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【改稿版】骨の十字架  作者: 園村マリノ
第二章

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#2-3 友人からの相談①

 那由多が通う大学から徒歩約一〇分、カフェ〈|PETITEプチ FLEURフルール〉店内は、一五時過ぎという時間帯のためか満席だった。


「あ、来た来た」


 店内最奥の四人掛けボックスシートの窓側の席から、青山凜子(あおやまりんこ)が那由多に手招きし、その正面に座る藤村亜純(ふじむらあすみ)は小さく手を振った。


「二人共お待たせ」那由多は亜純の隣に座った。


「ううん、全然。わたしたちも今さっき来たばかりだから」


 凜子と亜純は、受講している講義の一部が那由多と被っており、よく雑談をする間柄だ。特に凜子とは一年時からの顔見知りであり、那由多をこの場に呼んだのは、他ならぬ彼女だった。

 那由多はミルクレープとアイスティー、凜子はティラミスとアイスコーヒー、亜純はオレンジジュースを注文した。


「……で、相談って?」那由多は凜子に尋ねた。


「ああ、実はわたしじゃなくて、亜純なんだよね」


「亜純ちゃん?」


 亜純は苦笑しながら頷き、


「本来なら自分から頼むべきだったんだけど、ためらっちゃって」


「そう、だからわたしが勝手にお節介焼いて、代わりに頼んだの。あ、先に言っとくけど、告白じゃないからね」凜子はニッと笑った。


「わかってるよ。亜純ちゃんには恋人がいるもんね」

 

 そう言った直後、場の空気が若干重くなったのを那由多は感じ取った。


「あれ、まさかその恋人の事?」


「……そうなの」


 亜純はぽつぽつと語り出した。恋人の浦清水和臣(うらしみずかずおみ)は、亜純より五歳年上で、東京でフリーターをしている。交際二年目だが、最近身勝手な言動が目立ってきていた。


「夜中に連絡が来て、何かと思ったら『今から俺の家に来いよ』って。浜波から東京郊外の彼の家まで、一時間半は掛かるのよ。それに時間帯が時間帯だし。断ったら、電話越しに怒鳴り散らされて。後でトークアプリで謝られたけど、その後も同じ事が二回あったの」


 各自が注文したメニューが運ばれて来ると、亜純は話を一旦中断した。那由多は早速ミルクレープを口にした。程好い甘さが広がる。


「あー、ティラミス何年振りだろーっ。あ、いいよ亜純、続けて続けて」


 凜子に促され、亜純はオレンジジュースを一口飲むと話を再開する。


「他にも色々あるの。小銭貸しても自分から返してくれなくて、催促するとケチ呼ばわりされるし、デートを家の用事で断ったら機嫌悪くなって何日も連絡を無視されたり、わたしが他の男の人と喋っただけで怒る癖に、自分は女友達と二人きりで出掛けたり──」


「クソ野郎だなおい!!」凜子の罵声が響き渡った。「わたしだったら、夜中に呼び出そうとしてキレた時点でサヨナラだっての! んなヤローは耳に棒切れ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせ──」


「凜子ちゃん凜子ちゃん」


 那由多は人差し指を自分の口元に当てた。店内中の人間──那由多の来店時から入口付近の壁際に立っている老婆の霊も含む──の視線がこちらに集まっている。


「あ……あらヤダわたしったら柄にもなく! どうしちゃったのかしら!」誤魔化すかのように、凜子は笑いながらティラミスを頬張った。「ていうかごめん、仮にも亜純の彼なのに」


「ううん、いいの。最近本当に酷いし。それでね、本題なんだけど……」亜純はオレンジジュースをもう一口飲んでから続けた。「昨日、彼から連絡が来て……今度の土曜日に空いてるか聞かれたから、久し振りにデートかと思ったら……心霊スポットに行かないかって」


「心霊スポット?」


 亜純はうんざりしたような表情で頷いた。和臣の計画では、友人らを含め計八人、二台の車で移動し、途中寄り道をしつつ遅くとも夕方までにはS県の温泉地に到着し、観光や夕食の後に廃旅館で肝試しするという。


「ネットの心霊スポット紹介の記事を読んで、自分も行きたくなったみたい。その廃旅館、昔火事があってお客さんが何人か亡くなってるんだって。何十年も経った今でも、亡くなった人たちの姿が見えたり、悲鳴が聞こえるって」


