052_それぞれの残響
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●クラフトとレオン
クラフトとクレアがホテルの最上階レストランに姿を現したのは、帰還の翌朝——街がまだ騒然としていた頃だ。大窓の外には朝陽が差し、港の水面がきらめいている。ビュッフェ台には新鮮な海産物と色とりどりのサラダが並び、二人は好物を指さし合って笑った。
「このタコ、プリプリです。ぜひ」
「お前の味覚センサーには敵わないよ」
そんなやり取りの途中、控えめな足音が近づいてきた。
「良い朝だね、傭兵殿」
声をかけたのは、白銀の髪に蒼い瞳をたたえた青年——ソレント帝国第二皇子、ユリオス・ヴァル=ソレント。その後ろには、いつものようにレオン少佐とゼフィリウス中尉が控えていた。ユリオスは丁寧な微笑を浮かべながら、二人の前に立った。
「無事なご帰還、何よりだった。君たちが王女殿下の救出に果たした役割は、帝国でも大きく報じられているよ。特に、キャプテンクラフト、あなたの判断力と行動力には、我々も深い印象を受けた」
「……お褒めにあずかり光栄だが、俺たちはただの仕事人だ」
クラフトは苦笑しながらも、礼を欠かさない程度に返す。ユリオスはその言葉に軽く頷き、少しだけ歩調を緩めて窓辺に目を向けた。
「この都市も、ようやく落ち着きを取り戻しつつある。被害は大きかったが……守られた命も多かった。君たちのおかげだ」
その穏やかな口調には、皇族の格式よりも一人の軍人としての率直な敬意がにじんでいた。そして、少し間を置いて、ユリオスは声の調子をわずかに変える。
「ところで……明日には我々もソレント星系へ戻る。レオン少佐も、ゼフィリウスも同道する。そこでひとつ、正式にお誘いしたい」
「誘い、ですか?」
クラフトが眉を上げると、ユリオスはゆっくりと口にした。
「君とクレア嬢を、帝国の技術調査局へ招きたい。正式な顧問契約を前提に。——もちろん、無理にとは言わない。だが、君たちの能力が、帝国にとっても新しい風をもたらすと私は信じている」
場の空気がわずかに変わる。ユリオスはすっとレオンへ視線を向けた。
「少佐は、どう見る?」
レオンは一瞬沈黙し、それから静かに答えた。
「判断は自由だ。だが、君のような者と再び肩を並べる機会があるなら……それは望ましいことだ」
その言葉に、ゼフィリウスが目を丸くする。クラフトは肩をすくめて笑った。
「ありがたい話だが、俺にはまだ見て回りたい星系が山ほどあるんでね。気ままな旅暮らしは、やめられそうにない」
「……そうだろうとは思っていた。けれど、聞いてみたかったのだ」
ユリオスは、失望の色をまったく見せず、穏やかな笑みのまま手を差し出した。
「君の旅の無事と、次の再会を願おう」
クラフトもその手を握り返す。ごく短く、しかし確かな握手。続いてレオンが無言で右手を差し出し、硬い手袋越しに力を込める。彼なりの礼だった。
「少佐が自ら握手とは珍しいな」ゼフィリウスがひそひそと茶化す。「しかも“歓迎”などと」
「黙れ、ゼフィリウス。殿下の前だ」
三人はゆっくりと立ち去っていく。去り際、ゼフィリウスは振り返り、大げさにクレアに手を振った。
静かになったテーブルに、カトラリーの音だけが戻ってくる。
「次に会うときは、敵でしょうか?」
クラフトは応えなかった。ただ、窓の外に視線を移し、コーヒーをひと口含んだ。
●フェリクス&クラン(聖騎士たち)
聖騎士団宿舎に戻ったフェリクス・リオン中尉とクラン・セリュース少尉は、重厚な石造りの回廊を歩きながら、互いの無事を確かめ合うように言葉少なに笑みを交わしていた。空は赤く染まり、城塞都市の鐘楼が刻む時間の音が、どこか祝祭の始まりを告げているようだった。
「……やっと、帰ってこられたな」
「まったくだ。腹が減ってどうにかなりそうだ」
扉を開けると、そこには盛大なパーティーの準備が整っていた。食堂の中はろうそくの光に満ち、香ばしい肉の匂いが立ち上る。長テーブルには豪快に焼かれた獣肉、山盛りのパン、香草とともに煮込まれた根菜のスープが並んでいる。部屋のあちこちから笑い声と拍手が巻き起こり、若き騎士たちが二人に杯を差し出す。
