#2-2 謎の男①
「お、日高おはよ」
「おう」
月曜日の朝の憂鬱は、電車内で親友に偶然会えた事で少しは解消された。
龍は村瀬と並んで吊り革に掴まり、たわいない話をしながら到着までの時間を潰していた。
途中、ふと顔を上げると、六堂大道芸の中吊り広告が目に入った。
──あと二週間弱。
那由多と緋雨、そして道脇茶織という女性と会うのは、次の土曜日に決まった。緋雨の話では、茶織は那由多と同い年くらいに見えたそうだ。那由多からメールで連絡したところ、何曜日でも問題ないとの回答だったという。
──霊媒師でもやっているんだろうか。
龍は昨日、ヴードゥー及び精霊バロン・サムディについて調べてみた。マニアックで、サムディに限らず全体的になかなか癖が強そうだと感じた。そんな精霊をいつでも呼び出したり引っ込ませられる人間なのだから、それなりに強い霊能力を持っているはずである。
──大学生……それとも……無職だったり?
「昨日聞いたんだけどさ」
「……ん?」龍は村瀬に向き直った。
「最近、磨陣市内の学生の突然死が何件かあったらしいぞ」
村瀬の口調は、午後から天気が崩れるらしいぞ、とでも言うかのようだった。龍はいずれこうして噂になるだろうと予想してはいたが、実際に耳にすると妙に緊張した。
「出先から帰ったら母親の友達が遊びに来てて、話してるのが聞こえたんだ。主に中学生や高校生が多いみたいで、寝ている間に容態が急変してそのまま、だと」
「……へえ」
龍はもう少しで疑問を口にするところだった──ピエロは? と。
「そういや日高、大屋さんのバンドの誘い、断ったんだって?」
「ああ……でもお前と田中は乗ったんだろ」
「まあな。でも活動は一旦保留だってさ。日高が断ったからって」
「他の奴を誘えって言ったんだけどな……左利きだからいいとか、見た目がバンドマンみたいだから、とか何とか言ってたな」
「それはきっと表向きの理由だな」
龍が僅かに首を傾げると、村瀬は意味深にフッと笑った。どういう意味なのかと尋ねようとしたが、村瀬が再び話を変えたので有耶無耶になってしまった。
クラスの半分以上が机に伏せてしまうような授業でも、龍は絶対に眠らないようにしている。村瀬が眠るところはほとんど見た事がなかったが、田中はしょっちゅうなので、気付き次第後ろから椅子を蹴飛ばして妨害した。龍の調査では、授業中に亡くなった生徒がいる事も判明している。親友を目の前でみすみす死なせるわけにはいかなかった。
「村瀬ぇ~! 日高が無理矢理起こしてくるんだよぉ~!」
昼休みに入るや否や、田中は村瀬に泣き付くフリをした。
「そりゃお前、寝ちまったら授業を受けてる意味ないだろ。学生たるもの、もっと真剣に学ぶ姿勢がないと」
「真面目か!」
三人誰からともなく笑い出した。
「ちょっとくらい寝たっていいだろぉ~? てか、村瀬も日高も眠くないのかよぉ? 定岡の授業なんて、どうぞ眠ってくださいって言ってるようなもんだぜ?」
いつもと同じように、三人で固まって食事を取る。村瀬が座る龍の右隣は、女子生徒の相澤の席だが、彼女もまた親友たちと食事を取るため離れるので毎回借りている。
「日高だって寝る時あるだろ?」
「まあ、時々はな。これやるから機嫌直せよ」
龍は自分の弁当から玉子焼きを一つ掴み、田中の弁当の白米の上にそっと置いた。
「おっ、これ日高の手作り? 甘いやつか?」
「ああ」
「いっただきぃ! ……うん、美味い!」
「そりゃあ良かった──」
突然、龍は強烈な視線を感じた。
──まさか、ピエロの奴が……?
