ミッドサマー・イヴ - Festa de São João
高度を下げたICON・A5の視界いっぱいに、オレンジ色の街並みが広がった。
ゆるやかに蛇行する大河を抱くようなその街は、狭い通りの両側にところ狭しと石造の建物が軒を連ねていた。
建物の壁は白色だったり茶色だったり灰色だったり様々だが、屋根の色はすべてオレンジで、レンガを敷き詰めた舗道の上を飛んでいるような気分になった。
ひときわ高くそびえる教会の尖塔をかすめ、ロマネスク様式の双塔とゴシック様式の回廊を持つ大聖堂の真上を飛び、深くえぐられた谷底に流れる青緑の川を越えたところで、わたしは機体を右旋回させた。
ダウンウインド・レグに入り、着水エリアを確認しながら河口まで飛ぶ。
高度を下げながらUターンして、コンクリートの高速道路橋の下をくぐり、川面すれすれまで降下してファイナル・アプローチに入る。
行き交うクルーズ船や停泊しているラベーロ船の間をすり抜けるように、わたしは飛行艇を川面に着水させた。
水しぶきに濡れるキャノピーの視界に、鉄骨が描くカーブが美しいアーチ橋の威容が迫ってきた。
上下二段の橋桁を半円形の鉄骨アーチで支えるという、一目見たら忘れられない造形美は、ギュスターヴ・エッフェルの弟子が設計したものだ。
下段の橋桁を自動車が往来し、上段の橋桁をメトロの電車がゆっくりと渡る。歩道も通っているので、上段からの眺めはさぞや爽快だろうと思う。
飛行艇を岸壁に横づけし、コックピットから石畳に降り立つ。
潮の香りと初夏の熱を含んだ川風に、わたしの白い髪と、白いワンピースのミニスカートが揺れる。
待っていた随員に飛行艇のキーを渡すと、彼女は代わりに二輪の紫色のニンニクの花を差し出した。
空を見上げると、夏至を明日に控えた真っ青な大気が、カラフルな街並みの上空を満たしていた。
*
公園の緑と修道院の石壁が車窓をすぎると、メトロは深く落ち込んだ峡谷を鉄橋で渡る。
四十五メートルの高さから見晴らす景色は圧巻だ。
オレンジの屋根の街並みは大河の両岸の段丘を埋め尽くし、それでも足りないとばかりに崖にも張り付いている。
谷底の川面には、茶色い平底のラベーロ船がいくつも停泊し、その間を大きなクルーズ船がさかのぼって行く。
ふと視界をかすめたカモメの行方を追うと、白い小型の飛行艇が水しぶきを上げて川面に着水するのが見えた。
私は、眼鏡のずれをなおして、その機体を追う。
特徴的なその機影は、ICON・A5だとすぐにわかった。
デモフライトで一度乗せてもらったことがあるが、エンジンとプロペラが操縦席の後ろにあるので、視界がじつに開放的だった。
あんな飛行艇で自由に空を飛び回れれば、さぞや爽快な気分になることだろう。
人を殺すためではなく、人を楽しませるための飛行機。それは幼い頃の私には、想像もできないものだった。
わき起こった感慨を振り切って、私は車窓の左手の彼方に目を凝らす。
大聖堂の双塔の左奥に、その巨大な館は、存在感を誇示することもなく、街並みに溶け込むように建っていた。
地下に潜ったメトロは、すぐに駅に停まった。
多くの観光客に混じって電車を降り、入り組んだ石畳の通りをたどって、その館を目指す。
だが……。
出向いたところで、面会がかなう保証はなかった。
エージェントを通して申し込んだ取材の希望は、きわめて丁寧かつ明快に断られていた。今日は特別な日だから、もしかしたらと思って訪れたが、空振りになる可能性は高い。
それでも、こうして足を運ぶことから、私の仕事は始まるのだ。
*
岸壁からエレベータを昇り、石畳の通りを歩いて、わたしはそのカフェに入った。
アール・ヌーヴォー様式のちょっと猥雑な内装だけど、開店から百年ちかく過ぎた時間の重みが落ち着きを与えていた。
