#5-3 死ななきゃ治らない
ピエロが消滅すると、歪んでいた空間に次々と亀裂が入ってゆき、ガラスが割れるように弾け飛んだ。やがてそれらが完全に収まると、茶織たち四人は校舎跡地の真ん中に立っていた。
「これで……終わったんだな」
「はい。もうピエロはいません。完全に消滅しました」
周囲を見回し、赤錆色でない曇り空を見上げて呟いた龍に、アルバが答えた。
「お前も子供に戻ってるし」
「久し振りに魔力いっぱい使っちゃいましたから」
龍は改めて相棒に向き直り、
「色々と助かった。本当に有難うな」
「どういたしまして」
二人はどちらからともなく微笑んだ。
「イヤ~ン、サオリン許してぇ~!」
「うるさい、このド変態ジジイ!」
「ああやめて、そこだけはどうかっ!」
龍とアルバは微笑みを苦笑に変えると、騒がしい二人へと振り向いた。
「酷いやっ! 無事で良かったねって抱き合いたかっただけなのにっ」
「想像しただけで虫唾が走るわ。わたしに気安く触っていいのは綾兄だけ!」
「あー……道脇さん。体調はどうですか」
「もの凄く疲れたわ。全身が痛い」
「そりゃあ、あんだけ動き回って戦いまくったんですから」
「動き回って……戦いまくった?」茶織は怪訝な顔をした。
「え、覚えていないんですか」
「ピエロに騙されて刺されて……次に気が付いたら、首だけ残ってたから、止めを刺してやったんだけど」茶織は龍を見ながら答え、それからアルバに目をやった。「また見えないわ」
「あらー、残念です」
「ああ、そういえば、目が覚める前に妙な夢を見たんだっけ」
「妙な夢?」
「ねえねえ」サムディが茶織の肩を指先でちょんちょんと叩いた。「アイツらほっといていいの?」
茶織たちから出入口寄りに十数メートル離れた位置に、放心状態で立ち尽くしている野村が、そこから更に十数メートル離れた位置に、座り込む山井がいた。
「……誰だったかしら、あの二人」
「クラスメートをいじめて自殺に追いやって、ピエロを生み出すきっかけとなった元凶の代表格です」
「ああ……」
茶織たちがやって来ると、野村の顔に、笑みとも戸惑いとも恐怖とも取れる表情が浮かんだ。
「な、なあ、オレは助かったのか?」
「ああ。俺たちが助けた」龍は無表情で淡々と答えた。
「ハ……ハハハハ……っしゃああっ!」
体を大きく屈めガッツポーズする野村を、茶織たちは冷ややかな目で見やった。
「あーっ、一時はどうなるかと思ったぜ! ったくよー、逆恨みなんかで殺されちゃ、たまったもんじゃねーっつーの!」
「あんた……それ本気で言ってんのか」
「んあ?」
龍は間抜けな笑みを浮かべる野村につかつかと歩み寄ると、その左頬を殴り飛ばした。
「いっ……でえなテメエエエエ!」
よろめきながらも反撃しようとする野村の眼前を、妙な物が遮った。それが血のこびり付いた無数の釘であるとわかると野村は二歩後退りし、更にそれらが釘バットの一部であるとわかると慌てて飛び退いた。
「次はわたしの番」
茶織が釘バットを構え直すと、野村は捨て台詞のようなものを吐いて逃走した。
「およっ、行っちゃうよ。いいの?」
「ほっとけ。一発殴れて少しはスッキリした」龍は右手をヒラヒラさせた。
「ヒョヒョッ、結構痛かったんでしょ」
「うるせえ」
「あいつがまだ残ってるわよ。どうする」
茶織の視線に気付いた山井は「ヒッ」と短い悲鳴を上げると、慌てて立ち上がり、野村の後を追うように逃げていった。
「……やっぱり追い掛けてとっ捕まえて、もっと痛い目に合わせた方がいいかしらね。特に野村って男、全く反省していなかったみたいだし」
「気持ちはわかりますけど、やり過ぎて警察沙汰になってしまったら面倒ですよ」
「悔しいがアルバの言う通りだ」龍は溜め息を吐いた。「あの男たちに天罰が下らないだろうか……」
「嫌な事言うようだけど、ああいう人間ってその後も何事もなくのうのうと生きて、仕事で成功して、家庭を持つ事が多いみたいよ」
「……ほんっとに嫌な事言うな、あんたは」龍は茶織を睨んだ。
「それは悪かったわね、リュウ子ちゃん」
「……は?」
茶織たちを呼ぶ声が聞こえた。
「およっ、ナユタとお喋りカラスが来たよん」
サムディの言う通り、カラスの姿に戻った緋雨を肩に乗せた那由多が、出入口の前で手を振っている。
「良かった、二人共無事だったみたいですね」
「そうね」
「行こ行こっ」
サムディがスキップし、やや遅れてアルバが小走りで後を追った。茶織も続こうとしたが、龍が動こうとしない事に気付き、一旦足を止めた。
