第1話 分かっている真実
「っつわっ!」
地味な奇声を発して蒼紫はベッドから飛び起きた。
時刻は6:25。少し寝過ごしてしまったようだ。
家から程近い中学校に通う彼は、普段なら6:00に起て余裕を持って登校するのに。
それもひとえにあの妙にリアルな音で満ちた夢のせいだった。彼の荒い息の白さとピンクの頬がうっすら外の白さで寒くなった窓ガラスに映った。
だんだん早くなる音に合わせてだんだん体が熱くなって、
それに耐え切れなくて耳をふさいだのにかえって音が大きくなってそれで・・・・
思い出して蒼紫はぶるっと身震いした。いやな音というわけではなかった。ただざわざわっと心が波打って自由に動けなくなる感じが、砂丘になすすべもなく飲み込まれていくようで、足をとられたくないと思えば思うほど、どうしていいか分からない不安にかき乱された。その砂に目もやられたのだろうか・・・前が少しかすんで見える。
ぴっぴぴぴ・・・ががががが・・
ぼんやりと考え込んでいた蒼紫を育児用ロボット和子のやって来る音がさっと現実に戻した。
「おはようございます、隆聖様。」
扉が開いてなじみの顔が見えた。
目がだいぶ離れていてしかもたれ目だからどう見ても失敗したにしか見えない顔でロボット的満面の笑みを浮かべながら
「今日は少し寒いですね、」
と言って彼女は少し言葉を切って蒼紫を見つめた。
彼の目は熱にうかされたように少し潤んでいた。
仕事が忙しくあまり家に帰らない両親が、育児用ロボットの中でも最も人間味あふれる和子を買うことにしたのは5年前。
「そうだね。そして僕の名前は蒼紫だよ。」
僕が彼女にそう言い出したのも5年前からだった。
「はい。申し訳ありません。今すぐにデータを書き換えますので・・・・」
ぴぴぴっ・・・と軽い音がして、
「蒼紫様、もう学校に行くお時間はとうに過ぎております。」
と和子は今日が寒いか寒くないかよりもっと重要なことをさらっと言った。
ばっと蒼紫は時計を見る。時刻は7:00。全力で急げば間に合う時間だ。
枕元につるしてあった制服をかぶるように来て、机の上にあった、茶色い鍵のネックレスを首にかけた。中学生の多感な時期にもし同級生に見つかることがあれば「お前女みてー!」とはやされることは間違いなかったがそれはそのリスクを負ってでも身に着けていたいものだった。
制服を着た勢いそのままに玄関に蒼紫が駆け込むと
ががが・・・
と音を立てて和子が見送りにきた。
「行ってらっしゃいませ、隆聖様。早いお帰りをお待ちしています。」
それは蒼紫が靴ひもを結ぶ手を止めさせた。分かっている。ロボットの脳内にはコンピューターがあって、データを自動で更新し、この家に蒼紫と言う存在はなくて代わりに隆聖という人間がいると確認された。だからこの家にいる中学生の少年の名前は隆聖だと結論づけた。それは分かってる。彼女が家にやってきた五年前から。しかし、感情は理性に追いつかない。
「でも僕はね・・・
「はい、隆聖様?」
和子の安定した声が聞こえる。
・・・蒼紫なんだよ。」
「しかし・・・」
和子の反論を最後まで聞かないまま、蒼紫は家を飛び出した。
社会は進化しすぎていて、ロボットに正しい過ちをも許してくれない。
そして僕が僕自身を信じられないように追い込む。
・・・常識という卑怯な力で。
蒼紫は走りながらため息をついた。分かっていたことじゃないか、
5年前から。5年も前から。
しょうがない。しょうがないんだ。
彼はそう言いながら、涙が出るのは目に本物の砂が入った事にして流れたままにしておいた。