箸を止めて周囲を見回す。クラスメートたちはそれぞれ昼食を取っており、特に異変は感じられない。
「日高君……」
声に振り返ると、視線の主、大屋亜子が弁当と箸を手に立ち、瞳をギラギラさせてこちらを──正しくは龍の弁当を──凝視していた。
「な……何だよビックリし──」
「唐揚げ食べたくない?」
「へ?」
「冷凍食品だけど! 唐揚げ! 食べたくない!?」亜子は一言発する毎に一歩ずつ距離を縮めた。
「い、いや別に──」
「食べたいよね! 育ち盛りの男子はお肉大好きよねっ! あたし今急に玉子焼きが食べたくなっちゃって困ってたんだけど、丁度いいところに見付かったわ! ヒャッホウ! 交換しましょそうしましょ!」
「お……おう」
龍が返事するや否や、亜子は目にも止まらぬ速さで龍の玉子焼きと自分の唐揚げを交換し、席へと戻って行った。その隣では手塚理乃が、笑いを堪えているかのような顔で肩を竦めている。
「何なんだ……」
「何か凄ぇ気合い入ってたな、大屋さん。まあ、唐揚げ貰えたからいいじゃん」
田中は呑気にそう言い、残りの玉子焼きを口にした。村瀬は手塚と同じような顔をし、口元を手で押さえている。
「……お前の分はないからな」
龍は村瀬にそう言うと、残り一つとなった玉子焼きを丸ごと頬張った。
帰りの電車内でも中高生の突然死の噂を耳にし、龍は尚更焦りと不安を覚えた。
噂を口にしていたのは、同じ磨陣高校の三年生の女子生徒数人だ。彼女らの一人曰く「中学生が一番多く死んじゃってる」らしく、別の一人曰く「学年は関係なく男子が多い」そうだ。
この噂話にピエロの悪夢の噂も加われば、更に急速に広まってゆくだろう。もしかしたら既に、ネットに書き込まれるなどしているのかもしれない。
以前、緋雨が眠っている少女の夢の中でピエロと対峙し、多少なりともダメージを負わせたと聞いているが、ピエロがそれだけで凶行を止めるとは到底思えない。次は誰を狙う? 一緒に弁当を食べたり、たわいない話をし合う親友か? 明るくて少々騒がしいクラスメートか?
自分だって安全だとは言い切れない。小さな相棒は、果たして夢の中にまで入り込めるのだろうか。
「ただいま……」
「リュウさんお帰りなさーい」
帰宅すると、笑顔のアルバに出迎えられた。誰かしら家族がいる時は龍の部屋で待っているが、誰もいない時は必ず玄関までやって来る。
「リュウさん? あんまり元気ないですか?」
「ん? いや……別に」
「そうですか? ならいいんですけれど。あ、こちらは特に収穫なしです」
「そうか」
自室に戻ると、龍は溜め息を吐き、ベッドに腰を下ろした。
「リュウさん?」
「中高生の突然死の噂が徐々に広まりつつある。まだピエロまでは知られていないみたいだが」
「それだけ多くの方が命を落としているって事ですかね」
龍はもう一度溜め息を吐いた。「俺さ、正直凄ぇ怖い」
アルバは龍の隣にそっと腰を下ろした。
「アルバはさ、俺の夢の中に入り込めるか?」
「ええ。もしもの事があったらすぐに。だから夜は外に出ないんですよ」
「そっか。でも、日中より夜の方が情報が集めやすいんじゃないか? 幽霊って夜や暗い中の方が活発そうだし。俺に気を遣わないで、夜に活動しても構わないぞ」
「あら、幽霊によりますよ。日中だろうが明るかろうが活発な方は活発です。夜はヒサメさんが動いてくれているみたいですから、任せてます。それに……」アルバは透き通るような碧い目で、龍をじっと見つめた。「情報収集よりも、リュウさんの命をお守りする方がずっと大切ですから」
「ん……サンキュ」
「どういたしまして」
龍は微笑むと、アルバの頭を軽く撫でた。
「自分以上に友達が心配だ。理人だけでもショックだっていうのにさ、田中と村瀬にまで何かあったら……って考えると、気が滅入る」
「リュウさん……」アルバは何か考え始めたようだったが、やがてパッと立ち上がった。「気分転換に、今からちょっとお散歩しましょ!」
「今から?」
「はい。〈きくちパン〉辺りまで」
「俺が帰って来る時はまだ開いてたけど、もう五時近いから、そろそろ売り切れて閉まるかもしれないぞ……ていうか、お前がパンを食べたくなっただけだろ」
「あ、バレましたぁ?」
アルバがだらしなく笑うと、龍もつられて笑った。少しずつ気分が浮上してきている。
「んじゃ、ちょっくら行くか」
「はーい」
アルバに手を引かれ、龍は自宅を後にした。




