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3 初めてのことばかり

「さあさあ入るす。すいません。まさかお嫁さんだとは。もう。デッド様も教えといてくれればいいのに」


「あの、話を聞いていないのですか?」


「はいす。こんな大事なことを黙っているだなんて、あの人どうかしてるす」


「……」


 まず、信じられないこと一つ目。メイドとの距離感が近すぎます。あまりにフレンドリーすぎます。辺境では当たり前なんでしょうか? それに、このメイドの言葉遣い、メイドと言えど、屋敷に仕えるものであるならば、丁寧な言葉遣いと礼儀作法は当然の教養だと思うのですけれど、違うのでしょうか。


 そして何より、このメイド。自分の雇い主である貴族を『デッド様』などと愛称で呼んでいたのですが、それは、許されることなのでしょうか。


 公爵家だったら、初日で処分されるでしょう。


 ──と、思いましたが、口にも表情にも出しません。そう思ってしまったのは本心ですが、私はもう公爵家ではなく、この辺境の一員なので、辺境の決まりに従う必要があります。まだ全貌は分かりませんけれど、このようなメイドが当たり前であるならば、私もそれに倣いましょう。倣うべきです。


「あ、まだ私の名前言ってなかったす。私、イトロす。よろしく」


「よろしくお願いします」


 イトロは不意に「あ……」と口元を抑えると言いました。


「すいません。私、マジ、ダメなんす。敬語がちょっと。あと、感情が乏しいって皆によく言われるす。でも、私、アクトバッド様のこと、尊敬してるす。これマジす。嘘じゃないす」


「ああ、そうですか……」


 ……変な子です。



 イトロが「ではご案内するす」と私を先導しました。

「それにしても結婚すか。驚きす。昨日までそんな素振り見せてなかったすよ。デッド様はえっと、あれす。えっと、にらめっこ、強いす」


「にらめっこ? ああ、ポーカーフェイス……」


「ああ、それす。ポーカーフェイスす」


 イトロが屋敷のドアを開けました。


「どこに案内すればいいんすかね。どこだと思うすか?」


「……ええと、では荷物を置きたいので、私の部屋を案内してくださいますか?」


「あー。じゃあ、こっちす」


 そう言って連れていかれたのは。


「デッド様の部屋す。お嫁さんなら一緒の部屋でしっぽり密着生活すよね」


「いえ、私個人の部屋が欲しいです」


「あー……す。じゃあ、こっちす」


 そう言って連れていかれたのは。


「デッド様のお母様が使用していたらしい部屋す。もう十年以上使われていない空き部屋なんで、この部屋をアクトバッド様の部屋にするす」


「はい。分かりました」


「じゃあ、まずは掃除すね。ちょっと待ってるす」


 そう言うと、イトロは廊下をバタバタと走っていきました。


「……」


 部屋の中に入り、窓から外を眺めます。


 ……なんでしょう、これは。


 本当に昨日までと同じ世界に生きているのでしょうか。違う世界なのではないでしょうか。そう思ってしまうほどに、昨日の状況と今日の状況には差がありました。


 とにもかくにも、私は、ここで生きていける気がしません。住めば都という言葉がありますが、ここを私の都にするには長い年月がかかるでしょう。


 部屋の中を見回します。……この狭さ。こんなに狭くて、どう暮らしていくのでしょう。


 別に、狭いことが不満なのではありません。ただ、信じられないだけなのです。こんなところで、人が暮らせるのでしょうか。


「お待たせす」


 そう言って、イトロは私に箒を渡してきました。


「では、お掃除す」


「え、え?」


「アクトバッド様は埃を集めてくださいす。隅々まで」


 箒を握りしめている自分に気づき、私は酷く動揺しました。私が掃除をするのですか? 私が? え、私が?


「……」


 大きく息を吸いました。そして、ゆっくりと吐きました。


 そして、意を決して言いました。


「分かりました」


 このままではいけません。このままでは、私は、この辺境生活に、いつか耐えられなくなってしまいます。だから、一つずつ自分を変えていかなければなりません。そういう努力をしなければなりません。


 私とイトロは部屋の掃除をしました。掃除なんて生まれて初めてやったので、(それは過言ですが、しかしそんなものです)最初は箒の使い方も分からず、イトロに手取り足取り教えてもらいながらでした。


「ま、こんなもんですかね」


 たいていの掃除はイトロが素晴らしい手際で終わらせてしまいました。言葉遣いはなっていなくても、彼女は立派なメイドなのですね。


「すごく綺麗になったすね」


 そう言って、私は改めて、綺麗になった部屋を見ました。


「確かに。そうですね」


 少しだけ、この部屋に愛着が湧いた気がしました。


──

 デッドエンド・ビギニング・レイダウンレイル様。私が嫁ぐことになった辺境貴族の名前です。王都の貴族たちに『血塗れ卿』と呼ばれています。彼が王都のパーティに血塗れの服で参加したことから、そう呼ばれるようになったそうです。


「デッドエンド・ビギニング・レイダウンレイル様は今どこにいらっしゃるのですか?」


 私がそう聞くと、テーブルにお菓子と紅茶を並べながらイトロは言いました。


「ああ、デッド様なら、今、戦争中っす」


「……?」


「多分明日には帰ってくるす。今回はあんまり大変じゃなさそうって言ってたんで」

「ちょ、ちょっとお待ちください」


 戦争?


