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【改稿版】骨の十字架  作者: 園村マリノ
第二章

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20/80

#2-1-2 情報②

 茶織の手が離れると、ドアは音を立てながらゆっくりと閉まった。汚れた窓から日が差しているのでそれ程暗くはないが、湿気が多くカビ臭い。あまり長居はしたくなかった。

 茶織は屋敷内を注意深く見回し、声の主を探した。確かに近くにいるはずだ。


「見えないの?」女の声は右側の階段付近から聞こえた。「そうよ、こっち。階段の前」


 茶織は後ろ手にリュックを叩いた。中には骨の十字架が入っている。「サムディ。出番よ」


 反応はない。


「幽霊がいる。でも姿が見えないのよ」


 変わらず反応はない。


「女の霊。勝手な予想だけど、きっと美人ね」


「よっ」茶織の視界を遮るようにサムディが姿を現した。「で、何処何処?」


 ──この野郎。


「あんたの後ろ、階段の前だって」


 サムディはつま先でクルリと半回転すると、


「およっ! これはこれはお嬢ちゃん(マドモワゼル)はじめまして(アンシャンテ)。ワシ、ヴードゥーの偉大なる精霊、バロン・サムディ」


「良香よ」女の声も名乗った。


 サムディを横に()けた茶織は、思わず息を呑んだ。黒髪を頭の上の方で纏めた、茶織と年齢が近そうな小柄な女が、微笑みながら姿勢良く立っていた。名前はわからないが大きな花が描かれた淡藤色の着物が似合っており、サムディを呼び出すための口実として美人かもしれないと言ったが、実際にその通りだった。


「見える?」良香は小首を傾げた。


「……ええ」


「聞きたい事があるんでしょう。ここじゃ何だから、二階の私の部屋に」


 良香が背を向けるとすぐにサムディも続こうとしたので、茶織は腕を掴んで引き留めた。


「あいつはピエロと繋がっているかもしれない」


 囁くように茶織が言うと、サムディは首を傾げ、


「えー、そうかなぁ」


「美女だからって油断するんじゃ──」


「どうしたの」良香は階段を数段上ったところで、チラリと振り向いた。「何かあったの?」


 ここではっきりさせておこうと決意した茶織だったが、再び息を呑む事になった。良香の着物の背中辺りが、嫌な色合いの大きなシミに染まっている。ケチャップやソースの汚れを放置しておいたわけではないだろう。


「リョーカ、悪い道化師(クラウン)知ってる?」


「クラウン?」


「ピエロの事よ。フランス語ではクラウンって呼ぶから」茶織は代わりに答えると、続けざまにサムディに言った。「最初に会った時から思ってたんだけど、日本語にフランス語を混ぜながら喋るの、わかり辛いからやめて。ていうか、そもそも何であんたは日本語喋れるわけ?」


「霊や神様とか魔物って、相手の使用する言語に合わせて会話出来る子が多いみたいよ。どういう仕組みなのかは、私にもわからないけれど」今度は良香が代わりに答えた。「で、ピエロの事だけれど……この間やって来たわよ、ピエロ姿の霊が。その子の事かしら」


「ええ、間違いないはずよ」


 良香が再び階段を上り始めたので、茶織とサムディも続いた。良香の背中のシミに関して、サムディが余計な事を言い出さないかと懸念したが、ヴードゥーのお調子者はあちこち余所見していた。

 良香の部屋は階段を上ってすぐだった。一〇帖程の広さがあり、一階と違い、家具はそのまま残されているようだ。しかし何故か汚れたり壊れたりしていないし、壁紙や窓ガラスも綺麗な方だ。


 ──どうしてこの部屋だけ?


