070_整備ドックの少年
エリジオン星系、主惑星ノアリス。クラフトとクレアは今日も船の打ち合わせに向かった。
連日続く船の仕様協議。最初の数回こそ、猫型ボディのナビも同席していたが、同じような話が繰り返されるだけと悟った頃には、同行をやめていた。
「今日は異世界探索に出かけてくるにゃ」
クラフトにそう告げると、ナビは猫型ボディのまま船から飛び出し、外界へと繰り出した。
遠隔操作で《シルバーナ》のエアバイクを呼び出し、市内を縦横に走る。公園、図書館、ショッピングモール……そして郊外にあるエアバイクレース場へと足を伸ばした。
場内では来週開催される年一度のエアバイクレースの予選が行われていた。
「ほほー、興味深いにゃ」
観客席の上で丸くなって眺めていたナビは、決勝進出枠が上位三機だと知る。1位と2位は最新鋭の機体を高度にカスタマイズしたチームのものだった。だが、3位の機体は明らかに型落ち、旧式機。辛うじて滑り込んだ形だった。
ナビはしばらく練習走行を観察し、整備ドックへ向かう。ほとんどの参加者はチームで整備を行っていたが、ひとりだけ、黙々と機体を整備する少年がいた。先ほど3位を取った古い機体の持ち主らしい。
ナビは彼の様子を観察した。
(AI支援ナビゲーションは旧型。リアクションタイムにラグがあり、補正制御も未対応。フレームにはカーボンチタンの疲労痕……補修も簡易溶接で済ませているにゃ。リアサスのバランサーも一世代前。現代規格のGバースト推進に耐えられる構造じゃないにゃ)
(このまま決勝に出れば、ブーストで機体が崩壊しかねないにゃ)
と、そこに少年がふとこちらに気づいた。
「お、猫じゃん。こっちおいでー」
両手をひらひらさせて手招きする。
「……猫ではないにゃ」
ナビは憤慨気味に抗議するが、少年は目を丸くした。
「しゃ、喋った……ペットロイドか?」
「違うにゃ。《シルバーナ》の戦術AIナビ。この姿は仮のボディにゃ」
しばし絶句した後、少年は吹き出した。
「なんだそれ、めっちゃ面白い。いや、ごめん、猫が喋って真面目な口調なの反則だろ」
少年は整備用の小さな刷毛を手に取り、猫じゃらしのように振り始めた。
「やめるにゃ、そんなことで反応するわけ――」
反応してしまった。
刷毛の揺れに猫の本能アルゴリズムが抗えず、ナビは自然と前足を伸ばし、じゃれてしまう。
「……ぬう……屈辱にゃ……」
「完全に猫じゃん。ほらほら、こっちこっちー」
笑いながらナビをからかう少年。
ひとしきり遊ばれたあと、ナビはぴたりと立ち止まり、整備中の機体を見た。
「この機体は、次のレースには出さない方がいいにゃ。推進ユニットの出力に対して、フレームのトルク剛性が足りていないにゃ。特にバースト加速時、左右のアームがねじれて荷重が偏るにゃ。制御AIがその補正をできない仕様なら、クラッシュは時間の問題にゃ」
少年の顔から笑みが消えた。
「……すげぇな。お前、本当に戦術AIなのか?」
「当然にゃ。設計補助モードを使えば、簡易な整備計画も立てられるにゃ。要望があれば、図面も引くにゃ」
「まじかよ。……そのうち、頼んでもいいか?」
「そのときは相談料ももらうにゃ」
少年はポケットをごそごそと探り、小さな茶葉の束を取り出した。
「じゃあ、これやるよ」
それを手渡されるや否や、ナビの嗅覚センサーがざわついた。
「な、なににゃこの香り……!」
猫型ボディのAIに組み込まれた本能反応。意識がふわりと浮き、ナビは地面に転がってしまった。
「ははっ、マタタビってやつさ。乾燥させた茶葉だよ。猫が好きな香りらしいけど、AIにも効くとはな」
「くっ……これは……けしからんにゃ……でも……すばらしい感覚にゃ……」
満足そうに目を細めて転がるナビを見て、少年はさらに茶葉を差し出す。
「ほら、もうちょい。明日も来るなら、もっと持ってきてやろうか?」
「……それは、いい提案にゃ」
ナビは正気を取り戻し、機体へ視線を戻す。
「さっき言いかけたにゃ、やはり次のレースは見送った方が……」
「わかってるよ。でも……」
少年はそれ以上言葉を継がず、代わりに笑ってナビの頭を撫でた。
「……あ、名前言ってなかったな。俺はカイ・レイン。よろしくな、戦術AI猫」
「ナビにゃ」
「ナビ、明日も来るか?」
「多分にゃ。今日の機体、直す気なら、もう少し詳しく見てやってもいいにゃ。……設計支援モードでにゃ」
「マジで? お前、もしかしてすげーやつなんじゃ……」
「今さらにゃ」
カイはポケットから小袋を取り出して渡した。
「じゃ、これやるよ。仕事戻るから。またな」
少年が立ち去る背を見送りながら、ナビはマタタビ茶葉を大事そうに抱えた。
「……未知との遭遇にゃ」
そして、次の日もまた、ナビはエアバイクを遠隔操作してレース場へと向かうのだった。




