#3-4-4 戦闘④
体育館の外には、住宅街が続いていた。
「異界から出られた……わけじゃなさそうね」
辺り一帯、空に至るまでセピア色をしている。静寂さも相まり、まるで時が止まってしまっているかのようだ。
「古い写真の中に入り込んだみたいだ」
「空の色が変わったのは良かったけど、これはこれで不気味だわ」
茶織とサムディが先に進み、龍、アルバと続く。
「力の弱まっていそうな場所はないの?」茶織がサムディに尋ねる。「疲れてきたわ。気持ち悪いのと戦わされるし、バットは重いしリュックもしょってるし」
「探してるんだけどねえ、なかなか見つからないのよ。よく出来てるよ。感心しちゃうね。ていうかサオリさあ、出口が見付かったとしても、もしこの異界内に道化師がいたら、ほっといて出て行くわけにはいかないんじゃなーい?」
茶織は答えず、数メートル先のバス停まで早歩きで向かい、古びたベンチの端に腰を下ろすと、苛立ったような声で「休憩!」と宣言した。
龍とアルバも座り、サムディは後ろで宙に浮き胡座を掻いた。
茶織は足元に釘バットを置くと、バス停看板に目をやった。行き先は知らない地名だ。
「まさかバスを待つつもりですか?」
「違うわよ。何処の町なのかってね」
「大浦の方ですね」龍は看板を見やると即答した。
「大浦?」
「浜波市寄りの方角にある、小さな町です」
サムディが宙で胡座を掻いたまま、茶織たちの正面へやって来た。
「サオリィ、早く行こうよ」
「休んだばかりでしょ」
「えー、ワシもう充電完了よ?」
「壊れかけの電子機器ってすぐ充電終わるわよね」
「どういう意味さ!」
龍はうっすらと笑った。
「わたしはまだ疲れてるの。暇なら、この先を偵察して」
「へーい」
サムディは平泳ぎするように宙を進んでいった。
「それにしても」アルバが茶織の足元に置かれた釘バットに目をやった。「凄い物持ってるのね」
「骨の十字架の話は前にしたわよね。それをサムディが変化させた。日高君の武器はどうなってるの」
「待ち合わせ中に、緋雨に羽根を貰ったんです。それが姿を変えて」
「わたしもそっちの方が良かったわ」茶織は乾いた血であちこち汚れた服に目をやると、苛立った表情を見せた。「ピエロにクリーニング代を請求してやる」
龍も釘バットに目をやった。こちらにも血がこびり付いており、よく見るとまだ完全に乾き切っていない部分もあるようだ。
──知らない人間に見られたら、絶対通報されるよな。
「おーい、皆の者~」サムディがアスファルトをスキップして戻って来た。「向こうに人間の男が二人いたよ~ん」
「人間が?」
「ワシ程じゃないけど渋いイケオジと、扇子を持った眼鏡君」
「眼鏡君て……那由多さんか?」
「その二人は何を?」アルバが尋ねた。
「何かでっかい木の人形の化け物と戦ってた」
「早く言えって。行くぞ」
龍が慌てて走り出すと、サムディが追い掛けて隣に並び、その後ろにアルバが続いた。
──あと一〇分は休みたかったわ。
茶織は立ち上がると大きく伸びをし、右肩を何度か回した。間違いなく明日は筋肉痛だ。
「サオリー、置いてくよーん」
「今行くわよ!」
茶織は小さく溜め息を吐くと、足元の釘バットを拾い上げた。
「うわあっ!」
大きな木製のデッサン人形が両手で那由多を捕らえ、ゆっくり持ち上げると、そのまま肋骨をへし折らんばかりにギリギリと締め上げた。
「痛っ……いだだだだっ!」那由多は閉じた鉄扇で、デッサン人形の左腕を下から何度も突いた。
助けに向かおうと踵を返した緋雨の足に子供がしがみ付き、ふくらはぎに噛み付いた。
「ぐっ……ええい、やかましい!」
緋雨は子供を振り払って向き直ると、以前、西朝倉に住む少女の夢の中でピエロに使用したものと同じ呪文を唱えた。子供たちの足元を破魔の光が照らし、直後に光輝く炎が発生すると、あっという間に一人残らず焼き尽くした。
「うう……ぐっ」
那由多は痛みと苦しみで意識が遠のきかけていたが、諦めずに鉄扇で突き続けた。すると徐々にデッサン人形の締め付ける力が弱まってゆき、パキリという小さな音が聞こえたかと思うと、鉄扇で小突いていた部分にヒビ割れが生じ、徐々に全体に広がっていった。
やがてデッサン人形の動きが完全に止まり、那由多が身を捩って逃げ出そうとしているうちに砕け散った。
「わっ!」那由多はドスンと尻餅をついた。
「大丈夫か」
「うん、大丈夫。でもちょっと遅かったらヤバかったかも」那由多は服の上から肋骨付近をさすった。「今のって緋雨?」
「いや、その鉄扇の効果だ」
「へえ、凄いや。こんなんじゃ太刀打ち出来ないと思ったけど……ああ痛かった!」
緋雨が差し出した手を掴み、那由多はゆっくり立ち上がった。
