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【改稿版】骨の十字架  作者: 園村マリノ
第三章

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#3-4-3 戦闘③

 TAROを探す途中、〈藤紫第二ビル〉からそれ程離れていない路地裏で、緋雨がピエロのトラップに気付いた。


「異界に続いているな。ピエロ自ら創り出したのだろう。この位置から三〇歩も進まないうちに入り込むぞ」


「え、でもこの先って行き止まりじゃない」


「入ればわかる」


「入れば……え、入るの?」那由多は僅かに身を強張らせた。「一度入ったらそんな簡単には出られないんじゃない?」


「ああ。しかしTAROは恐らく異界の中だぞ」


「えー……」


「我の力が信用ならんか」


「そういうわけじゃないんだけどさ……」


「羽根だってやっただろう」全く気乗りしない様子の那由多の肩の上で、緋雨は呆れたように言った。


「俺、小学校の遠足の時に一度、うっかり異界に入り込んじゃった事があったんだ。すぐに気付いたけど、抜け出し方がわからなくって困ってたら、何故か中にいた、見ず知らずのおにいさんが助け出してくれて。あの人がいなかったらどうなってたかわからないよ」


「ほう、初耳だな」


「うん、初めて話したと思う。あ、別に秘密にしていたわけじゃないよ」


 あの時の男性が何者だったかはわからないが、少なくとも、那由多と同じ〝見える〟人間だったのだろう。礼は言えたが、名前や素性、連絡先を聞く事までは頭になかった。男性と別れた後、途中で一度振り返った時には既に姿はなかった。


「ならば、お前一人で残るか? 無理強いはしないぞ」


「うーん……いや、俺も行く。緋雨一人で、何かあったら困っちゃうもんね」


「ふん、よく言う」


「それに、もしかしたら茶織さんや龍君たちだって入り込んじゃってるかもしれないし」


「可能性はあるな」


 緋雨の言った通り、三〇歩近く前進したところで、那由多は軽度の目眩を感じ、一旦立ち止まって目を閉じた。


「あー……もしかして今入った?」


「ああ。見てみろ」


 ゆっくり目を開いた那由多は、広がる光景に息を呑んだ。

 殺風景な路地裏だったはずが、白い壁に何枚もの絵画が飾られた、それ程広くはない室内へと変貌していた。前方最奥には上り階段が見える。やって来た方向は壁になってしまっており、やはり絵画──茶色いテーブルと青いテーブルクロス、その上に乗ったりんごと空のワイングラスの油絵だ──が飾られている。


「美術館? 画廊?」


「とりあえず先へ進むしかなさそうだな」


 汚れ一つないフローリングの床をゆっくり進みながら、那由多は一枚一枚の絵画を鑑賞した。それら全てが油彩か水彩の静物画と風景画であり、素人目で見てもなかなか優れているのがわかる。


「ほれ、とっとと行くぞ」


「何で飾られているのかなって。どれも素晴らしい絵だよ。ピエロが描いたのかな」


「そんなに気になるのであれば、全部後で本人に聞けばいい」


 階段を上ると──全部で一三段あった──薄暗く長い回廊が続いており、階下の部屋と同じく両壁に数枚の絵画が飾られていた。正面を向いたバストアップの肖像画で、鉛筆で描かれている。右壁には男性、左壁には女性と分けられており、どちらのモデルも全員二〇代くらいに見える。


