10 顔面踏みつけの刑
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「お久しぶりでございます。ウダ王子。そして、カルピ様」
私がそう言うと、ウダ・ヘアン王子とカルピ・ヨウグが私に目を向けました。ウダ・ヘアン王子は私の顔を一瞥すると、デッド様に目を向け鋭く睨みました。デッド様も、王子の目線をまっすぐ受け止めながら黙り込みました。
「お久しぶりです。アクトバッド様」
と、カルピ・ヨウグが言いました。
「本日は、とても美しいドレスをお召しですわね」
「ありがとうございます」
「真っ黒なドレスとは。前のアクトバッド様からは考えられない装いですわね」
以前の私は青いドレスを着ていました。黒いドレスを着たことはありませんでした。
「ええ。そうですね。なんでも、黒いドレスはレイダウンレイルの伝統なのだそうです」
「へえ。伝統。ああ、そういえば、王子の婚約者にも同じような伝統がありましたわね。なんでしたっけ。アクトバット様、覚えていらっしゃいますか?」
それをわざわざ聞いてくるとは、性格の悪い女性です。
「ええ。『王子の婚約者になった者は、ドレスの色を王子の瞳の色に合わせること』です」
カルピ・ヨウグは青いドレスを着用していました。以前の私よりも派手な装飾を施されたドレスでした。王子がどれだけ彼女を寵愛しているかが分かるドレスでした。
「ああ、そうでしたわね。しかし、それを加味すると、その黒いドレスは、なんというか、婚約者の伝統とは正反対ですわね」
「そうですね。本当に、正反対ですね」
「とても、似合っていますよ。前に着ていらした青色のドレスよりも、今のドレスの方がお似合いです」
「そうですか? そう言っていただけると、とても嬉しいです」
カルピ・ヨウグの言葉の節々に、挑発の意を感じました。青いドレスを脱がされた私に対し、青いドレスを着ているカルピ・ヨウグが『今の姿の方がお似合い』と言うなんて、挑発以外の何だというのでしょうか。
……まあ、私がその挑発に苛つくことはありませんでしたが。
なぜならば、私自身も『今の姿の方がお似合い』だと思っているからです。王子の婚約者だったころよりも自由で楽しいから、今の姿の方がお似合いなのです。
私とカルピ・ヨウグの会話に一段落つくと、ずっとウダ・ヘアン王子と睨み合っていたデッド様が口を開きました。
「ウダ・ヘアン王子」
「……」
デッド様の言葉に、ウダ・ヘアン王子は何も言いませんでした。その無表情の裏で、今、何を考えているのでしょう。
デッド様は、王子の無言を受け、衝撃的な一言を言い放ちました。王族に対して使って良いはずがない言葉を言いました。まるで、町でたまたますれ違ったかのようなフランクさで言いました。
「こんにちは」
「……」
私の頬にたらりと冷や汗が流れました。デッド様の行動は、王族の威光を軽視するものであり、下手したら罪に問われるかもしれない所業だからです。私の薬指を無表情で切り落とす冷徹な王子の一言で、デッド様の命が消し飛んでしまうことだってあるかもしれないからです。
「貴様──」
王子が口を開いた途端、それを遮るようにデッド様は言葉を続けました。
「などと、そんな言葉遣いをし、王族の威光を軽視するものにはしっかりと処罰を与えるべきだと思います。他にも、王族の威光を軽視するといえば、そう、王族が決めた婚約があると知りながら、王子を誑かした女……とか」
「貴様──!」
王子が大きな音を立てて立ち上がりました。顔には太い血管が浮き上がっていました。
「まあ、王子には処罰を下す権利などありませんが」
デッド様はウダ・ヘアン王子の言葉を遮り、自分の言葉を続けました。
「何せ、ウダ王子こそが最も王族の威光を軽視しているのですからね。王族の務めを放棄し、都合の悪い女の薬指を切断し、そして、自らの欲望を満たしてくれる都合の良い女を婚約者に仕立て上げる阿呆ですから」
そしてデッド様は、ニコリと微笑んで言いました。
「無理言って、ホント、スンマセン」
そして、あらうことかデッド様は、ぺこりと頭を下げたかと思うと、クルリと振り返って歩き出したのでした。
私はそれを反射的に引き止めました。このままでは王子の恨みを買ってしまい、処罰は免れないからでした。
「あ、あのっ、デッド様!」
デッド様はニコリと笑って私を見ました。
「行きますよアクトバッド。もう挨拶は済みましたから」
「え……」
私がその言葉に驚愕していると、私の背後で王子が立ち上がりました。
「貴様」
