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#1-3 那由多①

 磨陣市湯虎町(ゆとらちょう)、磨陣市立湯虎図書館前。近隣の小学校の方から賑やかな声が聞こえてくる以外は、図書館内とほぼ同じくらいであろう静寂さに包まれている。


「まさか本物のデュラハンに会えるなんてね。それも日本で」


 ヒンヤリとした感覚の残る右の掌を左手の人差し指でなぞりながら、天空橋那由多(てんくうばしなゆた)が嬉しそうに言うと、彼の後方、まだあまり落葉していない桜の木の枝に止まっているカラスが一声鳴いた。

 那由多が振り向くと、カラスは枝を離れ、当たり前のように那由多の左肩に止まった。


「ふん、どうだかな」冷めた低い男の声は、カラスから発せられていた。「勝手に自称しているだけで、実際は事故で首がもげて死んだ、ただの人間の子供の霊かもしれんぞ」


「ハハッ、緋雨(ひさめ)は相変わらず疑り深いな」那由多は驚く事もなければ、気分を害した様子もなかった。「でも少なくとも、握手した時に悪い感情は伝わって来なかったよ。じゃ、帰ろっか」


 青年とカラスは、元来た道を戻ってゆく。


「で、会いに行くのか? あのデュラハンの相棒だという人間に」


「勿論。俺と同じ〝見える〟人間で、しかも一人で無茶しようとしているなら、ほっとけるわけないでしょ。その子だって高校生なんだ、下手すりゃ殺される」


 那由多がピエロの化け物の存在を耳にしたのは、つい最近の事だった。市内の中高生たちが、睡眠中に突然死する不審な出来事が相次いでいるらしいという噂が、()()()()()たちの間で広まり始めた頃、ピエロ本人があちこちに姿を現すようになったという。


「中高生たちの突然死は自分の仕業だと、自慢げに口にしておったよ」


「長い間この町で暮らしてるけどさ、初めて見たよ。何なんだろうねえ、アイツ」


 ピエロは霊体ではあるようだが、素性は不明だ。非常に邪悪な気を放っており、はっきり実体化してこそいなかったものの、深く関わるのは危険だろうという意見は、人外たちの間で一致していた。

 本来なら避けるべき相手なのだが、話を聞いてしまった以上、無視するわけにもいかないと那由多は考えた。このまま放置しておけば、ピエロは今後も夢の中から殺人を続けるだろう。そうする事で力を付けてゆき、生きた人間とほとんど変わらないくらいに実体化してしまえば、現実世界でも自由に動き回り、より凶悪な事件を引き起こせるようになってしまう。

 湯虎図書館裏の小さな山には、約一〇〇〇年前より住み続ける大蜘蛛の地霊がいる。彼ならピエロのような存在の対処方法を知っているかもしれないと、とある妖怪から教えられた那由多は、大学の講義が終わるとすぐに湯虎町まで戻り、緋雨と共に大蜘蛛を訪ねた。しかし残念ながら、大蜘蛛は物忘れが激しくなっており、話したそばから直前の会話内容を忘れてしまう始末だった。

 収穫ゼロのまま登山道を下り、図書館に差し掛かると、一人の少女とすれ違った。身長は一三五センチ程、天然パーマの金髪に、透き通るような碧い瞳のそばかす顔。血の気のない青白い肌をしているが、なかなか可愛らしい──自分の首を小脇に抱えた、異様な姿ではあるが。


「何だあの小娘は……趣味の悪い」


「緋雨、声がデカいよ。……あの子、上手く説明出来ないけど、ちょっと特殊な感じがする。あの子にも聞いてみるよ」


 少女はアルバと名乗った。アイルランド出身のデュラハンであり、現在は梛握町の人間の少年の家で暮らしており、彼と共にピエロの殺人鬼の情報を収集しているという。話はトントン拍子に進み、翌日に少年の元を訪ねる約束を交わしたのだった。


「リュウ君かあ。一体どんな子だろうね」


 しばらく平坦な道を進むと、やがて今度は下りの坂道が続く。


「お前と同じように眼鏡を掛けているかもしれんな」


「どうだろね……」



 三年前、湯虎町で暮らしていた那由多の父方の祖父母が相次いで亡くなった。父によって売却されそうになった主なき一軒家を譲り受けた那由多は、昨年の春、高校を卒業するとC県東部の実家を出て引っ越して来た。

 大学はK県東部の浜波(はまなみ)市にあり、磨陣市から通う方が時間・交通費共に節約出来る。そして何よりも、祖父母が遺した、深緑色の屋根にカスタード色の壁紙の小さな家には様々な思い出が詰まっているし、喋るカラスの友人と初めて出会った場所でもあるのだ。

 那由多が〝見え〟たり〝聞こえる〟ようになったのは、自分で覚えている限りでは三歳の頃からだが、物心が付いたのも同時期なので、もしかするとそれ以前からだったのかもしれない。

 朝から晩までじっと道端に佇む、体が半分以上透けた女性。携帯電話で楽しそうに通話しながら歩く若い男性におぶさる、頭から血を流し笑っている老人。廃ホテルの周辺を飛び交う、大量の赤や白の光の玉……。

 それらの特殊な存在が認知出来るのは、当たり前の事ではないと那由多が気付くのには、しばらく時間が掛かった。


 ──どうしてみんなにはみえないの? きこえないの……?


