#4-3 追跡①
サーカステントの出入口、閉ざされた赤いカーテンの前まで来ると、最初に到着した龍は仲間たちを手で制した。
「何よ、とっとと入ろうって」茶織は不満げに言った。
「いきなり飛び込んで不意打ち喰らったらどうする。それに……何となく嫌な臭いがするんだよ」
「嫌な臭い? ……ああ、血でしょこれ」茶織は鼻をひくつかせると、あっさりと答えた。
「血だって? そんな……」那由多の声が引きつる。「まさかもう手遅れなんじゃ……」
「落ち着け」緋雨は那由多の肩を優しく叩いた。
「まあでもグロい事になってると思うよ」
茶化す茶織を睨むと緋雨は那由多に、
「お前は龍とここを見張っていろ」
「えっ、でも……」
「そういうわけにはいきませんよ」
名前を呼ばれた二人は困惑の表情を浮かべた。
「ワタシもヒサメに賛成よ、リュウ」
「アルバ──」
「お前たちはただの人間だ。我らよりずっと脆い」
「そんなの今更。今までだって──」
「中に生きた人間が何人いるかはわからんが、少なくとも無傷ではないだろう。被害状況によっては、お前たちが精神面に大きなダメージを受けかねない。ここは我とアルバ、茶織に任せておけ」
龍と那由多は言葉を失った。
「ちょっとお喋りカラスちゃん! アタシは?」そう言いながらも、茶織の顔は笑っていた。
「サムディと融合した今のお前は特殊な状態だ。ちょっとやそっとじゃ死なんはずだ。血や臓物如きで怯む程ヤワでもないだろう」
「融合って、え、何? アタシはアタシだけど?」
「……お前は一体どうなって──」
複数の足音が会話を遮った。ピエロの面を着けた六人の男女が何処からともなく現れ、遠巻きに茶織たちを囲む。
「何アンタら」
前へ出ようとする茶織をアルバが引き留め、
「丁度いいじゃない、ここはリュウとナユタに任せて、ワタシたちは中に入りましょう」
「ええっ、俺たち二人だけで?」
「頑張りましょう、那由多さん」龍は緋雨の羽根を取り出した。「中の方が重要です。ここで全員が足止めを食うわけにもいきません」
「……うん」那由多は頷き、羽根を取り出すと同時に鉄扇に変えた。
ピエロの面の男女はジリジリと距離を詰めて来る。
「では行くぞ。那由多、どうしても無理だというなら入って来い」
「うん。緋雨こそ気を付けてね」
緋雨は小さく頷き、那由多の頭をクシャリと撫でると、豪快にカーテンを開いてテントの中に入った。
「リュウ、しっかりね」
「ああ、そっちもな」
「しっかりねーリュウ子ちゃん!」
「早くこいつも連れてってくれ」
アルバと茶織も姿を消すと、龍は羽根を錫杖に変え、那由多と背中合わせに構えた。
「ねえ龍君、あいつらどういう武器を使うんだろうね」
「今のところは手ぶらですね」
「変なビームとか撃ってきたらどうしよう」
「ビーム……」
「ピエロ本体叩かなきゃ死なない仕様だったら?」
「嫌な事言わないでくださいよ……」
龍の錫杖がシャンと小さく音を立てると、ピエロの面の男女は一瞬動きを止めたが、一人の男が突進すると、残る五人も同じように続いた。
「の、脳筋タイプかなあ!?」
「知りませんよ!」
二人はそれぞれの武器を突き出した。
「あれは……」
緋雨は思わず顔をしかめた。鼻を突く鉄の臭いは、奥に見える大きな円形のステージの方から発せられていた。刃物が何本も刺さった大樽の中に項垂れた人間が入っており、大樽と周辺の床が真っ赤に染まっている。その横にはやはり同じ色に染まった刃物を手にしたピエロが、こちらに背を向けて立っている。端の方にはピエロの仲間たちと、捕えられた男女が三人。
「あの人間は手遅れだったみたいね」
アルバが静かに言うと、緋雨は舌打ちした。
観客席の人気はまばらにも関わらず、まるで満員御礼のような騒ぎだ。誰もが他人の死に興奮し、手を叩きながら歓喜の声を上げている。
「腐ってやがる」
「うげえっ、よくやるよね」茶織が緋雨とアルバの間から顔を出した。「ていうか樽のアイツ誰? TAROじゃないよね」
「いやあ、もっと持ち堪えてくれると思っていたんだけどな! 村上君は意外と貧弱だった!」
ピエロが言うと、観客は一斉に笑った。緋雨の額に青筋が浮かぶ。
「じゃ、次いこうか」
ステージ端にいた大男二人が大樽の中から死体を引き抜き、後方へ無造作に放り投げた。次にステージ奥からピエロの面の男女が五人現れ、男四人は血に濡れるのもお構いなしに大樽を担いで再び奥へと姿を消し、女はピエロが手にしていた刃物を受け取ると、ワゴンを押して男たちの後を追った。
「さて次は──」ピエロが振り返った。「おやおや、せっかくいい感じに盛り上がっていたのに、ここで招かれざる客たちの登場とは!」
騒がしかった観客たちはピタリと静まり返り、無表情で一斉に振り向いた。
「まったく君たちは、何処までボクの楽しみの邪魔をすれば気が済むんだ?」
「ふざけた事を!」緋雨の怒声は、マイク越しのピエロの声と同じくらいよく響いた。「貴様なんぞのくだらない楽しみとやらのために何人殺した!」