「まるで遺影のようだな」


 緋雨の何気ない一言が、那由多の背筋に冷たいものを走らせた。


「本当だ……何か嫌だな」


 右壁の最後の人物画はTAROのものだった。若干細められた一重瞼の吊り目と、薄い唇が開きかけている表情からは、こちらを小馬鹿にしているような印象を受ける。


「もしかして……ターゲットはTARO一人じゃない?」


 緋雨が那由多の肩からフローリングに降りた。


「どうしたの緋雨」


「充分過ぎるくらいに魔力が満ちている。ここなら元の姿を保てそうだ」


「元の姿……ってあの、髪の毛逆立ってて無精髭生やした、着流しのおじさん?」


 那由多が言い終わらないうちに緋雨の姿が煙のように消え、言い終えた直後には紺色の着流しに草履姿の男性が現れていた。


「おじさんとは失敬な」


「えー、少なくとも俺より年上だろ。だからもうおじさん」


 那由多がニヤリと笑うと、緋雨もニヤリと笑い、那由多の額を指で弾いた。


「痛っ!」


「生意気な奴め」


「実際のところ何歳なの?」


「さて……どうだったかな。もういつにも数えていない」


 緋雨の表情からは、上手く説明出来ないが何か感じるものがあり、那由多はそれ以上の言及はやめた。


「お喋りは後だ。行くぞ」緋雨は身を翻した。「羽根の用意はしておけ。すぐに使えるように」


「うん、わかった」


「訂正する。今すぐに出せ」


「え?」


 十数メートル先の突き当たりから、年端のいかない、そして生者でもない子供たちが姿を現した。計八人、全員虚ろな目をし、小さな手に不釣り合いな大きな石を握り締め、フラフラとした足取りでゆっくり進んでくる。


「迷い込んだんじゃないわよね」突き当たりの向こうから、刺々しい女の声がした。「大人しく退散するっていうなら、見逃してあげるわよ。どうする?」


「引くつもりはない」緋雨は淡々と返した。「出て来い」


 ややあってから、声の主が姿を現した。緩やかにウェーブした黒髪にカジュアルスーツ姿の若い女だ。腕を組み、不機嫌そうにこちらを睨み付けている。


「緋雨、あの人は生きた人間だよ」


「そうよ、あなたたちと同じ人間」緋雨より先にスーツの女が答えた。


「何故ここにいるんです?」


「そんな事気にしている場合?」


 子供たちがどんどん迫ってくる。彼らはきっと、その小さな手に持つ大きな石を、何のためらいもなく振り下ろすのだろう。それも一度では飽き足らず、壊れた機械のように、何度も何度も。生きた人間ではないし、こちらに殺意を向けている。()るか殺られるかだ。しかし那由多には、どんな形であれ、手を下せる自信がなかった。


「那由多、羽根は出したか」


「う、うん」那由多は右手に持った羽根を緋雨に見せるように差し出した。「ねえ、これってどうやって──」


 羽根が強く光り出した。形が変わり、重さが加わると、那由多は落としてしまわないよう左手を添えた。


「これは……」


 光が消えると、那由多の手には扇子が握られていた。広げると三〇センチ弱の大きさがあり、扇面は鮮やかな緋色のグラデーションだ。通常の扇子と違うのは、親骨が鉄で出来ており、重さもそれなりにある点だ。


「ほう、鉄扇(てっせん)か」緋雨が感心したように呟いた。


「鉄扇……」


 二人が子供たちに向き直ると、スーツの女は姿を消していた。


「緋雨の武器は?」


「我か? 我にはこれがある」緋雨は右の拳を左の掌に打ち付けた。 


「そっか。俺は、これで手を叩いて石を落とさせればいいんだよね。後は、その……」


「那由多よ、ためらいは死だぞ」


「わかってるよ……」


 緋雨はつかつかと子供たちに歩み寄ると、一番手前にいた男児が石を振り上げるよりも先に、頭に拳骨を喰らわせた。男児は驚愕の表情を浮かべると、次の瞬間には殴られた部分から砂のように崩れて散り、石だけが残った。

 緋雨の紅い目に睨まれ、子供たちは怯んだ。しかし那由多たちの後方の何かに気付いた素振りを見せると、気を取り直したように一斉に石を振り上げた。


「那由多、後ろだ。気を付けろ」


 緋雨が振り返らず早口に言うのと、那由多が後方から近付く気配に気付いたのは、ほぼ同時だった。

 振り返った那由多の目に入ったのは、二メートルはある木製のデッサン人形が、こちらに両手を伸ばす姿だった。

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