「英雄が帰ったぞ!」
「フェリクス中尉! お前の報告、もう全員知ってるぞ!」
「乾杯だ!」
フェリクスは苦笑しながら差し出された杯を受け取り、グラスの中の琥珀色の酒を一気に喉へ流し込む。その強い芳香と熱が一気に胸を焼いた。
「……これは、帝国の上層部しか飲まないっていうやつじゃないか?」
「勝ち取ったんだよ。この場を、俺たちで」
クランが肩を叩く。二人は再び杯を掲げ、声を合わせて乾杯した。夜が更けるごとに、歌と笑いが食堂を満たしていく。新人騎士がリュートをつま弾き、古参が即興の詩を読み上げ、戦友たちは互いの健闘を称え合った。
ふと、フェリクスは自分の杯を見つめる。その底に映るのは、救出作戦中、セシリア王女が見せた毅然とした姿だった。戦場の混乱のなかで、怯える子供を抱きしめ、先に逃がし、自らは最後に残ったあの姿。
「……あの方は、本物の“騎士”だ」
「ん?」クランが眉を上げた。「どうかしたか?」
「いや。……誇れる主君を持てて、俺たちは幸運だな」
フェリクスの言葉に、クランは少し驚いたように笑ってから、もう一度杯を掲げた。月が昇り、祝いの夜は続いていく。だが、その心の奥では、誰もがそれぞれの“次”を静かに思い始めていた。
●セシリア王女
王城北翼の専用居室。その白を基調とした部屋に、柔らかなオレンジ色の夕陽が差し込んでいる。セシリア・リュミエール=エクシオール王女は、帰還直後のメディカルチェックを無事に終えた後、自室に戻っていた。医師団による診断結果は「異常なし」。だが、心の奥に宿った疲労感は、まだ言葉にできなかった。
室内では、専属侍女ミレーヌが静かに動いていた。温めたハーブティーを銀盆に乗せ、王女の前にそっと差し出す。
「今夜くらいは、ご自分を労ってくださいませ」
「ありがとう、ミレーヌ。心配をかけたわね」
ティーカップを手に取ったセシリアは、一口すする。ほんのり甘い香りが、緊張した身体にじわりと染みていく。
窓の外に目を向けると、王都の街並みが夕焼けに包まれていた。塔の先に灯る明かり、家々の窓から漏れる光。それらが確かに「帰ってきた」ことを告げている。
だが——
「……あのコロニー、最終的な被害は?」
不意に、静かな声でセシリアが問いかけた。ミレーヌは一瞬ためらったが、ポータブル端末に目を落としながら答えた。
「現時点の集計では、民間人の犠牲者は43名。うち子供が……3名と……」
言葉の終わりがかすれる。セシリアの指先がわずかに震えた。カップを皿に戻し、両手で膝を押さえる。
「……そう。ありがとう」
しばらくの沈黙が流れる。セシリアは窓の外を見つめたまま動かない。まるで、その光のどこかに自分が助けられなかった命を見ようとしているかのように。
「私が違う行動を取ったらもう少し犠牲者は減ったかしら?」
「分かりません。ただ、王女が身代わりになった子供たち、全員無事で、感謝の言葉を述べておりました。ニュースで良く取り上げられています」
「そう」
彼女は立ち上がり、静かに窓辺へと歩み寄った。レースのカーテンが風に揺れる。どこか遠くで、鐘の音がかすかに鳴っていた。
侍女がそっと、別の話題へと切り替える。
「……ユリオス殿下からのお手紙、お返事はどうなさいますか?」
その名を聞いた瞬間、セシリアは少しだけ瞳を伏せた。
「“ありがとう”だけで、いいわ。今はそれ以上、何も言えない」
短い答えだった
風がカーテンを揺らし、ティーカップの中の液面がわずかに波打つ。彼女は机の上に置かれた書きかけの手紙に一言だけ加えた。
《またいつか、平和な場で会えることを》
淡金色の髪を整えながら、セシリアは深呼吸する。明日には、王族としての公務が再び始まる。だが、今だけは——一人の女性として、心の中の余韻と、悔恨と、静かな祈りに身を委ねていた。
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