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【改稿版】骨の十字架  作者: 園村マリノ
第三章

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#3-4-2 戦闘②

 バスケットボールの一つが大きく跳躍し、アルバ目掛けて急降下した。アルバの槍がボールの大きな一つ目を正確に貫くと、牙の生えた口から甲高い悲鳴が上がった。

 アルバは串刺し状態のまま槍を一振りし、後から続いていた他のボール数個を吹っ飛ばした。


「リュウ、気を付けて!」


 槍の攻撃が逸れたボールが一つ、龍に向かって跳躍した。咄嗟にアルバの方へと横っ飛びに避けると、ボールは直前まで龍が立っていた地点にぶつかり、反動で何度か跳ねると壁際まで転がっていった。

 串刺しにされていたボールは、空気が抜けながら急速にしぼんでゆき、やがてポンと弾けるようにして跡形もなく消え去った。


「後片付けの心配はしなくていいようね」


 方々に吹っ飛ばされていた他のバスケットボールたちが、再び転がりながら接近してくる。


 ──頼む、そろそろ力を貸してくれ。


 龍は左手の緋雨の羽根に願った。


 ──守られてばかりじゃ嫌なんだ。


 緋雨の羽根が、突然強く光り出した。そのまま手元で何か別の物に変わってゆくのが感じられ、龍は息を呑んだ。


「リュウ、大丈夫?」アルバが肩越しに振り向く。「羽根は──あら」


 龍の両手には、先端に(すず)製の遊輪(ゆうかん)が六個付いた、一六〇センチはある木製の杖が握られていた。


「何だか変わった杖ね」


錫杖(しゃくじょう)だ。修行僧が使う道具で、杖術(じょうじゅつ)にも使われたらしいが……」


 錫杖を軽く振ると、遊輪がシャンシャンと音を立てた。龍は不思議と安心感を覚えた。


「具体的にどう使えばいいんだ? 突くのか、殴るのか」


 考える暇もなく、バスケットボールたちが飛び跳ね始めた。龍とアルバは背中合わせに対峙した。


「そっちは全部任せた。俺はあの一個を倒したら、理人をやる」


「片付いたら加勢するわ」


「いい。俺がやる……絶対に」


 龍は理人を横目で見やった。理人は首だけ真後ろに向けた状態のまま、ニヤニヤと笑いながら非常にゆっくりとした動きでこちらに近付いてくる。後ろ歩きのためか、時々体がフラついている。

 龍と対峙するボールが、歯をガチガチと鳴らしながら大きく跳躍した。


 ──来る!


 龍は数歩前に出ると、急降下するボールに錫杖の先端を突き出した。


 シャン!


 錫杖の先端が強い光を放った。光はボールを包むように広がると、次の瞬間には赤い炎となり焼き尽くし、後には僅かな灰が散るだけだった。


「……(すげ)ぇ……」


「リュウ、そっちに行ったわ!」


 慌てて振り返ると、目玉の潰れたボールが龍に飛び掛かるところだった。


 シャン! シャン!


 考えるより先に錫杖を振ると、光がブーメランのように放たれ、ボールを真っ二つに裂くと同時に焼き尽くした。


「あら凄い。ヒサメは便利なものをくれたのね」


 アルバは残りのボール相手に器用に立ち回り、リュウが手助けする必要もなく、一体ずつ確実に捌き、仕留めていた。


「龍……兄ちゃん……」


 理人──いや、理人の姿をした化け物は、異様なまでに吊り上がった目から明確な殺意を放ち、血を滴らせた口元にはバスケットボールと同じような牙を覗かせていた。


「龍兄ちゃん……リュウニイチャンリュウニイチャンリュウニイチャアアアアアン!」


「うるさい」龍の錫杖を握る手に力が入る。「これ以上、理人を侮辱するな」


 シャン! シャン!