「行くぞ。あの女を探す」
「えー、ちょっと休まない?」
「ふん、知らんぞ、そいつが再生しても」緋雨は意地悪く微笑み、散らばったデッサン人形の欠片を顎で指した。
「え……今ので倒したんじゃないの?」
「子供たちの亡霊と違い、消え去っていない」
「……わかったよ、行こう……」
長い回廊を進み続け、ようやく木製の大きなドアに辿り着いた二人は、用心しつつも勢い良く開いた。
「え……?」
目の前に広がるのは、一面セピア色の住宅街だった。
「何だここ……」
二人が外に出ると、ドアはひとりでに閉まり、振り向いた時には建物ごと忽然と消えて行き止まりになっていた。
「とにかく進むしかないみたいだね。まあ、あの人形が来ないって事で安心した」
脇道もあったが、二人は本道を真っ直ぐに進んだ。
「静か過ぎるね。誰もいないし、車も通らない」
「鳥の一羽もいやしない。街全体が死んでいるようだな」
「……死、か……」那由多は呟くように言うと黙り込んだ。
「……どうした」
「ん、いや、そのさ……茶織さんが聞いたって話だと、ピエロは自殺者の霊らしいじゃない。怨みの念なんかが強くて成仏出来ずにいるんだろうけど、中高生を何人も殺したり、仲間を募って大道芸で何か起こそうとして、TAROも狙っていたり。かなり好き勝手やってるよね」
「ああ」
「ある意味さ、死んでないな、むしろ生き生きしてるなって。種類は何であれ、普通、並の霊はそんなに好き勝手に動き回れないでしょ。なのに、まるで生きた人間みたいに気ままに行動してる。悪い事を楽しんじゃってる。
過去に何があったのかは知らないけどさ、ひょっとすると、生前の方が死んでいるも同然の状態だったのかな、って、ふと思ったんだ。まあ俺の勝手な想像だけどね」
「……死んでいるも同然といえば、先程のあの女も似たような状態だったな」
「え……?」
左右の分かれ道に差し掛かると、何かに気付いた緋雨が那由多を制止し、分岐点の真ん中に立てられた、何も貼られていない古びた掲示板を指差した。
「見ろ」
掲示板の表面で何かが蠢いたかと思うと、突如として映像が浮かび上がってきた。不鮮明ながらも、中学生くらいの少年とその周囲の風景──学校の教室のようだ──が確認出来るが、音声は聞こえない。
少年は席に座り読書をしていた。少年の周囲にも何人かの生徒たちがおり、更に少年から離れた位置では、男子生徒数人が談笑しているが、少年の方をチラチラ見ては、何か言って笑っている。
──何だか感じ悪いな。
笑っていた男子生徒たちの内の一人が、少年にテニスボールを投げ付け、頭部に命中させた。少年の手から本が落ちると、男子生徒たちは大きく手を打ったり腹を抱えて爆笑した。周囲の他の生徒たちもニヤニヤするか、無視を決め込んでいる。
少年が逃げるように席を離れて何処かに去っていくと、男子生徒たちは目で追いながら笑ったり中指を立てていたが、ボールを投げた生徒とは異なる一人が何か言うと、全員が少年の後を追うように画面外へ去っていき、そこで映像は途切れた。
「何だ今の……胸糞悪い」那由多は久し振りに強い怒りを感じていた。「今のっていじめだよね。いや、むしろ暴力行為だ」
「那由多、気付いていたか?」
「ん、何が?」
「あの男子生徒たちの中に、TAROによく似たガキがいた。最後に何か言っていた奴だ」
「え、本当? 全然気付かな──」
カツカツカツカツ……
後方から音が聞こえ、二人は同時に振り向いた。
カツカツカツカツ……
「……足音?」
カツカツカツカツ……
「ねえ、しかも重なって聞こえない?」
カツカツカツカツ……
カツカツカツカツ……
カツカツカツカツカツカツ……
「なっ……!」
「出たあっ!」
驚愕に目を見開く緋雨に、那由多は抱き付いた。
カツカツカツカツカツカツカツカツカツ!
早歩きで姿を現したのは、三メートル超の色違いの木製のデッサン人形が二体だった。
「増えてる! グレードアップしてる!」
「落ち着かんか。一人一体だ。お前は自分側の色の薄い方をやれ」
「次捕まったら絶対骨折じゃ済まないだろこれ!」
「上手く回り込め。奴らはあの図体だ、あまり機敏な動きは出来ないはずだ」
デッサン人形は二体揃って那由多に狙いを定めたようだった。
「おい、お前の相手は我だ」
緋雨は右の掌を色の濃いデッサン人形に向けて突き出した。すると掌から青白い気の塊が飛び出し、デッサン人形の胴体に直撃した。
色の濃いデッサン人形はゆっくり振り向くと、緋雨の方へ向かって来た。
「そうだ、来い──っておい!」
色の薄いデッサン人形までもが緋雨に向かって来た。
「一人一体だと言っただろうが!」




