#1-5-3 なんてったってデュラハン③
デュラハンを待機させたはいいが、むさっ苦しい退魔師とやらに遭遇したらどうする? 小走りで進みながら龍は必死に考えた。全く違う方向に逃げたとは教えるか。殺さないでやってくれと正直に頼むか。聞く耳を持たない奴なら、後者はかえって墓穴を掘る事になるかもしれない。
──いや待て、そもそも俺、英語で会話なんて出来ねえぞ!?
突然、建物の陰から誰かが飛び出した。
「うわっ!」
「おっと!」
寸でのところで衝突は免れたが、龍はよろめいて再び尻餅を突いてしまった。今更ながらパジャマの汚れ具合が気になってきた。
「ワリィな!」
飛び出した相手は、力任せに龍を引っ張り起こした。三、四〇代くらいの白人の男性だ。一八〇センチ以上はあり、そこそこ肉付きがいい。細い目に比べて目立つ太い眉。パーマのかかった髪は腰に届きそうな程に長く、口周りには無造作に伸ばした濃い髭。
──こいつだ……例の退魔師は。
龍の心臓が早鐘を打った。
──間違いない……このちょっとむさ苦しい感じは。
男性は早口の英語で何やら一方的に喋り出した。聞いているうちに、ぶつかりそうになった理由を少々言い訳がましく説明しているのだろうという事が何となくわかった。
「参ったな、やっぱり英語は……」
龍は無意識にそう呟いた。すると男性は、ハッとしたようにお喋りをやめた。
「そうか、坊主、日本人か」男性の口から再び発せられたのは、意外にも流暢な日本語だった。
「え……ええ」
「なら日本語で話す。日本語はおれの第二の母国語なんだ。スチュアート・ムーアだ」
大きな手が差し出された。龍が恐る恐る握ると、スチュアートも見た目通りの力強さで握り返した。それでもだいぶ加減はしているのだろう。
手を離すと、スチュアートは何かを期待するかのようにじっと龍を見つめた。
「……ああ、名前。龍です」
「リュウか! いいね、流浪の格闘家みたいだ! ガハハハ!」
「……はあ」
「ところでリュウ、お前……」スチュアートの細い目が更に細められる。「こんな時間にそんな格好で何してる? 靴も履かずに!」
「えーっと……あー……実は夢遊病の気があるみたいで」
「マジか。大変だな。家は何処だ」
「この近くのホテル。家族旅行で来ていて」
「何て名前だ。送るぞ」
「ああ、大丈夫。ほんとにすぐ目と鼻の先なんで」
「いいや、そういうわけにはいかない。午前三時近くに外をフラつく子供をほっとくわけにはいかない。それにこの辺りにはな、その……複数の不審者が出るらしいからよ」
──例えば、首を抱えた女とか?
複数という事は、デュラハンは一体だけではないのだろうか。そしてこの男は、それらを片っ端から狩っているのだろうか。
「スチュアートさんは……何故ここに」
「おれか? おれは、ちょっと仕事でな」
「たい──へんですね」退魔師ですか、と言いかけたがギリギリで修正した。
「とにかくだ、お前はちゃんとホテルに戻らないとな。ほら、何処だ? 前まで送ってくからよ」
龍はやむなく従う事にした。
「あの、スチュアートさんも仕事とはいえ、こんな時間に危ないんじゃ……」
この退魔師を何としてでもデュラハンから遠ざけたいというのもあったが、多少は心配なのも事実だった。大人だろうが子供だろうが、真夜中に一人で暗がりをうろつくのは、やはり危険だ。
「ありがとよ。でもおれは慣れっこだしよ、まだやる事が残って──ん、ちょい待て」
