#2-6 TARO
東京都内某所のレコーディングスタジオ。
一〇代から二〇代前半を中心に人気急上昇中のロックバンド[RED―DEAD]のメンバーが集まり新曲の打ち合わせの最中だったが、開始から一時間も経過しないうちに暗雲が垂れ込めていた。
作曲担当のベーシスト・KILIKこと桐山真陸が、作詞担当のボーカリスト・TAROこと野村新太郎が先に仕上げた歌詞に合わせ、数種類のデモ音源を作成して今日この場で初披露したのだが、野村は一曲耳にする毎に、露骨に顔をしかめたり溜め息を吐くなどし、一度もいい反応を示さなかった。
「全っ然わかってねーな。こんなんじゃ駄目なんだわ、ホント」
全曲の確認が終わると、椅子に踏ん反り返った野村が不機嫌そうに冷たく言い放ち、桐山はムッとした表情を浮かべた。
「え、そうか? 俺はどれもいい感じで捨て難いと思ったぞ」
「自分は特に、最後から二番目の音源が気に入ったよ」
ギタリスト・KENこと田所健介と、ドラマー・YOICHIこと力石陽一が擁護すると、野村は片眉を吊り上げた。
「お前らが良くってもさ、ボーカルで作詞担当のオレが駄目だっつったら駄目なんだよ」
「じゃあ、何処がどう駄目なんだよ。全部教えてくれ」桐山が椅子から立ち上がり、野村に詰め寄った。
「……え、言わなきゃわかんねーわけ?」
「ああ、わかんねえな。まず一曲目から説明してくれよ」
「あー……」野村は目を泳がせていたが、ふと、何か悪巧みを思い付いた子供のような笑みを浮かべた。「いや、逆にさ! 桐山、お前はどういう意図でこんなのを作ったわけ? まずそっちから説明してよ、一曲目から順に。常識的に考えてそっちの方が先だろ。なー?」
「ああ……?」
桐山の表情が更に険しくなると、野村は僅かに笑顔を引きつらせた。
「ちょ、ちょい一旦ストップ」田所が手を広げて制した。「やめろ二人共。この後ディレクターさんたちも来るだろ。彼らの意見を聞いてからだ。な?」
桐山は今にも殴り掛からんばかりだったが、そんな険悪な空気をぶち壊すかのように、野村のスマートフォンから陽気で馬鹿でかい英語の歌声が響き渡った。
「もしもーし。ああ、今スタジオ。ああ、四人全員いる。え、もう行くのか? ああ、わかったわかった……」
通話が終わると、野村はパッと椅子から立ち上がり、身支度を始めた。
「鈴木が早めに出て来いって言うからさ、オレもう行くわ。トークショーなんてダルい仕事、やっぱ引き受けるんじゃなかったわ。しかも大道芸とか興味ねーし」
野村は一一月に磨陣市内で開催される、六堂大道芸のトークショーに初日のゲストとして招かれており、一五時には六堂町に出向いて運営サイドと打ち合わせをする予定になっていた。鈴木は[RED―DEAD]の女性マネジャーで、打ち合わせに同行する。
「今日はもう戻って来ないんだよな」
「ああ。ったく、人気者ってのも面倒だもんだな。これから先、四人揃うのも大変になるかもな。んじゃ、後はよろしく」
野村はヒラヒラと手を振り、口笛を吹きながらスタジオを去って行った。
「……何なんだよあいつは!」
野村の気配がなくなると、桐山は堪えていた怒りを爆発させ、テーブルを拳で叩いた。
「キリ、気持ちはわかるが落ち着け。怪我したらどうする」
「何だよ陽一、お前は腹立たねえのか!? あいつ最近、調子に乗り過ぎだろうが!!」
「自分も最近のあいつには頭にきてるよ」
「俺もだよ、桐山」
力石は腕を組み、田所は頬杖を突くと、ほぼ同時に溜め息を吐いた。
「せっかく売れてきたのによ……俺たちにアンチが多いのは、間違いなくあいつの言動のせいだろ? あいつの歌い方や歌詞だって、下手とか在り来たりだとか言われてるけどよ、俺たち三人はほとんど悪く言われてねえじゃんか。人気者だ? ふざけんな、あいつが足引っ張ってんだよ!!」桐山は再び拳を叩き付けた。
「落ち着け。コーヒー淹れ直して来るから待ってな」力石は穏やかな口調で宥めると立ち上がり、ゆっくりドアに向かった。
「……なあ、野村の中学時代の噂、知ってるか?」力石がドアを開ける直前、田所がボソリと呟いた。
「中学時代の噂? 知らない。どんな」
桐山は興味津々といった様子で田所を見つめ、力石もドアノブに手を掛けたまま、話の続きを聞く姿勢を見せている。
「俺もつい最近ネット掲示板で読んだんだ。真偽の程は定かじゃないから、話半分に聞いてくれよ。……野村の奴、中学時代に……」
田所はそこまで言っておきながら続きをためらった。
「どうしたんだ。続けてくれよ」
桐山が催促すると、田所は頷き、
「クラスメートをいじめて、自殺に追いやった」
スタジオから徒歩五分弱の小さな駐車場の前で待機する野村の前に、鈴木が黒の軽自動車で現れた。
「どう、順調?」
鈴木の問いに、野村は無言で肩を竦め、助手席に乗り込んだ。
