#5-1 廃校にて①
前方と後方のドアが、同時に大きな音を立てて勢い良く開いた。
「具合の悪い年寄りを助けたので遅刻しましたー!」
場違いな発言と共に前方のドアに姿を現したのは、釘バットを手にした女。後方のドアには脱色させたような髪色の少年と、西洋甲冑姿の白人の女。
野村はすぐに状況が飲み込めず固まっていたが、ピエロの仲間が増えたのだと判断した山井の体は、ブルブルと震え出した。
「教室を間違えているんじゃないかい」ピエロは機械的な口調でそう答えたが、その赤い目は激しい憎悪に燃えていた。
「いや、間違いなくここだよ」女はフッと笑うと、野村と山井に気付いた。「あ、生きてる? 一応アンタたちを助けに来た事になってんだけど」
「た、助けに……?」
「そ。感謝しなよ、オッサンたち。本来のアタシの目的は──」
「ケケッ、無理だね! キミたち全員、ここで非業の死を遂げるんだよ!」
ピエロの言葉を合図に、髭を生やした女が奇声を発しながら、後方の金髪二人組に突進した。二人組がこちらを向いたまま開いたドアから廊下に出て、その後を追うように髭を生やした女が続くと、直後に激しい衝撃音が響き、ドアがビリビリと震えた。
「死ぬのはアンタだよ。もう一回ね!」
釘バット女が素早く間合いを詰め、物騒な武器を振り下ろすよりも先に、ピエロは更に素早い動きで教卓を飛び越え、側転で野村に近い方向へ移動した。
釘バット女の前に、ピエロの面の男三人が立ち塞がった。
「邪魔だよ!」
釘バットが野村たちから見て左端の男の側頭部にめり込む直前、左端の男は両手で釘バットの先端を掴んだ。
「はあ? ……ちょっと!」
釘がめり込み、血がダラダラと流れ落ちても男は動じず、手を離さない。女は釘バットを引き抜こうとしているが、ビクともしない。その隙を突き、残りの男二人が飛び掛かる。
「おいおいマジかよ! 助けに来たんじゃ──」
目の前の光景に気を取られていた野村は、首根っこを掴んで引っ張られ、バランスを崩した。
「よそ見してんじゃねえよ」
野村の顔を覗き込むピエロの顔は無表情だった。
「リョウカ……何で……何でぼくを裏切るんだ……」
七三分けにした髪をきっちり固めた紺色のスーツ姿の男の霊が、包丁を右手に那由多を追い詰める。パチンコ店の隣にある小さな立体駐車場一階の奥で、通りからは死角になっている。
「ぼくはずっと前から……君が好きだったのに……なのに君は……他の男に色目使って……」
男の霊の顔は、一歩進むごとに少しずつ腐ってゆき、今にも目玉がこぼれ落ちそうだった。
「そんな事俺に言われても、何が何だかわからないよ」
那由多は手首を軽く捻り、広げた鉄扇を男の霊目掛けて水平に投げた。鉄扇は包丁を男の霊の右手ごと吹っ飛ばすと、そのまま胴体を貫き、ブーメランのようにUターンして那由多の手に収まった。
「だいぶ使い慣れてきたかな……」
「リョ……ウカ……」男の霊は、今度はアスファルトを這いながら近付いて来る。「君は……ぼくと一緒になるんだ……」
「うん、だからね! 俺に言われても困るんだって!」
那由多が再び鉄扇を構えたその時だった。突然、淡い紫色の光が男の霊全体を包むように発生すると、小さな爆発を起こした。男の霊は四散すると同時に塵と化し、アスファルトに散った。
「ビ……ックリした!」
伏せたり耳を塞ぐなどする余裕はなかったが、幸いにも那由多自身に怪我はなかった。
──今のは一体……?
