。
「亜美ちゃん。……その音、どこから聞こえるか分かる?」
詩織が、亜美の前にしゃがみ込み、優しく問いかけた。
亜美はこくりと頷き、震える足で歩き出した。
「……こっち」
俺たちは亜美に続き、裏路地へ出た。
フェンス越しに見える工事現場。
そこには、俺の家を破壊した改造ショベルカーと、数台の杭打ち機が、夜闇の中で黒い怪獣のように鎮座している。
亜美は、フェンスに張り付き、その広大な敷地の中の「一点」を、迷いなく指差した。
「……あそこ」
彼女が指したのは、重機が置かれている場所でも、杭が打たれている場所でもなかった。
資材置き場の影に隠れた、一見すると何もない地面。
「あそこの地下から……“音”が、噴き出してる」
(……なるほどな)
その瞬間、脳内で玄さんが納得したように唸った。
(でかしたぞ、小娘。……お前のおかげで、タネが割れた)
「玄さん? 何か分かったのか?」
(ああ。あそこにはな、“古井戸”が埋まってやがる)
「古井戸?」
(そうだ。ずっと昔に埋め立てられた、古くて深い井戸だ。……水脈ってのは、霊脈の通り道だ。古井戸は、その通り道に空いた「穴」みたいなもんだ)
玄さんの解説に、詩織もハッとした顔をする。
「まさか、あの風水師……! その古井戸を使って……!」
(その通りだ。奴は、その古井戸を「増幅器」に使ってやがる。地下の淀んだ気を井戸から吸い上げ、重機を使って愁の店に流し込んでいたんだ)
風水の力の源。
俺や詩織は、派手な重機の動きや、破壊された店に気を取られて、その「根っこ」を見落としていた。
だが、亜美の「耳」は、その呪いの発生源を正確に捉えていたのだ。
「……すごいな、亜美」
俺は、震える亜美の肩に手を置いた。
「え……?」
「お手柄だ。君のおかげで、敵の急所が分かった」
亜美が指差したあの場所。
あそこにある「古井戸」こそが、風水建築士の力の源であり、同時に最大の弱点だ。
あそこを潰せば、奴の風水術は無力化できる!
「……私、役に立った?」
「ああ。最高のナビゲーターだ」
俺はニカッと笑って見せた。
亜美の表情が、少しだけ和らぐ。
「詩織ちゃん。亜美を頼む。店の中で安全な場所にいてくれ」
「はい! ……愁さん、気をつけて」
「亜美ちゃん、行きましょう。貴女が教えてくれた場所を、愁さんがきっと何とかしてくれます」
詩織が亜美を連れて店に戻るのを見届け、俺はフェンスに向き直った。
鎖は外れた。
急所も見えた。
あとは、あのふざけた工事現場にカチ込んで、元凶を叩き潰すだけだ。
「待ってろよ、風水屋。……“夜間工事”の時間だ」
俺はフェンスを飛び越え、敵陣へと足を踏み入れた。




