#1-6 お喋りカラスと双子①
「ただいまーっ」
那由多が大学から帰宅したのは、二〇時を廻った頃だった。
「ちょっと電車が遅れててさー。スーパーにも寄ったし。すっかりお腹空いちゃったよ」
那由多の声に反応するように、暗がりに紅い光が二つ浮かぶ。
「お前は常に腹を空かせているだろう」
明かりを点けると、緋雨がリビングのドアノブに器用に止まっていた。
「もうちょっと待ってて。昨日の残り物メインだからすぐに用意出来るよ」
「我はまだ減っていない。気にするな」
約三〇分後、大きな皿に山盛りの回鍋肉と、どんぶりに山盛りの白米、その他諸々の料理がリビングのテーブルに並んだ。
「いただきまーす」
正面の椅子の背もたれに止まり、那由多の食いっぷりを無言で眺めていた緋雨だったが、やがて話を切り出した。
「お前は気付いていたか? 強い力を持つ人外の気配に」
「……うん?」
「その様子だとさっぱりのようだな」
「うん、さっぱり」白米と回鍋肉が喉の奥に消えると、那由多はすぐに鶏の唐揚げに箸を伸ばした。「ピエロとは別?」
「ああ。我々の脅威となるか頼もしい協力者となるか見極めねば」
卵焼きを一切れ口に入れる前に、那由多は一旦箸を止めた。
「そういえば、龍君から連絡を貰ったんだ。ピエロが六堂大道芸で何か企んでいるらしいって話を、アルバちゃんが耳にしたんだって」
「大道芸? ピエロだからか?」
「うーん……そういう理由なのかな? わかんないけど、あのイベントは毎年人が沢山集まるっていうし、結構ヤバいかも。だからまた近いうちに集まって、どうするか決めようって。その時に、その強い力の持ち主も呼べるといいね」
那由多は再び卵焼きに箸を伸ばした。
「……もう少し砂糖を多くすりゃ良かったかな……あ、緋雨、その強そうな誰かを探しに行くなら、俺も一緒に行こうか」
「お前は学業を優先しろ」
「普段真面目にやってるんだし、少しくらい大丈夫なのに」
緋雨は椅子から離れると、テレビの前に無造作に置かれているリモコンの向きを足の指先で器用に直し、電源ボタンを押した。少しの間の後に映し出されたのは、日本史の知識を売りにしているピン芸人と人気女性アイドルグループのメンバーが、東京某所の商店街で食べ歩きをしている姿だった。
「那由多、あの時代劇はどの放送局だったっけか」
「あの時代劇って、『盗人田吾作と七人の岡っ引き』の再放送? あれはテレビKだけど、今週は放送しないって、先週の放送で字幕が出てなかった?」
「おお、そうだった……すっかり忘れていた……」
余程ショックだったのか、緋雨はガクリとうなだれ、ブツブツと何やら呟き続けていたが、那由多が三度目の白米のおかわりをする頃には、硬派で強面な警部補が主役の刑事ドラマに夢中になっていた。
二時〇〇分。
那由多が熟睡しているのを確認すると、緋雨は鍵の掛かっている窓を、文字通りすり抜けて外へ出た。魔力を消費し、すり抜ける際の感覚が気持ち悪いため普段はあまり使用しない能力だが、カラスの姿で窓を開閉するのは骨が折れるし、かといって窓を開けたままにしておいて、親愛なる大食い青年に風邪を引かせるような事があってはならない。
緋雨はあまり睡眠を必要としない体質なので、日中とはまた違った姿を見せる街を散歩するのがずっと昔からの日課となっているのだが、今回は目的が少々異なる。
気流を利用しながら高度一〇〇メートル程まで上昇する。湯虎町もその周辺も、いや磨陣市内外問わず、数十年前までは考えられなかったような明るさだ。
緋雨は意識を集中させ、目当ての強力な気配の持ち主の居所を探った。あちらこちらから、大小強弱様々な気の放出が感じられる。
──相変わらず多い。
この世には、様々な種類の人外が至る所に存在している。その中でも特に磨陣市内は他所に比べて圧倒的に数が多い。そういった者たちを引き寄せる〝何か〟があるのだろうか。独自に解明を試みようとした事もあったが、未だはっきりとわからずにいる。
「む……?」
市内北東の方から、強い気配──それも邪悪で陰湿だ──を感じ取り、緋雨の紅い目は強く輝いた。お目当ての気配とは異なるが、こいつは無視出来ないだろう。
──ピエロ……か?
仮にこれが殺人ピエロのものだとすれば、尻尾を掴むチャンスだ。しかし今更ながらためらいが生じた。今の自分一人、こんな姿でまともに対抗出来るだろうか。
那由多には未だ話していない、そして那由多の祖父にはとうとう話さず終いだった、苦々しい過去。せめて人間の姿を長時間保てるだけの力が残っていれば。
こうしている間にも、ピエロは罪のない若者を苦しめているかもしれない。その事実が緋雨を苛立たせた。
──クソが。
緋雨は舌打ちし、一度大きく羽ばたくと、邪悪な気配を追い北東へと滑空した。