#5-2-2 最終決戦②
身構える余裕もなく、茶織はピエロに殴り飛ばされた。
「道脇さん!」
ピエロが追撃するよりも先にアルバがその首根っこを掴み、奥の壁に叩き付けたうえで槍で一突きにするまで、あっという間の出来事だった。
「グ……エァ……」
ピエロから力が抜けてゆき、ダラリと手が下がると、まるで砂のように足元からサラサラと崩れ落ちた。
「痛え……」
「大丈夫ですか」
「何とかね……よくもこんな汚い場所に……あれ?」
茶織は龍に手を貸されながら立ち上がった。
「え、もうおしまい?」
「まさか」アルバは砂の山を見やりながら言った。「二人共、油断しないで」
空間がゆっくり歪み始め、周囲の景色が徐々に変わってゆく。
「また異界? ……まあ、トイレよりましか」
「ここだって異界じゃないのか? 校舎は取り壊されていたはずだ」
歪みが解消されると、茶織たちは男子トイレから墓地に移動していた。左右にはサイズも色も様々な墓が立ち並んでいるが、どの墓にも花や食べ物などの供え物はなく、枯れ葉が積もり、墓石や塔婆は苔や汚れだらけだ。空は赤錆色で、垂れ落ちそうな程にドロドロとしている。
「こ……今度は墓場かよお!」
墓石にもたれ掛かるように倒れ込んでいる野村が情けない声を上げても、三人は無視した。
「本来の出入口があった方は行き止まりね。壁だった方を真っ直ぐ進んで行くしかなさそうよ」
「行こう」
アルバを先頭に、茶織、龍の順で、狭い通路を進もうとすると、野村が慌てて飛び出した。
「お、おい待て! オレを置いてく気か!」
困惑する龍と、無視を続ける茶織の代わりにアルバが答える。「あなた、戦えるの?」
「……い、いや……それは無理だ。けどよ、ここにオレ一人は危ねーだろ! いつ化け物たちが出て来るかわかんねーし! だからよ、誰か一人残って護衛しろよ、な?」
茶織とアルバは顔を見合わせ、互いに肩を竦めた。
「おい、聞いてんのかよ!」
「それが人に物を頼む態度か」
淡々と返したのは龍だった。茶織とアルバは振り向き、ニヤリと笑った。
「な……何だ、よ……」
「聞こえていなかったのならもう一度言うぞ」
「っ聞こえてらー! テメーこそ何だその態度は! オレを誰だと思ってやがる?」野村は龍を睨み付けた。「オレは国民的スターだぞ! [RED-DEAD]のTARO様だぞ!」
「調子に乗るな」アルバの声は、茶織だけでなく、一番付き合いの長い龍でさえ初めて耳にする低音だった。「お前はただの薄汚い人殺しだ」
野村は口を半開きにしたまま、たじろいだ。
「行きましょう。こうしている間にも、ピエロがまた何か仕掛けているかもしれないわ」
「うん」
「……おう」
「お……おい待てよ! おい!」
三人は改めて歩き出し、野村が何を叫ぼうが喚こうが、一度も振り返らなかった。
「しかしまあ、次から次へと色んな異界を創り出してはちょこまか逃げて──」
左側から、頭から血を流した男や、腹から臓物がはみ出た女、首が千切れ落ちそうな男児など数体の霊たちが、墓石を乗り越えて現れた。
「ホント面倒臭いヤツ!」
茶織は霊たちに骨の十字架を向けた。先端から黒い霧が溢れ出し、サングラスを掛けた大きな人間の頭蓋骨となると、一番近くにいた小柄な老人の霊に喰らい付いた。
「異界を創り出すのって、かなり力を使うんじゃないのか」錫杖から発生させた光の球体で男児の霊を消滅させながら、龍はアルバに尋ねた。
「まあ強力な存在なら、異空間の一つや二つくらい余裕でしょうけれど……」アルバは、新たに右側から現れた霊を槍で返り討ちにしながら答える。「短期間に相次いで創り出して、なおかつアクティブに動き回ったりしたら、かなりの魔力を消耗するわ」
