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【改稿版】骨の十字架  作者: 園村マリノ
第三章

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#3-3-2 善意と悪意②

「え、っと……あった、ここだ」


 約二〇分後、那由多と緋雨は二丁目の〈藤紫第二ビル〉前に辿り着いた。外観や大きさは四丁目の〈藤紫ビル〉とほぼ変わらないようだが、若干新しいように見える。〈藤紫ビル〉周辺と同じく大通りから外れているためか、あまり通行人の姿は見受けられない。


「今度こそ間違いないだろうな」


「だといいんだけど。あー、汗掻いた! それに、ちょっとお腹空いてきたかも」


 緋雨は何も言わず、小さく溜め息を吐いた。


「一〇時二二分……リハーサルもあるだろうし、もう来ていてもおかしくないよね。入っちゃおうかな」


「今度はどうするつもりだ。またアルバイトスタッフを名乗るつもりか」


「TAROの所属事務所の人間って事で。一応偽物の名刺も作ってあるし、見せろって言われれば見せようかなって」


「周到だな」


 那由多はドアまで近付いた。受付に警備員の男性の姿が見える。


「……よし」


 意を決して中に入り、目が合うと愛想良く挨拶した。


「突然すみません。(わたくし)、TAROが所属する芸能事務所〈シャイニング〉の山田(やまだ)と申します」


「え? ああ、そう。どうも」警備員は小さく頭を下げた。


「あのー、実はTAROが忘れ物をしたとマネジャーから連絡が入ったので、本社から持って来たんですけど……TAROはいますか」


「ん……ああ、彼ちょっと今、外に出ちゃってるよ」


「外に?」


「ああ。二〇分くらい前にマネジャーさんと一緒に来て、二、三分くらい前に一人で出て行った。特に誰にも何も言ってなかったみたいだから、マネジャーさん怒ってたよ。ちなみに、そのマネジャーさんも探しに出ちゃってる」


 ──ちょっと面倒だな……。


 周囲の目を盗み、TARO一人連れ出すだけなら何とかなると那由多は考えていた。果たして、マネジャーよりも先にTAROを探し出せるだろうか。


「そうですか……有難うございます。じゃあちょっと探して来ます」


「いや、ここで待っていた方がいいんじゃないか。すれ違っちゃったら──」


「あ、いや、あまり時間がなくって。マネジャーに連絡入れてみます。では……」


 那由多はそそくさとビルを後にし、数メートル離れた路地裏まで移動すると、堪え切れずに苦笑した。


「なぁんかツイてないなあ」


「まったくだな」


「ちょっと休憩ね」那由多は道の端に寄ると、大きく息を吐きながらゆっくりしゃがんだ。「緋雨、ちょっと表の方を見張っててくれない?」


 緋雨は頼まれた通りにはせず、那由多の肩から足元のアスファルトに降りた。


「那由多、ひょっとすると一足遅かったかもしれんぞ」


「……遅い?」


 緋雨が答えず空を見上げたので、那由多もつられた。


「あれ……」


 つい先程までは、雲一つない秋晴れだったはずだ。それがいつの間にやら一面雲に覆われてしまっている。


「やだー、何か今にも降り出しそうだよ」


「うわマジか! 今日一日快晴だってテレビでやってたのにー。早く行こっ!」


「えー、さっきも走ったのにダルい~!」


「じゃあ置いてくーっ!」


「あー、待てこの!」


 中学生くらいの少女二人が、〈藤紫第二ビル〉の方から駅方面へと騒がしく走り去ってゆく。


「TAROは既に連れ去られた後かもしれんな」


「え……」


「第二ビルに到着する少し前から、六堂町一帯の気の流れに明らかな変化があった。そして今、僅かではあるが禍々しい気配も感じている」


 緋雨は淡々と喋ってはいたが、その声からは若干の苛立ちが感じ取れた。


「……嘘でしょ……」那由多は脱力し、ペタリと座り込んだ。



 那由多と緋雨が二丁目に到着する約一〇分前、〈藤紫第二ビル〉四階の一室。

[RED―DEAD]のボーカル、TAROこと野村新太郎(しんたろう)は、退屈しのぎに、スタッフに手渡された昨日発売の音楽雑誌に目を通していた。


 ──ダリぃ。


 野村は朝から機嫌が悪かった。トークショーは一三時開催で、リハーサルは一一時から行われる。だったら一一時少し前に来ればいいものを、「他の仕事の打ち合わせもしたいから、一〇時過ぎには現地に着いていたい」と、鈴木のババアがほざきやがったのだ。


 ──三流芸人共だってまだ来てねーっつーのによ。


[RED―DEAD]のライブレポート記事以外は適当に読み流し、最後に読者投稿ページのレターコーナーに目を通す。


 ──おっ。


〝親友とRED―DEADのライブ初参戦! もうマジ最高だった! メンバー全員イケメンで、特にKILIK(キリク)がヤバ過ぎて親友と二人でずっとヤバイヤバイとしか言ってなかった(笑)〟


〝RED―DEAD大阪公演参戦してきましたーっ! TAROの生歌は迫力あった~! YOICHI(ヨーイチ)のドラムもガンガンくるし、KEN(ケン)のギターソロもサイコー! でもやっぱり一番はKILIK! 彼のベースがなきゃ始まらない!〟


[RED―DEAD]に関する文章投稿は全部で五つあったが、野村の機嫌は良くなるどころか更に悪化した。


 ──全員イケメンだ……? KILIK(アイツ)のベースがなきゃ始まらないだぁ……?