 光の矢が一瞬で化け物の胴体を貫いた。化け物は膝から崩れ落ちたものの、床に倒れ込む直前、まるでゼリーのようにグニャリと溶け出すと混ざり合い、龍が呆気に取られているうちに、三メートルはある全身真っ黒な犬のような姿へと変化した。


 ──そう簡単には倒せないか。


 化け物は牙を見せてニヤリと笑った。


「リュウ、お待たせ。下がってていいわ」


 アルバがやって来ると、化け物は不快そうに唸り声を上げた。


「いや、いい。俺がやる。さっきも言ったろ。どうしてもと言うなら、援護してくれ」


「もう……」


 化け物が今にも飛び掛からんばかりに低く身構え、アルバが龍を庇うように前に出たその時だった。


「ちょっと、引っ付かないでよ変態! 邪魔!」


「だあってぇ~、怖いんだもぉ~ん!」


「これで殴られたいの?」


「鬼に金棒、誰かさんに釘バット! 嘘ですごめんなさいせめて平手打ちで許してくださぁ~い!」


 緊迫した空気をぶち壊す会話が聞こえてきたかと思うと、体育倉庫の扉が重たい音を立てて開き、何者かが姿を現した。


「何よここ……体育館?」


 龍の知っている女性だった。気が強そうな顔立ちに、肩まで伸ばした髪。パーカーとホットパンツ、スニーカーというカジュアルな服装は似合ってはいるが、あちこちが赤茶色く汚れてしまっている。


「道脇……さん?」 


 二、三丁目を調べていたはずの道脇茶織が、何故ここにいるのだろうか。そして何よりも目を惹くのが、右手に握られた物騒な代物だ。


 ──く、釘バット?


「日高君? ……これってどういう状況なの」


「サオリ、どしたのさ」


 茶織の後ろからもう一人が姿を現した。ボロボロの黒い山高帽と燕尾服にブーツ、杖を手にした白手袋という姿の、一九〇センチ以上はある長身で華奢な男性だ。真っ白な顔には皺が刻まれており、目元はサングラスで隠されている。


 ──まさか、あれが……。


「バロン・サムディ」


 アルバが言うと、男性はこちらに気付いた。


「およっ、(アルミュール)お嬢ちゃん(マドモワゼル)、ワシを知ってるのねっ」


 化け物は突然身を翻すと、茶織目掛けて走り出した。


「逃げろ道脇さん!」龍は叫んだ。


「出番よ」茶織はバロン・サムディを引っ張り出すと、化け物の方へ突き飛ばした。


「ほわっ!?」


 よろけて派手に転倒したサムディに化け物が飛び掛かり、首元に喰らい付いた。


「なっ……!」目の前で起こった光景が信じられず、龍はその場で固まった。「み、道脇茶織……あんた……!」


 茶織は平然とおぞましい光景を眺めている。


「大丈夫みたいよ」アルバが龍の肩にそっと触れた。


「大丈夫だって? 何言って──」


 サムディの姿が消えていた。龍以上に化け物の方が驚き、困惑している。


「ほら、あれ」


 アルバは龍の耳元で囁き、化け物の近くを指差した。よく見ると、一部分だけ空気が陽炎のように揺らめいている。あれは何だと龍が問う前に揺らめきが強くなり、まばたきの間にサムディに姿を変えていた。


「ヒョエエッ、怖かった! しかしまあ躾のなってない(シアン)だこと!」


 化け物が振り返るのと、サムディが杖を振りかざしたのは同時だった。杖の先端から黒い霧が溢れ出すと、サングラスを掛けた大きな人間の頭蓋骨となり、踵を返そうとした化け物に飛び付いて背中に齧り付いた。

 化け物は誰もが耳にした事のないようなおぞましい悲鳴を上げ、のたうちまわった。頭蓋骨が更に追い討ちを掛けると、悲鳴は徐々に小さくなってゆき、やがて龍の方へ頭を向けた俯せ状態のまま動かなくなった。


「倒したのか……?」龍の呟く声が、静寂な体育館内に響くようによく聞こえた。


「どうよ、ワシの頭蓋骨(クラヌ)ちゃんは」


 自慢げに胸を反らすサムディを無視し、龍は化け物に近付いた。化け物は目も口も閉じ、呼吸している様子はない。


「リュウ、気を付けて」


 ──こいつは消えないのか?