 小学一年生の大型連休(ゴールデンウィーク)中に、那由多は両親と共に父方の祖父母の元へ、電車を乗り継いで遊びに行った。表向きの理由は、洋菓子作りが趣味の祖母のお手製ケーキやクッキーをご馳走になるという事だったが、実際のところは、両親が一人息子の不思議な言動について相談するためだった。

 昼食とおやつをごちそうになり、後片付けも済ませると、祖母と両親は近所のスーパーマーケットまで買い物に出掛け、那由多は祖父と残った。二階の祖父の部屋の窓から三人に手を振り見送ると、遊びに来てすぐに祖父から貰っていたスナック菓子の袋を開けた。


「何だ那由多、まだ食い足りなかったか」


 一階から戻って来た祖父が、部屋に入って来るなりそう言い、両手に一本ずつ持った五〇〇ミリの緑茶のペットボトルを、焦げ茶色の木製の机の上に置いた。


「う、うん、ちょっとね……」


 実際はちょっとどころではなく、全然物足りていなかった。 


「親子丼をどんぶり二杯にケーキを二つ、それでもってクッキーを一〇枚も食べておいて腹一杯にならないとは。いやいや恐れ入った」


 両親曰く、那由多の旺盛過ぎる食欲は離乳食を食べ始めるようになった頃から発揮されていたらしいが、那由多本人にはいまいち自覚がなかった。


「なあ、言った通りだろ? 孫はとにかく大食いだって」祖父の言葉と視線は、那由多ではなく、その後ろに向けられていた。


「ふん、聞いているだけで胸焼けを起こしそうだ」


 聞き覚えのない男の声に、那由多は驚いて振り返った。いつの間にやらカラスが一羽、窓の手摺に止まっていた。


「しかし、それだけ食う割には痩せっぽっちだな。どうなっているんだ」


 カラスの嘴が動いている。男の声は、明らかにその嘴から発せられていた。


「……おじいちゃん、カラスが喋ったよ……」


 祖父は笑い出した。「そうかそうか、やっぱり那由多にも聞こえるか! じゃあ、そのお喋りカラスはどれくらい見える? はっきり見えるか?」


「うん、はっきり見えるよ、お喋りカラス」


「おい、その呼び方はやめろ。我にはちゃんと名があるのだぞ」


 祖父はまた笑った。対してカラスの方は、何が愉快なのか一ミリもわからないと言わんばかりに、紅い目で祖父を睨んでいる。


「おじいちゃん、このカラスは……」


「そいつは緋雨。おじいちゃんが那由多くらいの年齢(とし)の時に、この近くの神社で出会ったんだ。普通の人間には姿が見えないし、声も聞こえない。おじいちゃんもな、那由多みたいに、幽霊だとか妖怪だとか、人外の不思議な存在が見える体質なんだ」


「おじいちゃんも、ぼくと同じなの!?」 


 那由多が顔を輝かせると、祖父は頷いて目を細めた。


「言っておくが、我はそこらの霊や妖怪共とは全く異なる存在だからな。そして緋色の雨であって氷の雨ではない」お喋りカラス──緋雨はつっけんどんに言うと、手摺を離れ、祖父の右肩に止まった。


「まだ難しい漢字は習っちゃいないんだから、そこまで細かく言ってもわからないさ。ああ那由多、そのお茶は飲みたい時に勝手に飲んで構わないからな」


「どうせわからんからと教えんのか? わからんからこそ教えるべきではないのか。おい小僧、お前は馬鹿ではなさそうだ、我の言っている意味がわかるだろう?」


 那由多はとりあえず頷いておいた。そうしておかないと余計にややこしい事になりそうだったし、何よりも、こうやって話を聞いている間にも空腹感が増してきたので、早く切り上げておやつを再開したかった。


「やれやれ、また始まった。昔からちっとも変わらないから困るよ」呆れたようにそう言いつつも、祖父は本気で困ってはいないようだった。


「やれやれとは何だ。そういうお前こそ、その面倒臭がりはちっとも変わらんじゃないか……っておい小僧、お前のその顔、まさか我の事を美味そうだなんて思っちゃいないだろうな……何だその不気味な笑顔は……」

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