060_賭けの始まり
予選ラウンドは日を追うごとに加速していた。
初日の「4000→2000」から始まり、その数は日々半減して行く。観客席も盛り上がりを増し、注目選手ランキングやSNSのタグも賑わいを見せていた。
だが、そこにクラフトの名前はない。
出場記録には確かに残っている。だが評価は毎試合“紙一重の勝利”。命中率・被弾率ともに地味。試合動画の再生回数も少なく、ファンすらついていなかった。
それはクラフトが意図的に仕組んだものだった。
――戦わずして勝ち、勝ちながら目立たず。
レーダーの死角を使い、同型機相手に1:1の構造を読み切ってロックオンの隙を消す。彼は、見ている者に“強さ”ではなく“凡庸”を見せていた。
「お見事、五連勝です」
五回目の勝利が決まった日、運営オペレーターが淡々とそう言った。
成績は、すべて“C”〜“C+”。だが通過は通過。着実に、だが誰にも気づかれずに、クラフトは最終段階「128人選抜」の枠内に足を踏み入れていた。
選手が128人に絞られた時点で、優勝者を当てる賭け、トップベットが開始される。
「あの戦闘ででここまで来るなんて普通ではないにゃ、……」
ナビがホテルのベッドで寝転がりながら、勝率予測AIの出力を眺めてつぶやいた。
「クラフトの順位、現在112位。だけど注目度ランキングは最下位にゃ。オッズは――」
端末に表示された。
《優勝時倍率:521倍》
それはクラフトが優勝すれば掛け金が521倍になることを意味する。
「うわー、高すぎるにゃ……。賭けたやつ全員億万長者にゃ」
その声を背に、クラフトは窓辺でバスローブ姿のまま紅茶を啜っていた。
「いい数字だ」
「その顔、まさか本当に賭ける気なんじゃ……」
「いや。俺が賭ける必要はない。これから目をつけた連中が、勝手に投資してくる」
「……って言うと思った?」
クラフトは紅茶をテーブルに置き、端末に指を滑らせた。
ベット画面を開き、迷いなく入力欄へ金額を打ち込む。
『1億クレジット』『2億クレジット』と試してから、最終的に『5億クレジット』で確定ボタンに親指をかける。
「自分でも賭ける。5億クレジット」
「だめ、絶対だめ!?」
クレアが素っ頓狂な声を上げて、クラフトの端末を取り上げた。
「今なんて言いました!? 5億って!? 通貨の単位間違ってませんか!?」
「いや、5億で合ってる。オッズが高いうちに仕込んでおけば、後が楽になる」
「楽になるじゃないにゃ! その感覚おかしいにゃ!」
ナビも飛び起きて抗議する。「優勝できるかもわからないのにそんな大金突っ込むとかありえないにゃ!!反応弾でも買った方が有効にゃ」
「別に負けても有り金全部失うわけじゃない」
クラフトは平然としていた。「リスクは管理してる。本気を出せば――」
「ダメです」
クレアが断言した。「冷静に見て、それは無謀です。もっと現実的な金額にしてください」
「せめて……1億以下にゃ」
クラフトは肩をすくめた。
「じゃあ、三億」
「減ってないです! まったく減ってないですから!」
クレアとナビは1億以下に抑えるように言ったが、クラフトもなかなか折れず、結局1.5億クレジットに落ち着いた。
クラフトは最後に小さく笑った。
「……あれはもう“ギャンブラー”の顔にゃ……」
と、ナビがぽつりと呟いた。
クレアの自室
「ねえナビちゃん、あの船いくらだったかわかる?」
ナビは小さく耳をぴくりと動かし、答える。
「オプション入れずに、700億クレジットにゃ、クレア、傭兵には過ぎた装備にゃ」
「……そう。やっぱり、少し足りないわね」
クレアは少し考えた後、ベット画面を開き入力する。
ナビはクレアを見ていた。
「……ああ、また一人、正気の世界から離れていくにゃ」
ナビは目を閉じて、深々とため息をついた。