「龍兄ちゃん」


 龍の心臓が大きく脈打った。

 化け物は再びグニャリと溶け出すと、上半身だけ理人の姿となり、後ずさりかけた龍の足首を掴んだ。


「龍兄ちゃん……助けて……苦しいよお……」


「……っ!」


 振り解こうにも、信じられない程の強さで掴まれてしまっていた。


「苦しいよ……痛いよ……」


 化け物が顔を上げた。充血した目玉が飛び出しポロリと落ちると、眼窩からドロドロとした血が流れ出した。


「龍兄ちゃん……」


「離せ……やめろ……ああ……」


 龍は錫杖を振り下ろす事が出来なかった。


「龍兄ちゃああああああああああああああ」


「やめろおおおおおおおおお!!」


 ザクッ。 


 ゴツッ。


 化け物のこめかみに槍の先端が突き刺さったのと、後頭部にいくつもの釘がめり込んだのは、ほぼ同時だった。


「しつこい男は嫌われるわよ」


「うるさいわよあんた」


 化け物は、直射日光に晒されたアイスクリームのように溶けてゆき、やがて床に大きな黒いシミを残して消えた。

 龍は荒く息を吐き、崩れ落ちるように座り込んだ。錫杖が手から離れ、大きな音を立てて床に落ちると、一瞬光に包まれた直後に消え去り、一枚の黒い羽根が残った。


「まったく、慎重なのか無鉄砲なのかわからない子ね」 


 アルバは龍の隣に膝を突き、背中をそっとさすった。


「サムディ、あんたの攻撃が中途半端なのよ」


「えー、ワシのせいー?」


「だいたいあんた、ピエロの時だって、さっきのに似た技で逃しちゃったわよね。ヴードゥーの精霊って頼りないのね!」


「ぬなっ!? ひ、酷い言い草! 泣いてやるっ!」


「気色悪いから絶対やめて」


 龍は左手で緋雨の羽根を拾い、アルバに支えられるようにしながら立ち上がった。


「日高君。さっきのって……」


「リュウのお友達の弟、の姿を真似た悪しき存在よ」龍の代わりにアルバが答えた。


「ああ、この間言ってたわね。ピエロに──」

 

 茶織は龍をチラリと見やった。俯いたまま座り込む姿は、一五年前、初めて邂逅した際の叔父と重なって見えた。


「──ところで、あなたアルバ?」茶織は龍から目を逸らし、隣の西洋甲冑姿の白人女性に尋ねた。


「ええ」アルバは静かに答えた。


「改めてご挨拶~!」サムディが茶織とアルバの間に割って入った。「ワシ、ヴードゥーのゲデのリーダー、バロン・サムディ! 酒と葉巻と楽しい事が大好き! ちなみに既婚者! よろしくぅ!」


「デュラハンのアルバよ。よろしく、サムディおじ様」


「サムディおじ様? その呼び方気に入った! ヒョヒョヒョヒョヒョ!」サムディは機嫌良く宙返りをしてみせた。「で、そっちの少年(ギャルソン)が、リュウ?」


「ええ、そうよ。ねえおじ様、詳しい自己紹介はまた後で。今はここから抜け出す事が先決でしょう?」


「んだな。じゃ、行きますか」


「行くったって、どの扉から出るつもり? また化け物の巣窟なんて嫌よ」茶織は顔をしかめた。


「ワシの勘が正しければ──」サムディは緞帳が下りたステージを指差した。「あの向こうもどっかに繋がってる」


「あのステージが?」


 サムディはフラフラと飛んで行った。


「リュウ、大丈夫?」


 アルバはリュウに優しく声を掛け、頷いたのを確認すると、サムディの後に続いた。

 茶織も続こうと数歩進んだが、ふと思い付いたように足を止めた。


「日高君」龍は返事も反応もしなかったが、茶織は構わず続けた。「絶対にぶちのめすわよ、あのピエロを。調子に乗って侮辱してきた事を、嫌という程後悔させてやるのよ、わたしとあなたで」


 龍の体が僅かに震えた。


「天空橋君はどうかしらね……虫も殺さなそうな顔してるけど。ああ、それと、(とど)めはわたしが刺すから、そこは邪魔しないでね」


 ややあってから、龍は三人が向かった方へと顔を上げた。サムディが緞帳をめくって中を覗き、数メートル後方でアルバがその様子を見守り、更にその数メートル後ろを茶織が歩いている。


「おおっ、やっぱり! ほら、道が続いてる! ワシって天才! イケメン!」


「あら、凄いわおじ様」


「わー凄い凄い」


「サオリ、全然心が籠ってない!」


 龍は緋雨の羽根を見つめながら、殺人ピエロには必ず光の裁きを受けさせてやると誓った。そして道脇茶織の背中を見やると、小さく頷いた。


 ──絶対にぶちのめす。あのピエロを、俺たちで。


 龍はパーカーのポケットに羽根をしまうと、自分を待つ三人の元へと走った。

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