そう言って立ち上がり、王子はデッド様に向けて歩き出しました。その手には聖剣が握られていました。
「貴様の言葉。概ね事実だ」
おそらくですが、周囲にいた貴族全員が(事実なんかーい……)とツッコンんだことは置いといて──。
王子はデッド様に近づいていきました。
「私は、自らの欲望に従い、私にとって都合の悪かったアクトバッド・ホープフロムルイン・リベリオンの薬指を切断した。そして、カルピ・ヨウグと新たに婚約した」
王子は少しだけ表情に影を落として言いました。
「しかし、私の精神は病んでいたのだ。王子という重圧を生まれてこのかた背負ってきた。王子になるため厳しい教育にも耐えてきた。しかし、そんな私の努力は誰にも認められなかった。王子だから当たり前。そう言われた」
王子がデッド様の前で立ち止まりました。王子はそこで天井を仰ぎ見ました。天井にはヘアン国の国教であるギテニロ教の神。ギテニロが描かれていました。
「そんな私を認めてくれた女性がいる。それが、カルピだ。彼女は私が欲しい言葉をくれた。私の努力を認めてくれた。私は、彼女に救われた」
次に、王子は私を見ました。
「しかし、その女は違った」
その女とは、私のことでした。
「その女は、私の努力を当たり前と言い放つ人間の筆頭だった。それも、私に対する嫌がらせではなく、私を傷つけようとするのでもなく、さも、当然というように、なんの不思議もないというように言った。『王子ですから当たり前です』と」
そんなこと言ったでしょうか。──いや、言ったのでしょう。私なら言いそうな気がします。
「私はそんな女よりもカルピを選ぶ。なぜならば、国を背負う者の精神の安定は、国全体の安定につながるからだ」
王子は無表情を崩し、デッド様を睨みつけ、そして言いました。
「私は正解の道を選んだ」
それに対しデッド様は、間髪入れずに答えました。
「メンタル弱者。ナルシスト。マザコン。アダルトチルドレンめ」
そんな悪口、今までに聞いたことすらありませんでした。
「王子が感じていた重圧など、アクトバッドが感じていた重圧に比べれば塵芥。赤子が小指で持ち上げる。王子はその程度の重圧に押し潰され、病み、救いを求め、哀れにも救われてしまい、強くなる機会すら失ってしまった」
デッド様の口元には不適な笑みが浮かんでいました。
「これじゃ王子。そのうちまた潰れます。王子が作り出した自業自得の重圧に、その程度の王子が耐えられるはずないですから」
そして、とどめに。
「大間違いの人生だ」
と言い放ちました。
王子は聖剣を振りかぶりました。デッド様は防ぐ様子すらなく、聖剣が振り下ろされるのを見つめていました。
「デッド様!」
私は駆け出しました。間に合ったところで、守れるはずがないのに。
と、その時、デッド様が突然しゃがみ、王子の足を払いました。王子は聖剣を振りかぶったまま、体勢を崩しました。
「へ?」
王子が体勢を崩した先。そこは、私の足が次に着地する場所でした。
ぐにゅ。
私はその感覚を一生涯忘れることはないでしょう。
──私は、王子の顔面を踏みつけてしまったのでした。
顔が青ざめていくのを感じました。これは打ち首確定です。
そう言えば先程、デッド様が王子に言い放っていましたね。大間違いの人生だと。
……私のほうが大間違いじゃないですか? 王子の顔を踏んづけるだなんて、大間違いだと思うのですが、どうですか?
王子の顔面の上ではバランスを取ることができず、私も体勢を崩しました。
しかし、私の体はデッド様に支えられ、王子のようにすっ転ぶことはありませんでした。
「ブハッ!」
デッド様が堪えきれずに笑いを漏らしました。そして、デッド様は走り出しました。
「踏みつけるとは! ビンタよりひどいですよアクトバッド様!」
「そ、それはデッド様のせいですッ!」
私は青ざめた顔のまま、デッド様の胸を殴りました。
「でもこれでスッキリですね! やばいですけれどね!」
「やばいってことは理解しているのですね!? 本当に、どうしてくれるんですか!?」
私とデッド様は会場から飛び出しました。
「大丈夫です。最速の足がいるので!」
デッド様はそう言うとバカデカい声で叫びました。
「イトロォ!」
すると、どこからともなく地響きにも似た馬の足音が聞こえ、イトロの馬車が現れました。馬車はドリフトをして私たちの前に止まりました。
「乗るす!」
私達が馬車に飛び込むと、イトロの馬車は一目散に駆け出しました。
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