「え、どうしたの」
──うるせーよババア。
「着くまでちょっと時間あるよな? 俺ちょっと寝るわ」
「ええ、まあ、構わないわよ。……意見が合わないの?」
「いや、ちょっとな……」
「まあある程度は仕方ないわよね。お互い納得いくまで話し合えばいいのよ。今までだってそうしてきたんだから。ねえ」
──黙れブス殺すぞ。
野村は窓側に顔を向け、これ以上会話するつもりがないという意思を示した。車の揺れが気になったが、うつらうつらとしているうちに眠りに就き、次の瞬間には、夢だという自覚がないまま、先程まで利用していたスタジオ内で一人、作詞に没頭していた。
──あの歌詞もいいよな。
野村の頭の中では、九〇年代に一世風靡し、今も安定した人気を誇る某大御所ロックバンドの、比較的マイナーなアルバム曲が流れていた。
──〝濡れた冷たい瞳 それでも燃えるように熱く〟……〝それが宿命なら おれたち喜んで受け入れられるさ〟……。
鉛筆を手にした野村の手がスラスラと動く。
「〝涙に濡れる冷たいお前の瞳 それでも燃えるように熱い〟……〝それが運命ならば おれは喜んで受け入れよう〟……っと、おっ、いい感じだな」
野村は[RED─DEAD]の前身バンド時代から作詞を担当しているが、そのほとんどが他のバンドの曲からの盗用であり、罪悪感は微塵もなかった。
「おーい、野村ぁ。お客さん」
何処からともなく田所に呼ばれ、野村は小さく舌打ちした。
「んだよ、今調子いいってのに……」
入って来るように促すと、ゆっくりドアが開き、一人の女性がそっと姿を現した。小柄で細身、陶器のように白い肌と艶やかな長い黒髪。私立高校の制服を少々派手にしたような衣装を身に纏っている。
「え……マジ?」野村は驚きに目を見開いた。「[にじスト]の……李里奈!?」
現代の日本三大アイドルグループの一つに数えられる[にじいろストロベリーX]、通称[にじスト]で最も人気のあるメンバー、持田李里奈。野村も大ファンであり、密かにそれ以上の感情も抱いていた。そんな彼女が今、目の前にいる。
「はじめまして、TAROさん。持田李里奈です」
「え……いやマジかよおい……何で……」
「あたし、[RED─DEAD]のファンで、特にTAROさんが大好きなんです。どうしても会いたくて、ワガママ言って仕事の合間に……」
野村が立ち上がると、李里奈はTAROの元に駆け寄り、手を取って優しく握った。
「お会い出来てほんっとに嬉しいですっ!」
「オ……オレも……ッスよ」野村はだらしなく顔を緩ませた。
「TAROさん、今度の六堂大道芸の一日目のトークショーに参加されるんですよね」
「ああ、うん、そうッス」
「あの、あたし、当日本番前にこっそり差し入れに行きたいんですけど、いいですかぁ?」
「え、マジ!?」
「あ……やっぱりご迷惑ですよね?」
しゅんとする李里奈に、野村は内心興奮した。
「んな事! 全然! むしろ大歓迎!」
「本当ですか?」
「ああ!」
李里奈の顔にニイッと笑みが浮かんだ。
「やーったあ! ケケケケッ!」
李里奈は器用に三連続バク転を決めると、呆気に取られる野村をよそに、室内を落ち着きなく飛び跳ね回った。
「あ……えっと、持田さん。コーヒー飲みます? オレ、淹れて来──」
「そんな事よりさあ、野村君」
非公表であるはずの本名で呼ばれ、野村は驚いた。
「六堂大道芸当日……楽しみにしているからね」
「……あ、ああ……」
「地獄に突き落としてやるよ、野村新太郎」
李里奈は再びニイッと、唇が裂けんばかりの笑顔を見せた。その声は李里奈のものではなかった。若い男の声であり、聞き覚えがあるような気がしたが、野村には思い出せなかった。
「ほらー、着いたわよ!」
野村がハッと顔を上げると、真っ先に目に入ったのは、窓ガラス越しの赤い自動販売機だった。直後に、自分がいるのはスタジオではなく車の中だと気付く。
「ぐっすり眠ってたみたいね」
野村は小さく唸り、まだボーッとする頭で鈴木の方を振り向いた。
「大丈夫? コーヒーでも買おっか」
「いや……いらね……」
──夢かよ!
野村は落胆した。いつかお近付きになり、そしてあわよくば……と密かな野望と欲望を抱いていた相手が自分の元を訪れ、大好きだと告げられる──こんな最高な出来事が現実ではなかっただなんて。
──あれ?
何かを忘れているような気がした。夢の中で李里奈は、六堂大道芸に差し入れを持って行きたいとも言っていた。しかし、その後はどうだった?
──何か続きがあったよな……?
「どうしたの?」先に車を降りていた鈴木が運転席側から覗き込む。「具合悪いの?」
──いちいちうるせーなババア殴るぞドブス!
「……大丈夫だ」
野村は内心舌打ちすると、車を降り、鈴木の後に付いて目的地の五階建てのビルへと入っていった。




