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【改稿版】骨の十字架  作者: 園村マリノ
第四章

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#4-1-5 危機と希望⑤

 アルバはほんの少々腹を立てていた。危険だから自分のそばを離れないようにと何度も言ったはずなのに、怨霊との交戦中、龍は新しい通路を見付けるや否や「バロン・サムディの変態的な気配を感じる。後は任せた」と言い残し、走り出してしまったのだ。

 怨霊を始末し龍の後を追う途中、一部通路が広くなっている場所があり、その隅に道脇茶織の武器である釘バットとリュックが落ちていた。龍は気付かなかったのか、とりあえず進むのが先決と判断したのか。アルバが屈んでそっと触れると、釘バットは骨の十字架に戻ってしまった。

 茶織を呼ぶ龍の声──間違いなく何かトラブルがあった様子だ──が聞こえた。アルバは骨の十字架とリュックを左手に持つと先へ進んだ。

 それから一分もしないうちにだだっ広い空間に辿り着いた。アルバの目に最初に映ったのは、血溜まりに膝を突く龍と、その血溜まりの中心に横たわる茶織だった。


「リュウ、無事?」


 龍は無言で振り向いた。元々色白な顔が更に青白くなっている。


「サオリは……」


「ピエロにやられた」龍はかすれ声で淡々と言った。「俺が来た時は既に瀕死だった」


 アルバは骨の十字架とリュックをひとまずその場に置くと、槍を左手に持ち替え、自分も膝を突いて右手でそっと龍の肩を抱き寄せた。


「サオリ……」


 横たわる娘の顔色は、龍よりもずっと青白くなっていた。ピクリとも動かず、息をしていないのも間違いない。しかしそれでも魂は感じられる──()()()の。


「……ねえリュウ、もしかしてサムディおじ様は──」


 龍は茶織を顎で指し示した。


「あら、やっぱり?」


 

 太陽が沈みかけた薄暗い空と、蒸し暑いが乾燥した空気の下、トウモロコシ畑に囲まれた舗装されていない道を、道脇茶織は一人で歩いていた。ここは何処なのか、いつ頃から歩き続けているのか、そもそも何故歩いているのか。さっぱり思い出せないし、わからない。それでも茶織は歩みを止めなかった。止まるという考え自体が思い浮かばなかった。

 しばらくすると、門を構え、塀に囲まれた場所に辿り着いた。閉ざされた門の向こうからは、歓声と太鼓の音色が聞こえてくる。

 茶織は門を押し開けると中を覗き見た。どうやら小さな集落らしい。門の右側、五メートルも離れていない位置に枯れかけた小さな池があり、周囲を囲むように数本の木々が並んでいる。その反対側には藁葺き屋根の粗末な家が数軒あるが、人気(ひとけ)は感じられない。更に十数メートル先には大きな木がそびえ立つ広場があり、そちらには何十人もの黒人の老若男女が集まって、太鼓のリズムに合わせて歌ったり踊ったりしている。

 茶織は歩速を上げ、広場に向かった。数人と目が合ったが、何故か誰も気付いていない様子だった。

 木の根元に腰を下ろす三人の太鼓奏者のすぐ近くまで来た時、集団から少し離れた位置で歌っていた一人の小柄な中年女性が、突然叫び声を上げたかと思うと、それまでとは打って変わって激しく踊り始めた。周囲の人々は驚くどころか、愉快そうに笑ったり囃し立てた。


「お、精霊に憑かれたな。ありゃあ誰だろうな」初老の男性が歌うのを止め、隣の若い女性に話し掛けた。


「ゲデじゃないかしら。ほら、あの腰の動き。卑猥じゃない?」若い女性はクスクスと笑った。


 ──ゲデ。


 茶織はしばらくの間お祭り騒ぎを見学していた──その間にも二人の男女が〝憑かれた〟ようだった──が、やがて集団から離れ、集落の奥へ向かった。門の近くのものと似たり寄ったりな家が何軒も立ち並んでいるが、一軒だけ造りが異なる白い大きな建物があった。


「そこは(タンプル)だよ」


 ぼんやり見やっていた茶織は、ゲデのリーダーの声がした方にゆっくり振り返った。


「気になる? ワシが特別に案内してあげてもいいよん」


 バロン・サムディは、茶織のすぐ斜め後ろにそびえ立つ木の一番太い枝に腰を下ろし、子供のように足をフラフラさせていた。


「サムディ……もしかしてここ、ハイチ?」


その通り(セ サ)! ハイチの小さな村(プチ ヴィラージュ)でーす」


「どうしてわたしがハイチにいるの」


「実際にハイチにいるわけじゃない。ワシが見せてあげてるの。ほら、楽しそうでしょ」


 サムディは集団の方を見やり、聞こえてくる太鼓の音色に合わせて体を揺らした。ゲデに憑依された数人が中心となり、憑依されていない人間まで巻き込んで更に盛り上がっているようだ。