この街でカフェといえばここ、というくらいの名店だし、サン・ジョアン祭の最中でもあるから、空席を待つ客もいた。
黒服にボウタイ姿が初々しい若いドアマンに、予約している旨を伝えると、彼はじっとわたしを観察したあと、奥まった静かな場所にある席に案内してくれた。
エッグタルトとポートワインを注文してから店内を見まわすと、ななめ前の席に、多くの客に混じってもなお目を引く美女が座っていた。
ノースリーブに見える白のワンピースには、袖口と胸元に鮮やかなアズレージョの青い花柄が咲き誇っている。歳のころなら二十台後半くらい。同性のわたしでも見とれるくらい、均整の取れた工芸品のようなたたずまいの女性だった。
カップにそえた左の手首には黄金の腕輪があって、赤い四つの宝石がきらりと光った。
彼女の向かいの席には、彫が深くて大きな目が特長の男が座っていた。
男は、テーブルにCDと紙箱を出しながら、笑顔でなにかを説明していた。ヨーロッパでも指折りのオーケストラの名前や、クラシックの名曲の名前が会話に混じっていた。
彼女も笑顔で会話に応じ、やがて二人は席を立った。
男は大きな目をちらりとこちらに向けただけで店を出ていったが、彼女はわたしの前で足を止めて「こんにちは」と告げた。
「この街には、バカンスでいらしたの?」
とりすました笑顔のなかから、今日の空を思わせる澄んだ水色の瞳が、わたしを凝視している。
わたしも彼女を見つめ返しながら、その笑顔に、そのまなざしに、そして彼女自身に秘められたものを探る。
さきほどのドアマンが、カウンターの前から、彼女とわたしの様子を心配そうに見ている。
つかの間の沈黙のあと……。
大丈夫だと、わたしは確信した。
四つの星を持つ彼女からは、濁りのない気品だけを感じた。これなら、わたしのやるべきことはないだろう。
わたしは、彼女の問いに「そうだよ」と心からの笑みを返した。
「ねえ、これから、わたしに付き合わない? 明日の朝露がかかるまで。お祭りなんだから、今日くらいは面倒な人とのことなんて、放り出しちゃえばいいじゃない」
彼女もまた、ふっと破顔する。
「せっかくだけど、お断りするわ。貴女こそ、面倒な役目なんて放り出して、お祭りをお楽しみになれば? じゃあ、Bom São João (よいサンジョアンを)」
彼女はそう答えると、わたしに背を向けてゆったりとした足取りで店を出ていった。
その後ろ姿の頭のあたりに、わたしはニンニクの花をかざす。
「お互いさまってことか。じゃあ、Viel Erfolg(幸運を祈る)」
*
坂をいくつか登り下りしただけで、ひと汗をかいた。
私はサマージャケットを脱ぎ、シャツのボタンをひとつ外した。
その館の前からは、左手に大聖堂の双塔と鉄骨造二段式のアーチ橋を、目の前にはオレンジの屋根の街並みを、右手には深い峡谷の底を流れる川を一望できた。
こんな眺望を毎日のように眺めて暮らしていれば、あるいはこの街の王のような気持ちになるかもしれない。
私は不遜にも、そんな感想を持った。
館の主への面会は、やはりかなわなかった。
応対に出てきた執事は、品のいい笑顔を絶やさなかったが、その目はすこしも笑っていなかった。終始、丁重な受け答えだったが、とりつく島もなかった。
私は館を後にして、一族の人物がときおり出入りするという教会に向かった。
その教会は、公園と裁判所に面したありふれた三叉路の隅に、街並みに埋もれるように古めかしい姿を見せていた。
礼拝堂に入ると、高い窓から差し込む光はあるものの、堂内はほの暗かった。正面に金色の祭壇があるほかは、これといって目をひくものもない。
祭りでにぎわう街中とは違って、堂内はひっそりとしていた。
