第九話 拒絶
婚約の手続きは、順調に進んでいたはずだった。だが、ある日突然手紙が届いた。
……イザベル嬢からの「婚約はできない」と告げる手紙だった。
(ここまで来て、いったいなぜ——?)
クレマンスは泣きそうな顔をしていた。私も、正直泣きたいくらいだ。
「……理由が、わからないのです。イザベル様は『公爵様は私にはもったいない方だ』とおっしゃっていましたが、先日の面会時のご様子とまるで噛み合わないのです」
(そうだ。あの時彼女は少なくとも、乗り気なように見えた)
私は、何とか一度、イザベル嬢と話したかった。その結果、断られても構わない。ただ、このままではあまりにも——
しかし、手紙を送っても「会えない」の一点張り。夜会にも出てこないので、現実的に会うこともできなかった。
まさか、強引に訪問するわけにもいかない。
(……こんな時は、仕事に没頭して忘れるに限る)
私は、資料を整理することで心を落ち着かせようと決め、王宮の執務室で無心で仕事をさばいた。
全て終えた時には、すっかり遅くなっていた。足早に回廊を抜けると、一つの影が目に入った。
大理石の床に、コツ、コツ……と硬質な音を響かせながら、人影が近づいてくる。
……エティエンヌだった。
今日は一人みたいだ。姫様の姿は見当たらない。
「どうしたんだ、こんな遅くに——」
「ブノワ殿」
彼の言葉には、有無を言わせぬ響きがあった。
暗闇の中、彼の影が揺らめいた。
「……やはり、ロネ侯爵令嬢とはうまくいかなかったそうですね」
「—–なぜ、それを……」
ひた隠しにして進めたつもりだった。なのに、なぜ……。
「お忘れですか?私はヴィアの婚約者ですよ。……王家の情報網を使えば、公爵家が隠した情報だとしても、探り出すことは可能です」
納得が、いかない。
「……なぜそこまでする?派閥の勢力争いのためなら、黙ってやればいい。わざわざ私に告げる理由は何だ?」
エティエンヌの目が怪しげに光った。
「そうですねえ。……強いて言えば、“意趣返し”というところでしょうか」
(意趣返し、だと……?)
「私が、お前に何をしたというんだ?」
私の言葉に、彼は冷笑を浴びせた。
「……うーん。あなたは、“何もしていないつもり”……なのかもしれませんね。ですが、私はあなたと違って性格が悪いので」
彼の言うことは、まるで要領を得ない。
「……いい加減にしろ。核心をぼかすのはやめてくれ」
無意識に、拳に力がこもる。
「……私としても、そうしたいところなのですがね。生憎、それをすると、ヴィアに怒られてしまうので。……では、これで」
彼は言いたいことだけを告げると、手をひらひらと振って去っていった。
(姫様が何だというんだ……お前は一体、何を考えている?)
私は、ざわめく心臓を抑え、立ち尽くしていた。
ただ、もはや見過ごせない。明確な証拠がないならば、調査を依頼すればいい。
そのために、明朝すぐに陛下に謁見しよう。それだけを心に決めて。
——私は、この時愚かにも「シャルル陛下は自分の味方だ」と……すっかり思い込んでいた。
《全12話予約済》毎日19:10更新/8月16日完結予定
核心を語らない癖に、会うたび絡んでくるエティエンヌ。
……あなたは、彼の真意を見抜くことができますか?
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