「何の冗談ですか?」


「え、ああ、戦争してるのに帰ってくるのが早すぎると驚いちゃったんすね」


 イトロは言いました。


「まだ知らないなら当然の反応すね。でも、これからは誇っていきましょうす。アクトバッド様の旦那様は超強くて、戦争もバシバシ終わらせちゃう人すから」


「いや、そうではなくて」


 私の困惑は、そんなことではありません。


「戦争? 一体誰が、どこで戦争をしているのですか?」


 私がそう言うと、イトロはぽかんとした顔をした後に、冷汗を垂らしながら口を抑えました。


「やばいす。デッド様に口止めされてたのに」


 私はイトロの肩を掴みました。


「教えてください。あなたは私のメイドなのでしょう?」


「だ、ダメす。教えてあげたいのはやまやまなんすけど、デッド様に口止めされてるす」


「私がいいと言っています」


「で、でも」


「言いなさい」


 私が詰めよると、イトロは「うう」とロボットのような棒読みを漏らしてから語り出しました。


「えっと、まずヘアン国には二つか三つか、いや四つす。方角が三つ、いや、四つ? 三つ。四つすよ。なんで四つの周りがあって、四つに分かれていて、だから五つに分けられるす。それが周りの外で、外部と呼ばれていて、それ以外の中の内部の、外部以外の中が内地って呼ばれてるから二つに分けられるんす。そして、外部は内部には内緒すけど、でも、別に隠してはないすけど、でも内緒? なのかもしれないすけど、戦争をしているす。そして内部はそれを伝わらないので教えられてないので、伝えられていないことを知らないから、多分、外部が戦争をしていることを知らないって外部は知ってるすけど、内部は知らないす。だから、外部は戦争をしているって、内部は教えられてないし、知らないす」


「……は?」


「こうなるから口止めされてるっす」


「え、どういうこと?」


 イトロは少し悲しそうな顔をして、自分のポケットに手を入れました。そして、ポケットから紙切れを取り出すと、私に渡してきました。その紙切れにはレイダウンレイルの公印とともに、こう書かれていました。


『イトロは何かを説明しようとすると、頭が真っ白になります。ゆっくり急かさず、聞いてあげましょう』


「なるほど」


 私はイトロから手を離しました。


「申し訳ありませんでした」


 イトロは「気にしないでくださいす」と言いました。


「まあ、明日にはデッド様が帰ってくるんで、デッド様に聞いてくださいす。私に説明は無理すから」


 そう言った後、イトロは「では、くつろいでくださいす」と小さく残して部屋を出ようとしました。


「イトロさん」


 私はイトロを呼び止めました。


「これからよろしくお願いします」


 そう言うと、感情の乏しいイトロの表情が少しだけ明るくなったような気がしました。


「はいす」


 イトロの小さな笑顔は、とても眩しく尊いものでした。こんな笑顔、王都では見たことありませんね。


「では、私は外の畑を見てくるす。アクトバット様は少し休んでくださいす」

「ええ。ありがとう」


 イトロは部屋を出ていきました。


 私はソファに座りました。そして、イトロが用意してくれた紅茶を一口飲みました。


  その紅茶の香りは、公爵家で飲んでいたものにも劣らない優しいもので、その柔らかい口あたりは、いくらでも飲めてしまいそうな……。


 ──


 目覚めたのは、すっかりと空が暗くなってからでした。


 ソファに寝転がされ、体の上には毛布が掛けられていました。ソファで寝た経験はこれが初めてでした。案外寝心地が良いものなのですね。


 その時、ドアがノックされました。


「どうぞ」


 そう言うと、イトロが「お目覚めすか」とドアを開けました。


「アクトバッド様。ちょっと外に行きませんすか」


「え、外? もう、暗いですけれど」


「大丈夫す。暗いからこその楽しみがあるんす」


 そう言って、イトロは私に上着を渡してきました。


「で、でも、大丈夫なのですか、そんな不用心なことをしたら……」


「不用心すか? そんなん、大丈夫す。だって、人、いないす」


「……」


 まあ確かに、人がいるからこそ、防犯意識が必要なわけで、人がいないのなら、防犯意識も何もないのかもしれないけれど。


「心配しなくて大丈夫す。何かあったら私が守るすから」


「……そう」


 頼りないとは言えませんでした。


 イトロが私を連れて行ったのは、お屋敷の裏にある小さな丘の上でした。その丘の上に立ち、周りを見回して、私は本当に驚きました。


 何もない。夜ってこんなに暗いのか。そう思いました。


 王都では、こんなに開けた景色はありませんでしたし、外灯の明かりや家から漏れた明かりがあって、なんだかんだ光がなくなることはありませんでした。


「上、見てくださいす」


 イトロにそう言われ、私は上を見上げました。


「う、……わ」


 私の口からこぼれたのは、イトロにとって面白い言葉だったようです。


「何、これ……」


「いや、何って(笑)。星すけど」


「いえ、星であることは理解しているのですが……。星とは、こんなにもたくさんあるものだったのですね」


「そうすよ。この丘の上から星の記録を付けるのが私の日課す」


「記録を?」


 そう言うと、イトロは一冊の手帳を見せてきました。


「これす」


 そこには、説明が苦手とは? と首を傾げたくなるほど雄弁に、星と魔法の説明が書き込まれていました。


「本を読めば全部理解できる世の中す」


 イトロが星を眺めながら言いました。


「でも、自分で研究してみるのも、それもまた一興す」


 その横顔は、とても穏やかなものでした。


 余裕。それを感じました。


「星の、何を調べているのですか?」


 イトロは手帳の表紙を見せてきました。


「『星の位置と星魔法の関係』ですか?」


「多分すけれど、季節によって星魔法の性質って変わるんす。それを調べてるす」

「……星魔法が使えるの?」


「はいす。一応」


「すごい。希少な魔法じゃない」


「……す」


 私はそれから、満天の星空の下、草の上に座り、イトロの星魔法を見せてもらいながら、心を休めました。


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