「見せてほしいと頼んだ事はあったかしら」


「単にワシが見せたかっただけ。駄目? それにここはアヤタカとワシが出会った(ヴィラージュ)だからね」


「綾兄と?」


 その瞬間、茶織は思い出した──仲間たちと共に殺人ピエロの凶行を止めるべく動き回っていた事、立ち塞がる化け物たちを次々に始末した事、そして追っていた殺人ピエロに隙を突かれて致命傷を負わされ、血の海に横たわった事を。


「何……やっぱりわたし死んだの?」


「いんや」サムディは枝から飛び降りると、茶織の元に寄り、汚れ一つない白手袋をはめた右手を差し出した。「さ、そろそろ戻ろうか」


 茶織は手を取る事をためらった。サムディに触れるのが嫌だったからではない。偽者だったとはいえ、綾鷹の顔と声をした存在に殺されかけた。そして、自分が危機に陥っても、颯爽と現れ助けてくれる事なんてないのだという現実が、戦う勇気と気力を奪っていた。


「ああ、言わなくてもわかるよ。伝わってくる。恐怖と悲しみと、それから寂しさが」


「……あんたに何がわかるのよ」


 茶織は目を逸らし、地面を軽く蹴った。つま先にぶつかった小石がサムディのいた木の方まで転がる。


「わかるさ、今は特にね。でもさあサオリ、少なくとももう、ひとりぼっちじゃないでしょ」


「……え?」


「それにいいの? アヤタカを侮辱したピエロ(アイツ)に、これ以上好き勝手させてさ」


「全然良くない」


「んじゃあ、やっぱり戻ろうじゃないの、皆の所に」


 茶織が視線を戻すと、サムディはニカッと笑ってみせた。


「……皺だらけなのにシミはないのね」


「そりゃあ、お肌に気を遣っているからねっ」


「だったら皺だって少なくていいはずだけど」


「手厳しいなあ……」


 茶織はうっすら笑うと、ヴードゥーの偉大なる精霊の長の手を取った。

 村人たちの歓声と歌声、太鼓の音色が徐々に遠くなってゆく……。



 龍は驚愕に目を見開いた。もしかすると、血の海に倒れる茶織を見付けた時以上に驚いていたかもしれない。

 その茶織の傷口が徐々に塞がってゆき、顔色も良くなってきているではないか。更には、破れて血塗れになった服までもが元通りの綺麗な状態に戻りつつある。


「み、道脇さん……?」


「おじ様がやったのね。もう大丈夫よ。これ持ってて頂戴」


 アルバは龍に槍を預けると、茶織を抱き上げた。


「えと……サムディが道脇さんに憑依する事によって、回復した……?」


「そういう事」


 龍は安堵の溜め息を吐いた。


「うーん、でもちょっとまた別の問題も発生するかもしれないわね」


「え?」


 二人分の足音が聞こえ、ややあってから那由多と緋雨が姿を現した。


「龍君にアルバ! 無事かい?」


「ええ、まあ」龍は曖昧に頷いた。


「あれ、茶織さん──うわあっ!!」


「おい、血の臭いが──なっ……!?」


「落ち着いて、二人共。サオリはもう元気だから」


「げ、元気だって!?」


「何があった。バロン・サムディはいないのか」


「いるよ、()()()


 答えたのは目を覚ました茶織だった。違和感に顔をしかめ、抱き上げられているのだとわかると自ら降りて、全員の視線はお構いなしに呑気に大きく伸びをした。


「……道脇さん? 大丈夫ですか」


 龍は恐る恐るといった様子で声を掛けた。目の前にいる女性は道脇茶織本人だ。しかし何故だか全く別の存在──人間ですらない──に感じられた。

 茶織は最初に龍を、それから残る全員を順に見やると、耐えきれないと言わんばかりに笑い出した。


「何アンタら、ボケたみたいにポカンとしちゃって!」


「……お前、本当に道脇茶織か」緋雨は不信感を隠さず尋ねた。


「はあ? 当たり前でしょ」茶織はあっさりと返すと、龍たちに背を向け、周囲をキョロキョロと見回した。「アイツは何処行ったよ、あの腐れ道化師(クラウン)は」


「わからないわ。ワタシたちが来た時、あなたは一人で倒れていたから」


 アルバが答えると茶織は舌打ちした。


「何処かに抜け道か何かがあるはず……絶対探し出して、この手で原形留めなくさせてやるからな……待ってな道化野郎……」


 ブツブツ独り言を呟く茶織の後ろで、那由多と緋雨は困ったように顔を見合わせた。


「おい、どうなってんだあれ」龍はアルバの甲冑の腕をグイと引っ張り耳元で尋ねた。


「サムディおじ様の憑依によって、新たな人格が生まれたのよ。おじ様程の力のある精霊に憑依されたら、普通の人間は完全に意識を乗っ取られるはずだけれど、どうやら上手い具合に融合したみたいね。まあ安心しなさい、憑依されている間だけだから」


「……マジか」男性陣全員が同時に呟いた。


「マジよ」アルバはウフフと笑った。


「ところでさ」茶織が振り返った。「アタシの武器、何処にあるか知ってる?」

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