スチュアートは一旦足を止めると、腰元のホルダーからスマホを取り出した。目を通しながら英語で何かぶつくさ言っていたが、龍の視線に気付くと笑顔を浮かべた。
「すまんすまん。仕事仲間から連絡が入ってな。おれも泊まってるホステルに戻らなきゃならなくなった。ま、丁度いいや。さ、行くぞ」
龍はスチュアートに気付かれないよう、そっと後ろを振り向いた。
──とりあえずは助かったぞ、デュラハン。
ホテルのバルコニーの前まで到着すると、エントランスまで送ると言うスチュアートの申し出を丁寧に断り、部屋の位置を親指で示した。すぐに意味を理解したスチュアートは、苦笑しながら肩を竦めた。
「リュウ、日本に帰ったら、ちゃんと病院に行った方がいいぞ」
「ええ、そうします」
「おう。それと今更だが、敬語は使わなくていいぞ」
「わかった。もうちょっと早く言ってくれよ」
スチュアートはガハハハと大声で笑いかけたが、慌てて口を閉じ、ニヤリと笑った。
「じゃあな、リュウ。いつかまた会えるといいな、それこそ日本とかで」
「ああ、いつかまた」
一度目よりも固い握手を交わすと、スチュアートは笑顔で軽く手を振ってから去って行った。
無事に室内に戻り、ベッドに腰を下ろすと、龍は安堵と疲労感と罪悪感がごちゃ混ぜになった溜め息を吐いた。
──ごめん、嘘吐いて。
あのスチュアート・ムーアという退魔師は、気さくで親切な男だった。同じ〝見える〟人間同士、もっと色々と話せる事があったかもしれないし、デュラハンの件だって頼めば聞き入れてくれたかもしれない。彼の言った通り、いつかまた何処かで会えるといいと龍は願った。そしてその時は、本当の事を話して、嘘を謝ろう。
──あいつは……大丈夫かな。
デュラハンは龍との約束を律儀に守り、ずっとあの場で待ち続けているかもしれない。一旦戻りたかったが、疲労感に加え、突如やって来た極度の眠気には勝てそうになかった。
龍はパタリと倒れるように仰向けになると、約三時間後に兄にプロレス技モドキで叩き起こされるまで、死んだように眠り続けた。
一〇時〇二分。
フロントで両親が宿泊代を精算し、兄がホテルの女性従業員に話し掛けられ拙い英語でやり取りしている間に、龍はそっとその場を抜け出した。
──あいつ……まだいるかな……?
デュラハンという存在は、日が出ている間にも活動出来るものなのだろうか。龍が過去に目にしてきた人ならざる者たちは、死んだ人間や動物の霊ばかりだったが、日中でも何の問題もなく動き回れる者が多かった。
──デュラハンに太陽の光はあんまり似合わないよな。
エントランスを出ると、まばらではあるが人の姿が見受けられた。ほとんどが龍たちと同じような観光客のようで、トランクや大荷物を抱えている。
空では雲の切れ目から太陽がそっと顔を覗かせている。気温は一五度かそこらだろうか。この数日間、天候の変化こそ度々あったものの、日本の夏ではとても考えられない程、快適に過ごせた。帰国後の地獄のような蒸し暑さを想像するだけで少々憂鬱になる。
自然と大きな欠伸が出た。帰りの飛行機の中では爆睡決定だろう。かのエジソンやナポレオンは短眠者だったらしいが、龍には彼らの体質が全く理解出来なかった。
デュラハンと遭遇した方向へと足を踏み出す。こちら側にはこれといった施設もなく、やがて行き止まりになるためか、人の姿はない──一人の少女以外は。
──あれ……?
