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【改稿版】骨の十字架  作者: 園村マリノ
第四章

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#4-3-3 追跡③

 ──一体どうなってんだ?


 ラーメン店〈青蘭軒(せいらんけん)〉アルバイトの小林(こばやし)は、担架に乗せられ救護室へ連れられてゆく女性を呆然と見送った。

〈青蘭軒〉が青木(せいぼく)駅前に店を構えてから三年。ついに念願の六堂大道芸フードコーナーへの出店が叶い、店長は勿論の事、バイト内で最も経歴の長い小林自身も張り切っていた。

 雲行きが怪しくなってきたのは、一〇時半頃からだっただろうか。

 まずは文字通り、よく晴れていた空がだんだんと曇ってゆき、いつ雨が降り出してもおかしくない状態となった。このまま降らなければいいですよね、といった内容の会話を、他店舗スタッフや大道芸運営スタッフらと何回もした。

 その次はバイト仲間の剣崎(けんざき)の体調不良と、彼から聞かされた妙な話だ。

 剣崎は小林と同じく二五歳で、老けた外見に少々子供っぽい性格というアンバランスさが個性的な男性だ。本人曰く、生まれてこの方一度も病気という病気を経験した事がない──彼曰く「風邪って結構辛いモンなの?」──そうなのだが、一一時を廻った頃、そんな彼が寒気や吐き気を訴えるようになった。


「風邪じゃないのか、お前。人生初の風邪。顔色あんまし良くないし、仮病ではないようだな」


 小林がからかうように言うと、剣崎は苦笑した。


「明日もあるんだし、大事を取って今日は帰ったらどうだ。今はお客さんいないし、午後からは他のバイトも来るんだから何とかなるだろ」


「ん……まあ……うーん……」


「何だ、どうしたんだよ」


 剣崎は警戒するように周囲を見回すと、声を潜め、


「小林君には聞こえないの?」


「え、何が」


「笑い声とか……唸り声、あと走るような足音も。姿は見えないんだけど、朝こっちに来た時から度々、あちこちで聞こえてさ。何だろうって考えてたら、だんだん気持ち悪くなってきたんだ」


 剣崎は、店長がトイレ休憩から戻って来るなり早退した。小林は、剣崎の体調不良を珍しがる店長に謎の声や足音の話をするか迷ったが、結局やめた。

 それから程なくして人通りが多くなり、時間帯もあってか、店にも次々と客が来るようになった。忙しくしているうちに、剣崎の妙な話もすっかり忘れていたのだが。

 昼休憩に入った小林がフードコーナーを離れ、最寄りの休憩室のあるビルへと小走りで向かっていた時だった。

 近くの通りが何やら騒がしい。何気なくそちらの方へ進んでみたが、野次馬が群がっており、その先の様子はわからなかった。大道芸はとっくに始まっているのだから人気(ひとけ)が多いのは当たり前なのだが、どうも楽しそうな雰囲気ではない。遠方から救急車のサイレンが聞こえてくるが、関係あるのだろうか。


「体に引火しちゃったらしいよ」


「火達磨か? うえー、怖っ!」


 一〇代前半くらいであろう少年二人組の不穏な会話が、すれ違いざまに耳に入ってきた。


「引火って……」


「大道芸人だよ」二人組の後から歩いて来た初老の男性が、小林の独り言に答えた。「火吹き芸やってる途中に失敗して、全身に火がついちまったんだ。幸いすぐに消されたみたいだけどな」


 休憩室には二〇代から三〇代くらいの女性数名が固まって座っており、食事は終えたのか大声で喋くっていた。


「さっきこの近くで火を使った大道芸やってた人、失敗して火が服に燃え広がっちゃって、救急車呼ぶ騒ぎになったらしいですよ」


 深緑色に染めたボブカットの小柄な女性の話に、斜向かいに座っている黒縁眼鏡の女性がすかさず反応した。


「こっちの方でも事故ですか?」


「え、こっちでもって? 他にもあったの?」


 右隣の体格のいい女性が尋ねると、黒縁眼鏡の女性は大きく頷いた。


「あたしのお店、一丁目でやってるんですけど、近くの歩道で大道芸やってる所に、自転車に乗ったおじさんが突っ込んで大パニックだったんですよ。

 隣のお店の店長さんの話だと、何人か怪我人が救護室に運ばれたみたいで。しかもそのおじさん、駆け付けたお巡りさんに『知らない子供が笑いながら飛び掛かって来てパニックになった』って説明してたらしいんですけど、飛び掛かる子供を見た人なんていないみたいですよ」


 悲鳴に似た驚きの声が次々に上がった。


「ヤダ何それ、ヤバくない?」


「ここ五年くらい参加してるけど、事故があったの初めて!」


「大丈夫かな今回……下手すりゃ明日中止になるんじゃない?」


 昼食を軽く済ませた小林は、騒がしい休憩室を後にし──いつ頃からいるのかは不明だが、女性陣はまだ席を立つ気配はなかった──時間を潰すため周辺を歩く事にした。


 ──これ以上何もなきゃいいけどな。


 そうぼんやり考えながら個人商店の前を通り掛かった時だった。

 何かが大きな音を立て、直後に複数の悲鳴が上がった。


「大丈夫!?」


「動けますか!?」


 どうやらすぐ近くで事故があったようだ。小林はほぼ無意識に走ってそちらに向かうと、既に出来ていた人だかりの中から、自分と大して変わらない年齢であろうスーツ姿の男性に何があったのか尋ねた。