てっきり無人だと思ったが、静謐な雰囲気に似つかわしい姿の、ひとりの女性が床にひざまずいていた。黒い服に身を包み、祭壇のマリア画には見向きもせず、大理石の床を見つめている。
やがて彼女は、胸の前で十字を切ると、ゆっくりと立ち上がった。そして、祭壇に進むこともなく、まっすぐにこちらに歩いてきた。
私は、通路から椅子の間に入って道を譲った。
彼女は、私の前で足を止めると、「ありがとう」と礼を告げた。
歳のころなら四十台後半だろうか。上等なワインのように、重ねた歳月が熟成させた風格を感じさせるたたずまいだった。
地味な黒地のワンピース姿だが、身体にフィットした仕立ては、あきらかにフルオーダーだった。持ち物も含めて調和のとれた装いだったが、左手の赤い宝石が二つ付いた金色の腕輪だけが異彩を放っていた。
彼女は、シルバーに近いグレーの瞳を私に向けた途端に、浮かべていた愁いの表情をすっと消した。
「ようこそ、この街へ。こんな地味な教会に、わざわざおいでになったのですか?」
礼儀正しいが、どこか冷たさを感じさせる、挨拶と問いかけだった。
私も仕事用の笑顔をつくり、「いいえ」と答えた。
「ただの通りすがりです。ちょっとお伺いしたいのですが、なぜ祭壇の前で礼拝をなさらないのですか。あの場所に特別なものでもあるのですか?」
私の問いに、彼女もまた、笑顔を整えて答えた。
「見て楽しいものなど、ありません。祭壇の前に行かなかったのは、その必要がないからです。神はどこにでもおられる、と申しますから」
敬虔なカトリック信者を思わせる返答だが、なぜかそこには、神への崇敬や期待は込められていないように感じた。
だから私は、言わずもがなの言葉を口にしてしまった。
「私は、神など、どこにもいないと確信しているのです。てっきり、貴女も神に失望しておられるのかと思いまして」
彼女は、口元をわずかにゆがめて「そうですか」と言い残し、礼拝堂を出ていった。気がつくと、一人の黒服の男が、彼女の背後に付き従っていた。
二人の背中を見送ってから、彼女が祈りを捧げていた場所に行く。
補修でもしたのか、床の大理石がそこだけ新しくなっていて、『Et in Arcadia ego』という言葉が彫られていた。その意味に思いをはせたとき、背後からクリスタルのような硬質で冷たい女の声がした。
「『私はアルカディアにもいる』、だね」
振り向くと、そこには先ほどの女性とはまったく逆に、ここの雰囲気にはいかにもそぐわない身なりの少女がいた。
真っ白なロングヘアと、真っ白なチュールのキャミソール・ワンピース。全身が白づくめだが、私を見上げる瞳は、一方がルビーのように赤く、もう一方はサファイアのように青かった。
白い少女が、言葉を続ける。
「ニコラ・プッサンの絵画『アルカディアの羊飼い』に書きこまれた言葉だね。いわゆる、メメントモリのことだと解釈されている」
少女の透き通った声は、私より低い位置から発せられているのに、まるで礼拝堂の天井からふりそそぐお告げのように聞こえた。
私は、深呼吸をひとつしてから、率直な感想を口にした。
「さすがに博識だ」
ふっと、白い少女は笑みを浮かべた。
「これくらいは、一般教養だからね。……意味が気になるの?」
私は正直に、「ああ」と頷いた。
「『楽園にも死がある』などと、教会には馴染まない文面だ。あの貴婦人が、これに祈るというのも不自然だしな」
私の疑問に、少女はあっさりと答えを返した。
「アナグラムだよ。並べ替えると『I tego arcana dei』となる。『私は神の秘密を埋めた』ってね。もっとも、なにを埋めたのかは、あの御夫人に尋ねても教えてくれないだろうけどね」
それは、おそらく文面どおりの意味ではないだろう。
私は、探りを入れることにした。
「神の秘密といっても、聖遺物などではないのだろう?」