少女は龍から五メートル程離れた路地の端に一人で佇んでいた。七、八歳くらいだろうか。天然パーマの金髪で、白無地のシンプルなワンピースと、レザーフラワーモチーフの付いた白いサンダルという服装が涼しげだ。
甲冑姿でもなければ大人ですらないのに、あのデュラハンを思い起こさせるのは何故だろうか。
龍に気付いた途端、少女の表情がパアッと明るくなった。
「リュウさん!」
「え……?」
少女は駆け寄り、勢い良く龍に抱き付いた。
「もう、待っていろっておっしゃるから待っていたのに。心配したんですよ! 待ちくたびれちゃったので、ワタシの方から探しに来たんです。良かった、すぐに見付かって。……あら? リュウさんどうしました?」
碧い目と白い肌にそばかすのある、幼いながらも整った顔立ち。
「え……ちょ、待て……あんたまさか……」
「あら、ワタシの事、もう忘れちゃったんですか? ほら」
少女は首元に手をやると、ヘルメットを脱ぐかのように、いとも簡単に自分の首を取り外してみせた。
龍の短い悲鳴に、周囲の通行人が一斉に振り向く。咳払いして誤魔化すと、アルバを引っ張り、エントランスから離れた人の目に付きにくそうな位置まで移動した。
「あのな……こんな所で驚かすなよ!」
「すみません」少女が首を元に戻す。「それじゃあ次は人気のないところで」
「そういう問題じゃねえって。ていうかあんた、何で子供の姿なんだよ、デュラハン」
無事に再会出来た事は素直に喜ばしかったが、突っ込まずにはいられなかった。
「力を失い過ぎたんで、これ以上無駄に消費しないために変身したんですよ」デュラハンはのんびり答えた。
「喋り方も違うし」
「リュウさんより年下になったんで、敬語の方がいいかなと」
「別にそんな配慮はいい……。力は戻らないのか?」
「誰か別の生命を奪ってワタシの力に変えれば……あ、ドン引きしてますね。安心してください、何もしていない人間に手を出すつもりはありませんから」
「龍、そんな所で何してんだー」龍の兄がエントランスから姿を見せた。「もうちょいしたら終わるから中で待ってろよー」
「わかった。今行く」
兄は頷くと中へ戻っていった。
「ご兄弟ですか。あまり似てらっしゃいませんね」
「俺は母親似で父親にはあんまり似ていない。兄貴はその逆だ」
「遺伝子って不思議で面白いですねえ」デュラハンはしみじみと言うと、思い出したように続けた。「ところで、ワタシに名前を付けてくださるって約束ですよね」
「ん? ああ、そうだったな。どんな名前がいい?」
「そうですねえ……〝デュラ子〟とか〝首美〟なんて名前でなければ」
「あんた、人の心も読めるのか?」
「ええっ、本当にそんな名前を?」
龍は声を出して笑った。「冗談だよ」
「んもう、本気で考えてください。……凄く楽しみにしていたんですから」デュラハンは拗ねたように言った。
「ん、ちょっと待ってろ。真面目に考えるから」
龍は外国人の歌手や女優などからいくつかの候補を立てた。しかしいまいちしっくりこない。しばらくの間考えているうちに、ふと、ある単語が思い付いた。
「アルバ、なんてどうだ」
龍のクラスメートに小此木遥という、イタリア文化好きな女子生徒がいる。将来は絶対にイタリアに移住するのだと意気込んでおり、暇さえあればイタリア語を勉強しているそうだ。他の女子生徒が、遥がどれだけイタリア語を覚えたかを試すために時々クイズを出題しており、遥と席が近い龍も自然と耳にするうちに、ごく一部ではあるが単語の意味を覚えていた。
「人名としても使われているが、イタリア語では夜明けって意味だったはずだ」
「まあ、素敵ですね! ちなみにスコットランド・ゲール語ではスコットランドって意味なんですよ」
「へえ。じゃあスコットとでも呼ぶか?」
「目からビームが出ちゃいそうですからいいです。アルバ……ワタシはアルバ。ウフフッ」デュラハンはご機嫌な様子で、両腕を広げてクルクルと回り始めた。
「おーい、龍! 行くぞー! 荷物持てよー!」
再び兄が現れ、その後ろから両親も続いた。
「あ、ほらリュウさん、早く行きましょ」アルバは先に歩き出した。「日本ってどんな所なんですか? 首なし武者がいるって本当です?」
「知らない……って、付いて来る気かよ?」
「だって、退屈なんですもの。……駄目?」
拒否する気が失せてしまう上目遣い。それが狙ったものなのか否か、龍には判断が付かなかった。
「……まあいいけどよ……」
龍の母が手招きし、早く来るようにと促す。
「〝見える〟のは俺だけだからな。話す時は気を付けてくれよ」
「はーい」
アルバと出会ってから約三年の間で、龍の所謂霊感は急激に強まった。かつてはそれ程頻繁に人外の存在を認識出来るわけではなかったが、今では当たり前となっており、自然過ぎるがために、生きた人間との見分けが付かない事もたまにあるくらいだ。
それがいい事なのか、悪い事なのかはわからない。しかし龍は今日に至るまで、相棒との出会いを後悔した事は一度もなかった。