第三話 婚約
「ひ、姫様が婚約!?まだ三歳なのですよ……早すぎませんか!?」
その知らせを聞いた瞬間、私は思わず声を荒げた。
「まさか……正式な発表ですか?誰と、いつ、どうして……?」
焦った視線を巡らせるうち、私の手を握る小さなぬくもりに我に帰った。 姫様は、ぽかんとした顔で私を見上げていた。
そして、少しだけ首を傾げて——
「……わたし、こんやく?」
(ああ、今日もお可愛らしい)
まだ幼いのに、こんなに言葉を発せられるようになって。足取りもしっかりして来られた。幼児にして我々の会話を理解しているところからして、その聡明さは隠しきれない。
「ブノワ。お前はオクタヴィアではなく、私の側近候補だろう?……ちゃんと聴いていたか。……俺だって婚約するんだぞ」
姫様の成長に想いを馳せていると、シャルル殿下の冷たい声が降ってきた。
「……殿下は、私と同じ十三歳……ですよね。王族としては、……その、早すぎることはないかと。お相手は……カセリーヌ侯爵家の、ご令嬢でしたよね?」
口は勝手に動いていたが、心は全くついていっていなかった。
そうお返しすると、シャルル殿下はため息をついて肩をすくめた。
「急にまともに返されると、調子が狂うな。……いや、お前はオクタヴィアのことが絡まなければまともだったな」
(失礼な。私のどこがおかしいというのか)
姫様を見つめると、無垢な笑顔を向けられ、蕩けそうになった。
(子の父親というのは……こんなに幸せなものなのか?この子の望みなら、なんでも叶えてやりたい)
……気づけば、胸の奥に、父性とも言える感情が、静かに芽生えていた。
「お前も本当は分かっているだろう。……あの飢饉と戦争で、国の足元がどれだけ揺らいだか。安定を取り戻すには、俺とカセリーヌ家、それからオクタヴィアとラノワ家の縁組が……必要なんだよ」
殿下は淡々と説明した。……そうだ。全ては四十年ぶりに訪れた飢饉と、それに端を発した“小麦戦争”が原因だった。
* * *
ソレイユ王国は豊かな国だ。だが、誰もが知っている。……三、四十年おきに“神の試練”と呼ばれる飢饉がやってくることを。
だが、今回ばかりは……これまで以上に厳しい局面となった。
飢饉が起こったのは前年のこと。この危機を打開しようと、小麦の輸入交渉に挑んだエルマン辺境伯が失敗し、ヴァルディア帝国の侵攻を招いた——あわや領土を失うところだった。
颯爽と現れた、エルマンの寄子・ヴェルナン子爵ベルトラン公が辺境伯領を奪い返し、帝国と和平を結んで、新たな辺境伯に任命された。
辺境伯領だけが戦場になったため、王都や他領に住んでいる者たちには、戦争の実感は薄かった。……けれど、子どもながらにも、どこか空気が張りつめていたのは感じていた。
王家は保守派であるカセリーヌ家、貴族派であるラノワ家と手を結んでおくことが吉と判断したのであろう。
カセリーヌ家のエレオノール嬢は十一歳。品行方正で、勉強熱心との噂で、まさに王妃にぴったりのお方だ。
ラノワ家のエティエンヌは五歳と幼いながらも見目麗しく、すでに態度に気品が滲んでいる。勉学でもすでに才覚を発揮しているという。
いずれの縁組も、王家や殿下たちには最善と思われた。……あくまでも、理論上は。
(この小さな手を、もう他の誰かに託さなければならないのか……)
この娘を守るために生きていこうと、あの日、誓ったはずだったのに。
完全に父親気取りだった私は、幼い姫様を見つめ、密かに嘆いた。この娘を守るという誓いを、こんなにも早く、他の男に譲り渡すことになるとは思わなかったのだ。
——だが、この婚約が後に、私自身の立場を揺るがすとは——このときの私は、想像すらしていなかった。
《全12話予約済》毎日19:10更新/8月16日完結予定
王族たちの婚約が、ブノワの運命をどう変えていくのか。あなたの目で、真実を見届けてください。
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