 良香は部屋の明かりを点けると、化粧台から背もたれのない椅子を引っ張り出し、茶織に座るよう促し、自分はベッドにそっと腰を下ろした。

 茶織は今度は言われた通りにはしなかった。この部屋の中だけあまりに不自然過ぎる。

 

「どうしたの」

  

「この部屋は……どうなっているの。幻覚?」


「ううん、ちょっと違うわ。私にも上手く説明出来ないのだけれど……私が生きた人間だった時の様子を、私の力で再現しているのよ。私のような死者や、バロンさんのような精霊、それからあなたのように〝見える〟素質のある生きた人間や動物なら、見たり触れたり出来るのよ」


「およっ、座らないの? ならワシが」


 サムディは遠慮なく腰を下ろすと、無駄に長い脚を組んだ。茶織はその横に腕を組んで立った。


「で、ピエロは何故ここに?」警戒心を解かないまま茶織は尋ねた。返答次第では、この部屋は戦場と化するだろう。


「勧誘目的かしらね。『今度の六堂(ろくどう)大道芸で〝派手な演目〟を披露するから、一緒に楽しまないか』って唐突に」


「六堂大道芸?」


「派手な演目って、ダンス?」サムディが興味津々に口を挟んだ。


「断ったらすぐに出て行ったから、詳細はわからないけれど……あの口振りだと、そんな事じゃなさそうだったわ」ややあってから、良香は思い出したように付け加えた。「あの霊は自殺者ね」


「自殺者?」


「ええ。でも不思議。自殺者の霊があんなに自由に動き回れるなんて。私はこの家から出られないから、ちょっと羨ましいわ」


「あのピエロは、生きた人間の夢の中に現れて、相手を殺して楽しんでいるみたい。夢の中で殺されたら現実でも本当に死ぬ。わたしの元にも現れた」


 そして嫌な夢を見せただけでなく、茶織にとって最も大切な人を侮辱した。思い出すだけで(はらわた)が煮えくり返りそうだ。


「ああ、生きた人間を苦しめて生命力を搾り取って、自分のものにしてしまう(たち)の悪い化け物もいるわね。あなた、よく無事だったわね」


「ヒョヒョヒョ! そりゃあもう、このワシにかかれば楽勝よん!」サムディはひっくり返りそうな程に胸を反らした。


「ここに来た時ははっきり実体化していなかったわ。でも、力を付けていけば、実体化どころか生きた人間以上に活発に動き回れて、それこそ〝派手な演目〟を思い通りに披露出来るでしょうね。放っておくのはまずいんじゃないかしら」そう言いながらも良香は、どこか他人事だ。


「居場所に心当たりは?」


「ないわ。残念ながら」


 茶織は最初からあまり期待していなかったので落胆はしなかったが、サムディが呑気にしている様子を見ていると、少しずつ苛立ってきた。


「それにしても、生きた人間の夢の中に入り込むだけでも力がいるのに、殺す事も出来るなんて。怨念が強いとしても、ただの霊に、なかなかそこまで出来ないわよ。不思議だわ」


 茶織にとっては、そんな事はどうでも良かった。いずれ対峙した際、あの生意気なピエロが泣いて許しを乞う姿が楽しみだ。勿論、許すつもりなどこれっぽっちもない。生意気な発言や身勝手で残虐な行動が二度と出来ないよう、きっちり仕留めてやるのだ。


「六堂大道芸ね……」茶織は小さく息を吐いた。「そろそろ行くわよ、サムディ」


「えー、もう?」


「聞きたい事は聞けた。情報提供に感謝するわ」 


「どういたしまして」


 良香が立ち上がると、サムディも続いた。


「見送りなら結構よ」


「そういうわけにはいかないわよ……あらやだ、そういえば!」良香は両手をポンと打ち、笑い出した。「私もあなたに聞いていなかった事があるじゃないの!」


「何?」


「あなた、お名前は?」


 

 門の外へ出ると茶織は振り返り、つい先程まで自分がいた家を見た。この廃墟は、今後何十年先もずっとこのまま、一人の女性の霊と共にあり続けるのだろうか。いずれこの廃墟が取り壊される日が来たら、彼女はどうなるのだろうか。


