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プロローグ

これはクラフトが生まれる数十万年前の物語


   *  *  *


恒星暦217865年・移民船ネメシス航行12年目

艦内標準時間、17時43分。

中央デッキ近くのカフェエリアでは、勤務を終えた技術班のスタッフがちらほらと集まり始めていた。

人工重力の効いた空間に、機械的だが適度に調整された照明が柔らかく光を落とす。

「お疲れ、クラフト。今日も《ナビ》とお見合いか?」

そう声をかけてきたのは、情報処理部門主任のセイ・ホシノだった。

濃紺の作業スーツを少し着崩し、手にした合成タンブラーから湯気が立っている。

「お見合いっていうより、尋問だな」

クラフト・ヤマモトは肩をすくめた。

「《この状況では、政治学者はどのように判断するか?》《電力系統が48%失われた場合、文化伝承はどのように行うべきか?》……そんな質問が何百パターンも連続で飛んでくるんだぞ。もう俺の脳は蒸し焼きだよ」

「そりゃまたハードだな……で? 例の種族保存プログラム、進んでるのか?」

クラフトは苦笑しながら、合成コーヒーをひと口啜った。

芳香は悪くない。だが、それ以上の感想も浮かばない、そんな味だった。

「ほぼ完成ってところだ。遺伝情報の抽出と保管は医療チームに任せてる。俺はナビの学習と、各知識の整理、再構成アルゴリズムの設計を担当してる」

「再構成アルゴリズム?」

「うん。仮にさ、文化担当者も技術者も誰も再生できなかったとする。それでも最低限、人類を“再生”できるようにするため、知識や記憶の断片をひとつに集約する仕組み。一人に全分野の知識を詰め込む……そんな無茶な設計だよ」

「なんでそんなややこしい仕組みにしたんだ?」

「……最後の保険だ」

クラフトは、少し目を伏せた。

「この船の乗員がみんな死んだとき。せめて“誰か”一人が火を灯し、なおせるようにする。その火がたとえ小さくても、次に燃やす者に繋がればいい」

「でもさあ……」セイは少し顔をしかめた。「それって、再生された人間に全部背負わせるってことだろ? それって……生き地獄じゃないか?」

「かもな」

クラフトは苦く笑った。

「でも、責任を背負える奴が誰もいなければ、何も残らない。俺たちは未来を目指して、こうして宇宙を旅している。いつの時代も人間は、前の世代からバトンを受け取り、次の世代に渡している。それは過去も今も、未来も変わらないさ」

その言葉に、しばし沈黙が流れた。

近くの卓では、別の乗員たちがチェスのような電子ゲームに興じている。

あまりに平和で、あまりに遠くまで来てしまった人類の光景。

「……ま、使われることはないだろうけどな」

クラフトが言うと、セイは吹き出した。

「だよな! こんな船、そう簡単に壊れやしないよ。設計したのお前だろ」

「それはそうだけど、宇宙には未知の要素が多すぎる。リスクはゼロじゃない。……それよりもさ、俺が今本気で頭抱えてるのは別件だ」

「おっ、聞こうじゃないか。クラフトが本気で困ってるネタなんて、珍しいな」

クラフトは、胸ポケットから小さなパネル端末を取り出すと、そこに写し出された画像を見せた。

それは――大破した宇宙船の残骸だった。すでに稼働は止まっている。構造は明らかに人類のそれとは異なり、表面には文字のような模様がびっしりと刻まれていた。

「この間、スイングバイ中に接近した重力異常領域で拾った未知の宇宙船。機体の素材も、エネルギー構成も、何ひとつ既知のものと一致しない。しかもこの**“言語らしきもの”**が、いまだに一文字も解読できてない」

セイが顔をしかめる。

「エネルギー源は?」

「そもそも“エネルギー源”って概念が合ってるのかどうかすら怪しい。粒子レベルで見たら、時空を“撚る”ような挙動がある……超弦理論の応用? いや、全く別の物理法則のもとに作られてる可能性もある」