少女が、こくんと頷く。
それで、私にもおおよその察しはついた。
「やはり、墓か。だが、ならばなぜ墓碑銘ではなく、こんな言葉を刻むのだ?」
私の疑問を想定していたかのように、少女はふっと笑った。
「彼らのことが知りたい?」
私は「ああ」と頷いた。
少女は、祭壇に現れた司教を一瞥すると、声を潜めた。
「出よう。ついて来て」
通りに出た少女が、さりげなく手を上げる。
どこにいたのか、シルバーのメルセデスベンツSLRマクラーレンのロードスターが目の前に停まり、運転席のガルウイングドアが跳ね上がった。
降りてきた黒服の女性は、少女にキーをわたすと、助手席のドアも開けて私に着席を勧めた。
*
街を東西に貫くメインストリートを西に走り、氷山をさかさまに地面に埋めたような音楽堂を通り過ぎると、緑の多いエリアに入る。
そこは建物がぎっしりと軒を連ねる市街地と違い、ゆったりとした庭を持つ豪邸が立ち並んでいた。
一軒の邸宅の前で、わたしは車を停めた。
手入れの行き届いた庭の奥に、水色の壁に白い窓とバルコニーを配したファサードを持つ、上品なたたずまいの館が建っている。
開かれた窓には、白いレースのカーテンが揺れていた。
耳をすますと、通りを走る車の騒音の合間に、ヴァイオリンとピアノの音が聞こえてきた。
サン・サーンスの『序奏とロンド・カプリチオーソ』だった。
メランコリックなメロディが切々と歌われたあと、ヴァイオリンとピアノの演奏が一気にテンポをあげて走り出す。そして、「気まぐれに」という意味のカプリチオーソという曲名のとおり、ヴァイオリンとピアノがそれぞれに踊るようなメロディを奏で、掛け合いながら曲は進む。
その演奏は、聞き覚えがあるようで、けれど以前に比べて音にまろやかな深みが増したように思えた。
「あのひねくれ坊やも、ずいぶんいい音を出すようになったね。ピアノとも、ちゃんと息を合わせてるし」
助手席で音楽に耳を傾けていた彼が、ぽつりと問う。
「知り合いかい?」
「さあね。だって、ヴァイオリンの奏者は幽霊だから」
「どういう意味だ?」
からかわれたとでも思ったのか、彼の言葉にとげが混ざった。
わたしは、はあっとため息をつく。
「言葉通りの意味だよ。たしかな筋の情報によると、奏者は何年も前に亡くなった、かの一族の前当主だとされてるんだよ。でも、生前のその人は楽器の演奏が大の苦手で、あんな難曲を弾きこなすなんて芸当は、できるはずがない。つまり、そういうことだよ」
彼はしばらく考えたあとで、「スペアということか」とつぶやいた。
わたしは「リザーブというべきだろうね」と答える。
「この世界には、いにしえから受け継がれているものを守るためのシステムが、人知れず稼働しているらしいからね」
彼は、眼鏡の反射でそのまなざしを隠し、咳ばらいをした。
「そのシステムが、社会通念上妥当で許容できる程度のものであれば、それは家族の問題だから私の出る幕ではない。だが、もしそうでなければ……」
わたしは、「もう、いいじゃない」と彼の言葉をさえぎった。
「つまらない話なんかやめて、食事にしない? 今日だからこそ、味わえるものがあるんだよ」
彼は、いかにも不満そうにわたしを睨んだ。
館から聞こえてくる音楽は、快活なメロディを奏でて盛り上がると、あっけなく終わった。
わたしは、ちいさな拍手を送った。
そして、二輪の紫色の丸い花をリボンで束ねた。
「カーテンコールには、応じてくれないだろうけどね」
彼が、「それは?」と首をひねる。
「ニンニクの花だよ」と、わたしは答えた。
「ちょっとかわいいよね。でも、花を咲かせたままにしておくとニンニクが育たないから、農家じゃ咲く前にみんな摘んでしまうんだよ。だから、ほとんど見かけることはないけど、サンジョアン祭では縁起物になってるんだ。もっとも、こんなの持ってたら、おもちゃのハンマーで袋叩きにされちゃうけどね」