「いちいち覚えているわけないだろ。食ったパンの枚数と同じでさ。ケケッ」
「あの娘も……莉緒華も死んだ」緋雨は一歩踏み出した。「寄り添うフリをして唆し、人を殺めるよう仕向け……そして我々の足止めをさせた後は用済みとして始末した。つい先程の話だ、流石にこれだけは忘れてはおるまい」
「へえ……死んだのか。残念だ」
「空々しい」
「リオカって誰」
茶織が小声で尋ねると、アルバは子供に言い聞かせるような口調で「後でね」と答えた。
「まあいいさ……どうでも」ピエロは再び背を向けた。
「逃げる気か」
「紳士淑女の皆様、後は頼んだよ。ゲスト三人は連れて来い」
言い終わるや否や、ピエロはマイクを放り、奥の緞帳の方へとのんびり歩き出した。
「待て!」
「待ちな、悪趣味道化豚野郎!」
追い掛けようとした三人を観客たちが阻んだ。皆一様に目が吊り上がり、歯を剥き出しにして唸っている。
「何だよキモいな。ていうか邪魔!」
「サオリ、思いっきり振り回していいわよ。こいつら人間のフリをした悪霊だから」
「マジ? よっしゃ!」
「散るぞ!」
緋雨は真っ直ぐ階段を駆け下り、茶織とアルバは横に逸れ、観客席の間を通った。
相手が女子供の姿をしていようが、緋雨は容赦なく拳を振るい、時には蹴り上げたり投げ飛ばしたりした。
十数体の悪霊を槍の錆にしたアルバの前後を、警棒を手にした警官姿の男二人が塞いだ。
「動クナ!」
「貴様ハ完全ニ包囲サレテイル!」
「ありきたりな台詞じゃつまらないわ」
男たちは警棒を振り上げ飛び掛かろうとした。
「最近の刑事ドラマ、全然観ていないんでしょうね」
アルバは前方の男の喉を槍で突き刺すと、素早く体を捻って後方の男に蹴りを入れた。槍を引っこ抜くと、仰向けに倒れた後方の男の半開きの口に喰らわせ、小刻みに何度も刺す。
「まあ、ワタシも観ていないのだけれど」
茶織は怒りに任せ、悪霊の頭や顔面を叩き潰しながら進んだ。
「ああもう! 狭いんだよ邪魔なんだよ!」
階段を下り始めると、泣きじゃくる女児が道を塞いでいた。その後方から次々と悪霊たちが集まって来る。
「ごわい! ごわいよお! うわああああん!」
「大変! 待ってな、今──」
茶織が近付くと女児はピタリと泣き止み、白目を剥いて奇声を発しながら突進して来た。
「──あの世に送ってやるから」
釘バットは容姿なく女児の頭を潰し、後から続いた悪霊たちにもめり込んだ。
「騙されるわけないでしょ、バーカ」
茶織とアルバよりも一足先にステージまで辿り着いた緋雨だったが、目の前に大男二人が立ち塞がった。
「やれやれ、こいつは骨が折れそうだ」緋雨はげんなりとした様子で呟いた。「どれだけ鍛えりゃそこまで筋肉が付くんだ? いや別に羨ましくはないが──」
次から次へと無言で繰り出される二人分のパンチを避ける緋雨を、刃物を手にしたバニーガール二人が狙う。
「あんたたちはこっちよ」
声の方へ振り向いたバニーガールたちの体を、足元から上がった大きな火柱が焼き焦がした。
「四対一は不公平でしょ」
消し炭になるかと思われたバニーガールたちは、あちこち焼けただれこそしたものの、何事もなかったかのように刃物を構え直した。
「あら……ちょっと面倒ね」
二人よりやや遅れて辿り着いた茶織は、ピエロの面の五人が、三人の人間を緞帳の向こうに連れ去る姿に気付いた。大男の一人を背負い投げする緋雨の横を通り抜けた直後、血とは異なる強い臭いに気付き、鼻をひくつかせ、緞帳の向こうをそっと覗き込んだ。
「火事だああ!」
茶織の叫び声は、壁際に追い込まれ息を切らしかけている緋雨と、二人のバニーガールがそれぞれ投げた刃物を槍で弾いたアルバの耳に、しっかりと届いた。
「火事だよ火事! アイツら逃げる時に火をつけやがったんだ!」
茶織は真っ先に出入口まで逃げ出した。直後、緞帳の向こうから大量の煙が溢れ出した。
「おいおい……」
大男二人は緋雨から目を離さず、首をへし折らんと腕を伸ばしてきたが、煙に顔を覆われパニックを起こした。
「火の回りが早いわね……」アルバはしゃがんで足元の刃物を拾った。「あ、これお返しね」
一本ずつ左手で投げ返すと、刃物はそれぞれの持ち主の右胸付近に命中した。
「大丈夫か」緋雨がアルバに走り寄った。
「ええ、行きましょう」
「茶織め、速いな」
「そうね、ウフフ」
それから五分もしないうちに、炎はテント全体を呑み込んだ。茶織たち五人は、最初のうちこそその様子を離れた場所から窺っていたが、一刻も早くピエロたちを探し出すために歩き出した。
「クソッ! あんにゃろーが!」茶織は釘バットを何度も地面に叩き付けた。
「気持ちはわかるが落ち着けって」
龍が静かな声で宥めると、茶織は不満そうながらも言われた通りにした。
「足跡とか血痕とか、何か残ってないかしらね」
「ここに来るまでの間のように、隠し通路があるかもしれんぞ」
五人は二手に分かれ、手掛かりになりそうなものを探し始めた。