那由多は周囲を確認してみたが、各スペースに停められている何十台もの自動車以外は、誰の姿も見受けられなかった。
「那由多よ、無事か」
一羽のカラスが出入口から低く飛んでやって来て、那由多の右肩に止まった。
「緋雨! 戻っちゃったの?」
「ああ、不本意だがな」カラス──緋雨は不機嫌そうに言った。
「お疲れ様。ねえ、今俺を助けてくれたのって緋雨?」
「助けた?」
那由多はつい先程の出来事を緋雨に説明した。
「いや、我は今ここに来たばかりだ。そんな技も知らん」
「えー、じゃあ誰が? お礼言いたいのに。誰も見てない? 一般人じゃなさそうな人」
「人外の協力者たちの姿なら見たが、それ以外は」
「うーん……」
「気になるな。しかし今はあまり時間がない。ピエロが放った悪霊共はまだまだ多い。行くぞ」
「うん、わかった」
那由多と緋雨が走り去った後、彼らが通り過ぎた太い柱の真後ろから、長身の白人の男が姿を現した。
「ここら一帯、何だか騒がしい事になっているとは思ったけど……」
ストロベリーブロンドの短髪にワインレッドのスーツ姿で、スーツと同色のホンブルグハットを両手で持つこの男は、以前龍とアルバが梛握町の廃墟の前で出会っていた。
「あの眼鏡の青年とお喋りカラス……そこら辺にいる霊体たちよりもずっと興味深いな。しかし今は、憎きあの男かその姪が先だ……」
男は立体駐車場を出ると、那由多と緋雨とは逆方向へと姿を消した。
「放せよ脳筋共が!」
ピエロの面の男二人が茶織の体にしがみ付き、身動きを取れなくさせた。残る一人の男が、茶織から奪った釘バットを構える。
「ちょっ……まさかそれでアタシをミンチにする気!? 冗談──」
「やめろ! 放せ! 放せって頼むやめてくれ!」
野村がピエロに首根っこを掴まれ、教室前方をズルズルと引き摺られてゆく。抵抗した際に何度も殴られた顔はあちこち腫れ、鼻血を出していた。
ピエロは茶織と目が合うと、長い舌を突き出し、左手をヒラヒラと振ってみせた。
「こんの、腐れ道化野郎!」
茶織はもう一人の、猿みたいな人間の男の存在を思い出し、目で姿を探した。哀れなお猿さんは、教室の後方の隅で、背中を壁にぴったりとくっ付けて突っ立ち、震えながら荒い息を吐いていた。
「おい、そこのいじめっ子! 少しは協力しろっての!」
山井は素早く何度もかぶりを振り、拒絶を示した。
「クズ! クズ猿! ゴリラチンパンジー!」
ピエロの面の男が釘バットを振り上げる。
「殺す! アンタら全員呪い殺してやるからね!」
ゴツンッ。
釘バットが茶織の頭頂部にめり込み、肉を抉り、鮮血を噴き出させる──事はなかった。
「……ッテェ~! ……あれ?」
茶織の頭頂部に振り下ろされたのは、釘バットではなく骨の十字架だった。
「ラッキー! 超痛いけど……」
その直後、骨の十字架から黒い霧が溢れ出て分散し、ピンポイントで三人の男に纏わり付いた。三人は苦しみ出し、喉を掻き毟ったり胸元を押さえながら、パニックを起こして暴れた。
茶織は男が落とした骨の十字架を拾うと、膝を突いた隙を狙い、お返しと言わんばかりに頭頂部を何度も殴打した。
「クソ野郎が! くたばれ!」
止めを刺さずとも、やがて三人は倒れ、溶けるようにして消えた。
茶織は大きく息を吐くと、腰を抜かし呆然としている山井の元へ近寄り、何のためらいもなく顔面に蹴りを入れ悲鳴を上げさせた。
「あーら失礼、足が滑っちゃった!」
再び悲鳴が上がったが、それは山井から発せられたものではなかった。
「……リュウ子?」




