080_未踏域への出航
プロメテウスの艦橋は静まり返っていた。
クラフトは艦長席に深く腰を下ろし、淡い光を放つコンソール群を見つめている。
照明は航行モードに切り替わり、薄い青の間接光がブリッジ全体を包んでいた。
指先に伝わるシートのわずかな振動。メインドライブが起動準備に入っている証拠だ。
視界の先、艦首モニターには、巨大ドックの隔壁が静かに閉じられていく光景が映っていた。
新しい船での初仕事。
クラフトの胸に微かな熱を灯していた。
大型探査艦。
長期航行を前提に設計された最先端の艦。
この銀河域で、未踏宙域へ単独進出できる艦はそう多くない。
そんな彼らのもとに届いた依頼は、傭兵ギルドの最上級案件だった。
依頼内容
遭難船舶の捜索と、乗組員二十五名の救助。
さらに、消息不明となった原因の究明と、脅威の排除。
報酬は20億クレジット。
30日を超えれば一日あたり一億の加算。
成功・失敗を問わず全額支払われるという異例の条件だった。
依頼元は鉱山開発公社。
新たに発見された開拓惑星〈ベローナ〉から鉱物輸送船が戻らなかったという。
航路上には小惑星帯はあるものの、ワームホールも存在しない。
海賊も出没しない未踏領域。
通信が途絶する理由は、あり得なかった。
リスクの判定さえできない案件に手をあげる者はいなかったのだろう
クラフトは依頼文を一読しただけで、受諾を決めた。
報酬額もさることながら、未踏領域でのミッションに強くひかれた。
ギルドの条件により、数名の専門スタッフが乗艦することになった。
医療スタッフ3名、科学者1名、戦闘用シャトルのパイロット5名。
彼らはいずれもギルドが信頼する精鋭だという。
クラフトにとっては“他者と船を共にする”こと自体も初めてのことだった。
クレアはナビゲーションシートに静かに座っている。
「キャプテン、エネルギーラインすべて正常。ドライブ起動準備完了」
彼女の声はいつも通り落ち着いていた。
「了解。ナビの状況は?」
「異常なし。航路演算は既に完了しています。出航指示を待機中」
クラフトは頷いた。
「カイ、スタッフの準備状況を確認してくれ」
「了解!」
若い声が響く。ブリッジのサブコンソールに座るカイが素早く通信ラインを開いた。
「こちらブリッジ。各員に伝達。準備状況を報告せよ」
すぐに通信ランプが点灯した。
『医療区画より報告。機材チェック完了』
『ラボより。観測機器、データリンクとも正常。プロメテウスの観測系は想定以上ですね』
落ち着いた男の声。
リスク不明のミッションに手を挙げた若き科学者だ。
『格納庫より報告。シャトル五機すべてスタンバイ完了』
短く、硬い軍人のような声が続いた。パイロットチームのリーダーだろう。
報告を聞きながら、カイがクラフトへ視線を向ける。
「全員、準備完了とのことです」
「いい仕事だ」クラフトは微かに笑った。
その笑みに、カイは少し誇らしげに胸を張る。
新造艦の初任務に緊張しているのは、彼も同じだった。
医療区画では、白衣姿の女性スタッフが手際よく器材を固定していた。
「まるで研究施設みたいだな……」と一人が呟く。
「軍用艦より設備が上かもね」ともう一人が笑った。
プロメテウスの医療区画は、ほとんど小型病院と呼べる規模を誇っていた。
ラボの中央で、プロメテウスの観測データベースを食い入るように見つめていた。
そこには過去数千年の観測記録、様々な宙域のデータが格納されている。
「この情報量、まるで銀河そのものを写し取ったようだ」
一方、格納庫では、五機の戦闘シャトルが整然と並んでいた。
パイロットたちは最終点検を終え、冷却剤の供給ラインをチェックしている。
彼らの眼差しは皆、鋭く、無駄がない。
彼らにとっても、未知への航行は久々の“本番”だった。
そして、全てが整った。
「艦長、全システム、正常稼働を確認。いつでも出航可能です」
クレアが最終報告を告げる。
「よし……」
「発進シーケンスを開始」
低く重い振動が艦を包む。
推進炉が次々と点火し、ブリッジの床をわずかに震わせた。
クラフトは静かに口を開いた。
「目標、未踏宙域セクターΘ-09。プロメテウス、出航する」
青白い光が艦尾から奔り、巨大な船体が星海を切り裂いた。
外の宇宙に、銀色の光が流れる。
それは、プロメテウスの船体が残した光跡。
やがて闇に溶け、消えていった。