「つまり――ぜんっぜんわからんと?」

「そう」クラフトは頷いた。「もう、保存するしかないって結論になりそうだ。いつか、人類がもっと理解力のある状態にまで進化したら解読されるだろうって、未来に丸投げだよ」

「それ……兵器とかだったらどうするよ?」セイは低い声で言った。「人類がようやく平和を手にしたあとに、過去の遺物でまた殺し合いが始まるとか……最悪だろ」

「そうだな」

クラフトは真剣な顔でうなずいた。

「でも、逆もある。医療技術かもしれないし、エネルギー問題を根本的に解決する方法かもしれない。だから、今の俺たちの価値観で判断はしない。記録して、タグを付けて、封印しておく」

「“未知”のまま保存するって、勇気いるな」

「ある意味、種族保存プログラムと同じだよ。今わからないけど、未来に賭ける」

「何かメッセージでもつけておいた方がいいんじゃないか?」

「データの閲覧パスワードを設定してあるよ」

「どんな?」

「開こうとすると、パスワードの入力が促される《これは過去の人類からの遺産である、我々が未来の子孫に望むことをパスワードとして設定した。答えよ》」

「ぜってーわからないだろ」

ふたりは笑いながら、手元の飲み物を口に運んだ。

移民船の重力調整音がかすかに鳴り、天井の照明が夜モードへと切り替わる。

「なあ、クラフト」

セイがふと、唐突に尋ねた。

「……もしもの話だけど。もし本当に、**この船がダメになって、お前のプログラムで再生された“誰か”が一人だけ生き残ったとしたら――そいつは、お前のことをどう思うと思う?」

クラフトは、しばらく考えた。

「……うーん、どうだろうな。怒るかもな」

「“なんで俺だけがこんな重荷背負ってるんだ”って?」

「そう。でも、たぶん……同時に、少し感謝もしてくれると嬉しい」

クラフトは穏やかに笑った。

「自分がただの偶然じゃないって知ることは、孤独な宇宙じゃ、意外と大きな意味を持つと思うんだ」

「……そいつ、いい奴だといいな」

「ああ。たぶん、俺より優秀だ」

ふたりは軽く笑い合い、また沈黙が流れた。

この会話が、何十万年後かに誰かの耳に届くことを――ふたりは、ほんの少しだけ願った。


   *  *  *

恒星暦217866年・移民船ネメシス航行13年目

移民船ネメシスの航行ログ、終了記録より。

スイングバイ中に観測されたブラックホールの重力異常により、船体右舷の主推進スラスターが破損。復旧は不可能と判断され、乗員は最寄りのM型惑星「エノア」への移住を決定。

幸いにも、人的損害はゼロだった。

「こんなところで終わるなんてな、もう少し先まで行くつもりだったのに」

クラフト・ヤマモトは自室で最後の作業に取りかかっていた。

ナビゲーションAIとの会話も、これで最後になる。

「……人類の痕跡はすべて消した。通信記録も、航路も、ビーコンも」

「種族保存プログラムも、ですか?」

「停止した。でも、別のかたちで再起動させる。ネメシスに次の危機的な状況が訪れる1年前に俺自身の複製を作るようにセットした」

「それは、設備の私的流用に当たるのでは?」

「ああ、そうなるな」

「もっと自由に星の海を渡ってみたかったんだ」

「この船にそれをとがめるものはもういません。しかし、危機的状況の1年前というのはあまりに短いのでは?」

「うん。俺ってさ、ギリギリの方が頭が回るんだよ、昔から」

苦笑して、クラフトはナビに背中を向ける。

「すまない、ナビ。お前を……連れていけなくて」

「いいえ。私の分身が、あなたたちと共に行きます。

そして、たとえ私の存在が消えても……次の私の分身は、未来に生まれる“あなた”と旅を続けるでしょう」

「クラフト。どうか、あなたの旅が終わりではなく、始まりでありますように」

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