「それじゃあ、あのピエロだってそろそろ」
「そうね、あのピエロは多くの人間を殺す事で力を得たみたいだけれど、それだってだいぶ消費して、もう限界に近付いているはずよ」
霊たちを全て退け更に進むと、開けた場所に辿り着いた。ピエロが中央付近に立ち、その周囲にはそれぞれ種類の異なる棺が四基、無造作に置かれている。赤錆色の空は変わらないが、サーカステントが建っていた土地よりも更に狭く殺風景で、至る所がグニャグニャと歪んでいる。
「ほらね」アルバが歪みを見やりながら言った。「完璧に創り切れていない。力が足りていないのよ」
「あの馬鹿は──野村新太郎は連れて来なかったのか。何故」ピエロは三人を一瞥すると問うた。
「それは勿論、足手纏いになりそうだったからよ」
「空気も余計に悪くなるからな」
「顔も中身もマジで不細工だし」
「ケケッ、それは判断ミスだね。今頃ボクの仲間が、アイツを生きながら喰らっているだろうよ!」
「そうなったらなったで構やしねえ。因果応報だ」
「だな!」
「そうね」
「へえ! 意外と薄情だねえ……」
会話が途切れると、三人とピエロは相手方の動きを警戒するように身構え、睨み合いになった。
──サオリの限界も近い。融合が解ければ、おじ様は大丈夫でも、サオリは恐らく気絶する。そうなった場合、ちょっとキツくなるわね。
アルバの槍を握る手に力が入る。
──短期決戦でいきたいけれど……。
やがて沈黙を破ったのは、龍の小さな溜め息と数歩進んだ足音だった。
「なああんた、もうやめにしないか」はっきりとした口調だが、どこか悲しげだった。「出来れば俺は、あんたを傷付けずに成仏させたい……もうあんたは散々傷付いたから」
「リュウ子? 何言って──」
詰め寄ろうとする茶織を、アルバが手で制する。
「理人を殺したのは許せねえ。いや理人だけじゃない、他にも多くの命を。道脇さんだって死にかけた。でも……でも俺はそれでも、出来るならあんたを赦したい」
ピエロの眉がピクリと動いた。
「リュウ、アンタ何勝手な事言ってんのさ! ソイツはそんな言葉で改心するような単純野郎じゃないね!」茶織は今にも噛み付かんばかりだ。「だいたいソイツは綾兄を侮辱したんだ。アンタは良くてもアタシは良くないっつーの!」
「静かにしてくれ」
「出来るかっ!」
「あんたは反対すると思ったし、あんたの気持ちもわかる。でも──」
「でももデブもないんだよ。甘い。甘過ぎる!」
アルバはどちらに賛同するわけでもなく、黙って成り行きを見守っていたが、ふとピエロに目をやった。ピエロは俯き、肩を震わせている。
「なあ──」
アルバが龍の肩に手を置いた。「ここまでよ」
「……ケッ……ケケケケッ……ウケケケケケッ」
龍は顔をしかめた。
「まったく……まさかここにきて急に笑わせられるとは思わなかったよ……キミはとんだお人好しだね!」
ピエロの周囲の四基の棺が、カタカタと音を立て始めた。
茶織が龍を睨んだ。「ほら見ろって」
「そんな簡単な問題じゃないんだよ、日高龍君。世の中、綺麗事なんて簡単には通用しないんだって厳しい現実を学べたかな?」
四基の棺が立てる音が徐々に大きくなってゆく。
「……そうか……」龍はフウッと大きく息を吐くと、ピエロを睨み、錫杖を構え直した。「だったらいい。遠慮なくやらせてもらう」
「だってさ、道化師」
「分からず屋さんは困りものね」
茶織とアルバも龍の横に並び、武器を構え直す。
「キミたちを殺したら、後はあの眼鏡君と着流しのオッサンだ。ちょっぴり寂しくなるねえ!」
ピエロが両手を上げると、四基の棺の蓋が一斉に外れ、人面を持つ青い火の玉が飛び出した。