わたしは車を下りて、ニンニクの花束を、館の郵便受けにそっと差し込んだ。
*
車は狭い急坂を下って、二段の鉄骨アーチ橋を見上げる川べりの広場に着いた。
風に乗って、魚が焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
あちこちで屋台から白い煙がたち、人々が列をなして、こんがりと焼けた鰯を買い求めている。
車を降りた少女は、待っていた黒服の女性にキーを渡すと、屋台のひとつで鰯の塩焼きを挟んだパンと白ワインの瓶を買い求めた。
さっきとは別の黒服の女性が、川面に近い石畳に設えられたパラソルと簡易テーブルの席に、私たちを案内した。
席につくと、少女はテーブルのバスケットから、皿を取り出して鰯の乗ったパンを置き、続いてワイングラスを取り出して白ワインを注いだ。
ワインの瓶には、ヴィーニョ・ヴェルデというラベルが貼られていた。
「どうぞ」
少女は私に食事を勧め、自分は白ワインのグラスに口をつけた。
パンに挟まれた鰯は、脂がのっていて美味しかった。あっさりとした味の白ワインが、鰯の脂にまみれた口に心地よかった。
見上げた空には、夕焼けが広がりはじめていた。
腕時計に目をやると、午後九時をすぎている。GMTマスターが示すホームタイムでは、イブニングニュースの打合せが始まるころだ。
「仕事が気になるみたいだね」
少女に問われて、私は「まあな」と応じる。
「人は皆、多かれ少なかれ、義務やら責任やらを負っているものだからな」
「そうだね」と応じた少女は、左手を上げて見せた。
白くて細い手首には、金色の華奢なブレスレットがあった。あしらわれた七つの花びらには、きらきら光るピンクのダイアモンドがちりばめられている。
少女が、ブレスレットに咲いた花びらのひとつに触れる。そこには、小さな赤い十字架が刻まれていた。
「だれもみな、なにかに縛られている。これも、あなたの腕時計も、そして教会の貴婦人や、あの館で演奏している人たちがつけている黄金の腕輪も、そういうたぐいのものだからね」
それは、館の前で言いかけたことへの、返事のつもりなのだろう。
少女の言葉には、見た目の年齢を超越した説得力があった。だが、そんな矮小化によるごまかしを、受け入れることはできない。
「だからといって、いや、だからこそ放置はできないんだ」
言い返した声には、我ながら険があるなと思った。
だが、少女は意にも介さぬように、笑顔で首をゆっくりと横に振った。
少女の白いロングヘアが、川面をわたる風になびく。そのうす桃色の唇が艶やかに動いて、言葉を奏でた。
「このブレスレット、『フリヴォル』っていうんだ」
「フリヴォル?」
少女が、「うん」と頷く。
「フランス語で、気ままに、という意味だよ。でも、現実には、そうじゃないことばかりで、人はなんとか折り合いをつけながら生きてる。あの一族の人たちも、あなたも、わたしも、そしてこの祭りに来ている人たちも、みんな同じなんだよ。だから、それぞれが納得しているのなら、それでいいんじゃない?」
少女が宝石のような瞳を向けた夕空に、ふわりとランタンがひとつ舞い上がった。それがきっかけのように、川の両岸からつぎつぎにランタンが空に昇る。
ひとつひとつに人の思いを託されたランタンは、気まぐれな川風に運ばれて、オレンジと青がまじった夕空に、いくつもの光の点をとなって浮遊する。
それは、天に届けたい願いなのか、この身から切り離すしかない諦めなのか。
白い少女が、首を傾げる。
ランタンの灯を映す宝石の瞳が、問いかけの返答を求めている。
私は、眼鏡をかけなおし、そして口をひらいた。
(了)