 野村は雑誌を机に叩き付けた。


 ──イケメンはオレだけだろーが! 演奏だって神レベルの歌唱力のオレ以外はお遊戯レベルだろ!?


 野村は盛大に溜め息を吐き、ややあってから気を取り直すと、再び雑誌を手に取り投票コーナーに目を通した。注目すべきは『女性読者が選ぶ! イケメンアーティストTOP10』だ。


 ──まあオレのランクインは当然として……果たして何位だ?


 野村の顔にはうっすらと笑みが浮かびかけていたが、それもすぐに消えた。


「……ああ!? 何で……何で載ってねーんだよ!?」


 椅子から立ち上がり、雑誌を床に叩き付けると、一人しかいない広い部屋に大きな音がよく響いた。


「クソが! クソブスババア共が!!」


 気が済まず、更に足で何度も踏み付ける。


 ──いや待て……男が選んだランキングもあったよな。


 所詮女という生き物は馬鹿ばかりなのだ。同じ男ならオレの魅力がわかるだろう──そう自分に言い聞かせるように念じると、野村はまた気を取り直して雑誌を拾い、同じページを開いた。約一〇秒後、雑誌は壁に投げ付けられ、真下のゴミ箱に落下した。


「どいつもこいつも!」


 おまけに、男女どちらも五位以内にKILIKがランクインしているという事実が、野村の苛立ちを五割増しにした。


「何で桐山(きりやま)なんだよ! クソッ! マジムカツク!! あーウゼー!!」


 ひとしきり喚くと、野村はハッと我に返った。


 ──ヤベ、聞かれたか?


 ドアを開けてそっと廊下を確認する。幸い、誰の気配もなかった。鈴木はスタッフへの挨拶が長引いているのだろうか、まだ戻って来る様子もない。


 ──喉渇いた。

 

 少々暴れ過ぎたかもしれない。炭酸飲料でも飲んでスッキリしたいところだ。


 ──ちょっと出るくらい、いいよな?


 本来だったら鈴木かスタッフにでも買いに行かせるところだが、せっかくなので新鮮な空気を吸い、気分を落ち着かせたかった。

 野村はビルから出ると適当に周囲をうろつき、路地裏で自販機を見付けた。


 ──見付からねーうちに戻んねーとな。


「TAROさん」


 突然呼ばれ、野村は飛び上がらんばかりに驚いた。カジュアルスーツ姿にナチュラルメイクの女性が、いつの間にやら後ろに立っていた。


 ──どっから来たよ?


「突然すみません。芸能事務所〈ジョイフル〉の畑野(はたの)と申します」


「……はあ」


 畑野は周囲を見回すと、警戒するかのように声を落とし、


「[にじいろストロベリー(エックス)]のメンバー、李里奈(りりな)のマネジャーをしておりまして」


「えっ」


「うちの李里奈がTAROさんの大ファンでして、どうしても会いたいとワガママを。実は今日、仕事の合間にこの近くまで来ているんです」


 野村は手にした財布を落としそうになった。


「李里奈が……え、ちょっ、マジで!?」


「シィーッ!」


 畑野が自分の口元に人差し指を当てた。同じポーズでも、李里奈がやる方が圧倒的に可愛い。ところでこの女は何歳なのだろうと野村はぼんやり考えた。


「もし李里奈がここに来ているのが見付かってしまったら、大騒ぎになります。それにTAROさんと一緒だったとなれば尚更、大スキャンダルですよ」


「あ、ああ~そっか」


「TAROさん、一〇分で構いません。どうか李里奈にお会いしていただけませんでしょうか」


「お、おお……!?」


 野村は歓喜に震えた。あの[にじスト]の持田(もちだ)李里奈──彼女であんな事やこんな事を妄想するのはしょっちゅうだ──が、自分の大ファンだったなんて!


 ──あれ、待てよ……。


「これは夢……じゃねーよな」


 つい先日、自分の元へやって来た李里奈に、六堂大道芸当日に差し入れをしたいと言われる最高な夢を見たが、目が覚めた時の落胆は酷いものだった。


「ええ、現実ですよ」


「うわ……マジか……」


 雄叫びを上げ、そこら中を走り回りたいくらいだったが、野村は何とか堪えていた。あれは正夢だったのだ! あの日の自分に教えてやりたい!


「で、何処に?」


「こちらです」


 畑野は早歩きで路地の奥へと進んでゆく。


「……え、そっち?」


「はい、そうですよ。急いでくださいTAROさん。あまり時間がありませんし、誰かに見られたら……」


 野村は振り返った。幸い、通行人の姿はない。一般人になら気付かれないかもしれないが、鈴木やスタッフに見付かれば厄介だ。


「さ、早く」


 野村は慌てて後に続いた。案内人が意地の悪い笑顔を浮かべているとは知らずに。

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