「リョーカ、あの場所というよりも、あの(メゾン)そのものに執着があるみたいだねえ。あれがある限りは成仏しない」茶織の疑問に答えるように、同じく廃墟を見ながらサムディが言った。


「じゃあ、あの家がない方が彼女にとってはいいんじゃないの」


「かもねえ。しかしあの家は何であのままなんだろねえ」


「所有者が許可しなかったり所在不明だったりすると、たとえ今すぐに崩壊しそうなボロ家でも、勝手に壊せないって決まりがあったと思う」


「ほー。面倒だねえ」


 門を閉め──鎖は消えたままだ──目的地の方へ向き直ると、〈きくちパン〉のビニール袋を手に提げた高齢女性が、五、六メートル離れた場所からこちらの様子を窺っている事に気付き、茶織は危うく舌打ちしかけた。


「ねえ、あなた……ああ、いきなりごめんなさいね」 


 女性は物腰柔らかくそう言うと、自然な微笑みを浮かべた。七〇代前半くらいだろうか。ショートカットの白髪に、丁寧だが濃過ぎない化粧。ラベンダー色のカーディガンに白のタートルネック、ねずみ色のレギンスに紺色のパンプスと、婦人向けファッション誌のモデルのように品のある出で立ちだ。


「あなた、もしかしてこの家に関係ある方?」


「いいえ」


「あら、違うのね。そう……」


 女性は茶織の方へ歩み寄ると、隣に立って廃墟をじっと見つめた。その眼差しはどこか哀しげだ。


「あ、サオリ、このご婦人(マダム)は人間だからね」


 二人の後ろからサムディが言うと、女性は茶織に向き直ったが、声が聞こえたわけではないようだった。


「この家はね、昔々はとても賑やかだったのよ。明るくて親切な、素晴らしい家族が住んでいた。庭には、季節毎に綺麗な花が沢山咲いて」


 花には興味はないが、かつての住人には一応興味があるので、茶織は一つだけ尋ねてみる事にした。


「この家の住人、殺されたんですか」


「はっきり聞くねぇ~サオリ」


「よくご存知ね。五〇年以上も前の話だから、若い子は全然知らないと思っていたわ」


「……小耳に挟んだもので」


「そう、殺されてしまったのは、四人兄弟のうちの唯一の女の子。私と同い年で幼馴染みだったの。面倒見が良くて、自分よりも周りの人間を優先させるような子だったわ。縁談もあったらしいのに……。

 あの子が亡くなった後、お母さんは心を病んでしまったし、お父さんの事業は上手くいかなくなってしまった。家庭も庭も荒れる一方。それから何年か経つと、一家は夜逃げ同然で何処かに越してしまったわ。肝心の犯人は捕まらないまま、時効に……」


 茶織は良香の背中にあった、嫌な色合いのシミを思い出した。


「あの子ね、このパン屋さんのあんパンが大好きだったのよ」女性は自分の手に提げた〈きくちパン〉の袋に目をやった。「昔から変わらない味よ。値段はだいぶ上がったけどね」


「ワシもあんパン食べたい。サオリン後でよろしくぅ! ヒョヒョヒョ!」


 ──売り切れていますように。


 茶織は冷たく祈った。


「もしかしたら、あなたがあの子の兄弟のお孫さんとか、親戚なんじゃないかと思って、声を掛けてしまったの。本当にごめんなさいね」


「いえ……別に」


「それじゃあ、私はこれで失礼します」


 女性は丁寧に頭を下げると去って行った。


「素敵なご婦人(マダム)だったなあ……ほら、後ろ姿もなかなか」


「ブリジットだっけ……あんたの配偶者よりも?」


「んなっ! そりゃブリちゃんが一番……だよ……」


「声が小さくなってるわよ。……ほら、もう行くから引っ込んで」


「えー、サオリ、ホントに自分勝手──」


「パンいらないなら帰るわよ」


 サムディが消えると、茶織は〈きくちパン〉を目指して再び歩き始めた。

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