「火事……」那由多はフォークでミルクレープを切る手を止めた。


「夏は終わったっていうのに。ていうか、いい歳して何言ってんだってね」


 亜純が呆れたように言うと、凜子は苦笑した。


「……その廃ホテル、もしかして〈ホテルニュー南十字〉って名前?」


「あ、うん。確かそんな名前だったよ」


「え、那由多君知ってんだ?」


 凜子の問いには答えず、那由多は続ける。


「亜純ちゃんは何て返事したの」


「断ったよ。怖いもん。憑かれちゃったらどうするのって」


「うん、それで正解だよ」


 那由多はそれ以上何も言わず、黙々とミルクレープを食べ続けた。


「……で、彼はどうするって?」改めて凜子が尋ねた。


「『だったらお前抜きで行くからいい』って。危ないからやめなって言ったら、ビビリだの何だのって小馬鹿にするから、わたしも頭きちゃって、何があっても知らないから勝手にしなって返して会話終了」


「うん、やっぱりわたしだったら別れてる。……亜純は考えてないの?」


「正直、そろそろ無理かなって思う時もある。でもね、彼、根はいい人なの。同じバイトしていた時に付き合い始めたって事は前に話したよね」


 凜子は頷いた。


「彼はね、わたしが他の先輩にいびられているのを助けてくれたんだ。他の店員やお客さんの前で、はっきりと批判してくれて。その先輩は何日か後に仕事バックレて、そのまま来なくなった」


「へえ、やるじゃん彼」


「付き合いたての頃は、むしろわたしの方がちょっとワガママだったくらいなんだけどね……だから彼に自分勝手な言動が増えても、目を瞑ってたんだけど」亜純はコップに残された氷をストローでゆっくり、しかし力強く何度も突っつく。「頭にはくるけど……まだ別れたくないって思いの方が強い……かな」


「そっか……だったら、その気持ちはわかるよ」凜子は何度も頷いた。


「でも凜子ちゃんなら、もっと早い段階で奥歯ガタガタ言わせて、身動き取れないように縛ってから東京湾に沈めちゃうんでしょ?」


「あーっ、さっきのは忘れて……って何か追加されてない?」


 亜純はふと、隣に座る気のいい青年がしばらく黙ったままだと気付いた。


「ごめん那由多君、わたしばっかり喋っちゃって」


「んっ? ああ、いや」那由多は亜純に向き直った。「その〈ホテルニュー南十字〉、行くのは本当にまずいよ」


「マジ? 噂通り?」凜子が身を乗り出した。


「噂以上だよ」


「那由多君、オカルト詳しいんだ?」


「いや、そういうわけじゃ──」


「那由多君て、霊感あるでしょ」


 亜純に真顔で言い切られ、那由多は笑顔のまま固まった。特に隠しているわけではないが、内容が内容だけに、気軽にそうだと認めるのはためらってしまう。〝見える〟という事実を、自分から他人に話した事もほとんどなかった。


「え、マジ? そうなの?」凜子が更に身を乗り出した。「もしかして亜純、それで那由多君に相談したかったの?」


「うん、実はそうなんだ。二人共、門倉達也(かどくらたつや)さんて人が三年生にいるんだけど、知ってる?」


 那由多と凜子はかぶりを振った。


「わたしと高校が同じだったの。その門倉先輩のお母さんが霊感強くて……」


 門倉の母は、昨年の大学の文化祭に足を運んだ際、人目に付きにくい場所で、複数の子供の霊と会話する那由多を目撃していたという。


「『あの子の霊感はちょっとやそっとじゃないわ』って、先輩のお母さん、熱く語ってたって。那由多君に話し掛けようか迷ったくらいだけど、迷惑かもしれないからやめたんだって」


 ──ああ……そういえばあったな、そんな事。


 幽霊は陰気な場所に多いと思われがちだが、明るく活気があり、人通りの多い場所を好む者も少なくない。那由多が会話した子供たちの霊は、大学が創設された約七〇年前よりもずっと昔に亡くなっており、文化祭にはほぼ毎年顔を出しているようだった。


 ──今年も来るのかな。


「で、先輩はつい最近、お母さんが目撃した霊感の強い眼鏡男子がわたしの友達だって知って、話してくれたの。先輩のお母さんの話が本当なら、那由多君は幽霊に詳しくて、誰よりも心霊スポットの危険性について知ってるんじゃないかと思って……」