「展示ボードがいきなり倒れてきて、誰かが下敷きになったらしいっすよ」


「展示ボード?」


磨陣(まじん)市にゆかりのある芸術家とか、東京の美大生の作品をここら辺で展示していたみたいなんすよ。風が強かったわけでもないのに何で倒れたんだか」


「またまた事故か……」


 思わず呟いた小林に、スーツ姿の男性だけでなく、周囲の複数人の視線も向けられた。


「え、他にもなんかあったんすか?」


「ああ、その、何か色々あったらしくって……」


 大道芸運営スタッフ数名が担架を運んでやって来ると、徐々に野次馬の数は減ってゆき、スーツ姿の男性も「そろそろ戻らないと所長が」などと言いながら去って行った。


 ──いくら何でも、ちょっと多くないか?


「子供よ、子供のせいよ!」スタッフに抱えられた女性が、担架に乗せられる直前に興奮し切った様子で騒ぎ立てた。「ボードが倒れて来る前、子供の笑い声と走り回る足音が聞こえたのよ! ぶつかって倒したんでしょ! 親はしっかり見ときなさいよ! ああもう!」


〝笑い声とか唸り声、あと走るような足音も。姿は見えないんだけど、朝ここに来た時から度々聞こえてさ〟


 女性が担架で運ばれてゆき、野次馬がほぼいなくなってからも、小林はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 何故なのかは自分でもよくわからないが、事故はまだこれからも起こってしまうような気がしてならなかった。



 渦に吸い込まれた茶織たち五人が放り出されたのは、無機質なリノリウムの床の上だった。薄暗い通路になっており、一方は行き止まりで、もう一方は真横にキーパッドの付いた頑丈そうなドアに続いている。


「今度は何処だ」


「あのドアの向こうに行かなきゃわからないみたいね」


「でもロック掛かってるみたいだよ。どうするの」


「ぶっ壊せば済む話でしょ」


 ドアの方へ向かおうとする茶織の肩を龍が掴む。「失敗して罠でも作動したらどうするんだよ。何でそう短絡的な発想しか出来ねえんだ」


「じゃあ何さ、パスワード知ってんの?」


「知るわけないだろ」


「二人共、来たよ!」


 行き止まりの壁が歪み、ピエロの面の男女が一人ずつ這い出て来ると、一同はドアの方へ二、三歩下がった。


「えー、迷うんだけど。ドアも壊したいけどアイツらも殴りたい」


「じゃあ茶織さんは、緋雨とアルバと一緒にあいつらを倒してよ。ドアは俺と龍君で頑張ってみるから」


 那由多が目配せすると、龍は頷いた。


「あら、龍の予想通りにトラップが仕掛けられていたら危険よ」アルバはドアの前まで進み出た。「解錠はワタシが試してみるわ」


「お前だって危ない事には変わりないだろ」


「リュウよりずっと頑丈よ」アルバはドアに向き直ると、キーパッドを睨むように見やった。「さて……どうしようかしら」


 最初に這い出て来た二人の後からも、次々とピエロの面の化け物たちが現れる。


「交通渋滞!」


 茶織が先頭に立って釘バットを振るい、仕留め損ねた敵はその後ろの緋雨が殴り飛ばす。敵はすぐに倒れ、溶けるようにして消えるものの、増援は次から次へと増え続け、一向に止まる気配がない。


「疲れた! 暑い! アンタの扇で仰いでよ、ナユタリウス!」


「そのあだ名は初めてだよ。あのね、そうしてあげたい気持ちは山々なんだけど、あんまり近付き過ぎちゃうと俺の頭が潰されちゃいそうだからさ」


 ガチャリ。


 小さいがはっきりとした音に龍と那由多が振り向くと、ドアノブを左手で掴んだアルバが、ゆっくりとドアを開けているところだった。


「早いな」


「凄い! どうやったの?」


 茶織が腕の筋肉の限界を訴えた。緋雨が茶織に下がるように言うと、龍が二人の間に割って入って錫杖を振るい、光の刃を放った。その場にいた敵は一掃されたが、数秒後にはまた新たに数体が這い出そうとしていた。


「ドアはもう開いた。今のうちに入るぞ」


「中はどうなっている」


 アルバの後ろから部屋を覗いた那由多は、困惑の表情を浮かべて振り向いた。


「どうした」


「何か……今までで一番嫌な感じかも」


 アルバがドアを一気に開いた。

 五人で入るには少々窮屈であろう狭い室内。手前の壁際に二、三人が座れそうな背もたれのない長椅子と、その対面の壁の上部にエアコン、そして奥には小さな祭壇と、縦長の白い大きな箱が台の上に横向きにして乗せられていた。


「霊安室か」しんとした薄暗い通路に、緋雨の声は不気味な程よく響いた。

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