「どうしたのよ。早く行くわよ」
「なあ……あんた、今さっき俺の事、何て呼んだ?」
茶織は一瞬きょとんとしたが、皮肉っぽい笑みを浮かべ、
「お互い様でしょ。あなただってまたタメ語使ってるじゃない」
「あ、えと、それは──」
「別に今後も構わないけど」
「あ、ああ……どうも」
「早く早くぅ~! ワシくたびれて死んじゃいそ~う!」
「ったく、大袈裟ね」
「……あれ、またって……」
茶織は既に走り出していた。
「あんた本当に覚えてないのか? なあ待てって、おい!」
茶織たちの頭上では、どんよりとした雲の切れ目から、少しずつ夕日が顔を覗かせ始めていた。
「ああ痛ぇ……あの金髪のクソガキ……!」
野村新太郎は、龍に殴られた左頬を押さえながら、楼風台内をうろついていた。早く控え室に戻りたい、いやむしろ、とっとと帰宅したいところだったが、鈴木を始めとした関係者たちに、自分の身に起きた出来事をどう説明すればいいのかわからず、戻るに戻れなくなっていたのだ。
「スマホはどっかで失くしちまったし……チキショーめ……」
気付くと野村は、古い石段の前にいた。
「……ここは」
約五〇段上った先には、小さな神社がある。中学時代、友人たちと時々寄り道しては、くだらない話や誰かの悪口で盛り上がり、管理者が見当たらない時には、菓子を食べたりふざけて走り回ったりもしていた。
少々迷ったものの、野村は石段を上り、拝殿の階段まで来ると無遠慮に腰を下ろした。幸いにも管理者や参拝客はいない。誰にも邪魔されず、これからどうするかをじっくり考えられるだろう。
そう思ったのも束の間、誰かが石段を上って来る足音が聞こえ、野村は舌打ちした。
──邪魔すんなや!
姿を現したのは、背が低くガリガリに痩せ、目の下の隈が目立つ、化粧っ気のない女だった。赤と白のギンガムチェックのシャツはヨレヨレで、蛍光色のショルダーバッグが目立っている。
──ダッセ~カッコ!
「アハッ、やっと見付けた!」
自分を見るなりそう言って笑顔を浮かべた女に、野村は何処かで見覚えがあるような気がした。
「六堂町内を片っ端から探したんだけど、なかなか見付からなくって困ってたのよ! でもあの子が夢の中で、楼風台の中学校の話をしていたのを思い出したから来てみたの! ああ良かった! アハッハ!」
──何だコイツは?
「野村君、あたしの事覚えてるぅ?」
笑顔で馴々しく尋ねる女に、野村はどう答えていいのかわからず、うろたえた。
「まさか忘れたとは言わせないわよ」女は笑顔のままだったが、声のトーンが下がっていた。「あたしは──」
女から名前を聞かされ、野村はようやく思い出した。小学生時代の同級生であり、三年から六年までクラスが同じだったが、五年の途中で不登校になって以降、一度も見掛けた事はなかった。
──今の今まですっかり忘れてたぜ。
不登校に追いやったのは、他でもない野村自身だ。ブスのくせに、勉強が出来るからとチヤホヤされているのが気に入らなかったので、ちょっとした嫌がらせをしたら勝手に来なくなったのだ。
「あー……勿論覚えてるよ。うん。えと、何の用?」
「ふざけてんじゃねえよこの野郎!!」
女の怒号が響き渡った。怒りに目を吊り上げたその顔は、まるで般若の面のようだ。野村は慌てて立ち上がり、階段を数段下りて元同級生から距離を取った。
「何の用、じゃねえんだよ……あたしはな……五年の時にあんたに嫌がらせされ続け……挙句の果てにゃ、学校の近所の年寄りん家の庭で起きたイタズラの犯人にまでされて……おかげでそれ以来、ずっと引き籠りだよ! あんたに人生狂わされたんだよ!!」
女がショルダーバッグから取り出した物を目にした野村から、サッと血の気が引いた。
「あのピエロ君の言ってた通りだ! あんたは性根の腐り切ったクズ! 自分のせいで誰が傷付こうが死のうが、一ミリだって罪悪感を覚えない!」
女が手にしたのは、刃渡り一五センチ以上はある、先端が鋭い包丁だった。
「あんたのその人間性は、不治の病なんだ……死ななきゃ治らないんだ! だからあたしが治してあげるよ! アッハハハアッッ!!」
女が笑顔で包丁を振り上げ接近すると、野村は悲鳴を上げて逃げ出した。
「誰かあああ!」石段を駆け下りながら、野村は叫んだ。「助けてくれ! 誰か助──」
二〇段程下りた所で、野村は足を踏み外し、断続的に悲鳴を上げながら丸太のようにゴロゴロと転がり落ちていった。