「なるほどね……」那由多は苦笑した。


「ご、ごめんね本当に。ていうか、霊感あるって事で間違いないんだよね?」


「うん……実はある」


「マジかぁー! 超カッケェ~!」


 凜子の興奮した大声に、再び店内中の人間──老婆の霊も含む──の視線が集まる。


「あらゴメン……もうヤダわたしったらまた」


 笑いながらアイスコーヒーに手を伸ばした凜子だったが、既に空になっている事に気付くと水をがぶ飲みした。

 女性店員がこちらにやって来た。注意されるかと三人は身構えたが、店員は中身の減った凜子のコップに水を注ぐと「ごゆっくりどうぞ」と笑顔で去って行った。


「……で、那由多君」凜子は、今度は極端なまでに声を落とした。「さっきの廃ホテルの話に戻すけど……噂以上なんだっけ? そんなにヤバイの?」


「うん。小五の夏休みに家族で温泉旅行に行って、その廃ホテルの近くを通り掛かったんだけど……近付くにつれてどんどん具合悪くなるし、ボロボロの建物と敷地が目に入ったら……色々と見えちゃって」


「色々と?」


「うん。色々と。勿論いいものじゃなかったよ。その後俺は熱を出して、旅館で寝込んだ。まあそれでも夕食は完食したし、朝には治ったけど、夜見た夢も酷かったな」那由多は氷が溶け、薄くなった残り少ないアイスティーを飲み干した。


「……た、例えばどんな?」恐る恐る、でも好奇心には勝てないといった様子で凜子は尋ねた。


「……聞いて後悔しない?」脅すつもりはなかったが、那由多の声は自然と低くなった。「夜に思い出しちゃって眠れなくなっても、眠れたはいいけどうなされちゃっても、責任は取れないけど」


 実を言えば、那由多は詳細を話したくなかった。緋雨は「とっとと忘れてしまうのが一番だ」と言っていたが、完全に忘れ去るなんて不可能だ。あの夏に見てしまったおぞましい光景の数々、あれら全てを記憶の片隅から抹消出来るのであれば、いくら支払ったっていいくらいだ。


 凜子と亜純は目を見合わせると、


「やめとくよ……」


「うん、わたしも……」


 引きつった笑顔で断った。



 店を出ると、三人は真っ直ぐ駅まで向かった。


「とにかく、彼氏さんがあの廃ホテルに行くのは、何とか説得して止めてあげて。何だったら俺の話を出して、なおかつ内容を盛っちゃってもいいかも」


「うん、そうする。有難う那由多君。凜子ちゃんも」


「いやいや、わたしは特別何もしてないよ」


 話は変わり、最近どんなドラマを観ているかという内容で、凜子と亜純は盛り上がり始めた。


「那由多君はどう? 最近何か観てる?」


「いや、俺は特に」


 同居人ならぬ同居カラスが時代劇の再放送を観ているため、むしろそちらの方が詳しいかもしれなかった。


「えー、何か意外。結構色々観てそうなイメージがあったんだけどな」


 凜子の言葉に亜純もうんうんと頷く。


「ドラマよりアニメが好きだったりする?」


「うーん、別にアニメも──」


 那由多は足を止めた。突然背筋に悪寒が走ったかと思えば、全身に鳥肌が広がったのだ。


「ん、どしたの? 忘れ物?」


「……いや……何でもない」


 ドラマの話題を続ける二人の後ろを歩きながら、那由多は悪寒の原因を目で探した。


 ──この近くにはいないな。でも、少しずつ近付いて来ている……間違いなく、絶対に良くない存在が。


「ん、ちょっと待って」亜純は歩速を落とし、バッグからスマホを取り出した。「彼から連絡が来た」


「お、噂をすれば。何だって?」


「……友達の車に乗せてもらってこっちに向かってるから、駅で待ってて、って」


 亜純はどうするかと問うように、那由多と凜子を見やった。


「ちょっとどんな人か気になるな。那由多君も会ってみない? そうだ、せっかくだから、廃ホテルに行かないように直接忠告してあげようよ。わたしも協力するから」


「……いい? 那由多君」


「……わかった、そうしよう」


 嫌な予感がしてならなかったが、那由多は引き受けた。

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