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#1-5-2 なんてったってデュラハン②

 三年前、龍が中学二年生の夏、五泊七日の家族旅行でアイルランドを訪れた。

 マンスター州ケリー県、ディングル半島西部の港町ディングルに滞在中、半島内をレンタカーで回り、醸造所や教会、博物館などの観光名所巡りやドルフィンウォッチングに参加したり、シーフードを堪能した。

 滞在最終日の夜、ホテルの一室。

 全員が風呂を済ませ、パジャマ姿でそれぞれのベッドに腰を下ろし、談笑していた。


「もう帰るんだものね。あっという間」


 龍の母が、残念そうだがホッとしているようにも聞こえる声色で呟くと、父と兄も賛同した。


「機会があればまた来たいな。今回訪れたのは、数多くある名所のほんの一部だしな」


「親父、俺ダブリンに行きたいよ。外国人が日本に旅行に来て、東京や大阪に行かないのと同じくらい勿体無いって」


「あら、お母さんはバレンで巨人のテーブルやアーウィーの洞窟を見たいわ。あとはコングのアシュフォード城も」


「マニアックじゃね? まずは首都行かなきゃ首都」


「お前たち、願望はいいが金が掛かるって事を忘れてないか? ちなみに父さんが行きたいのは──」


 窓際で聞き役に回っていた龍は、何気なくカーテンをめくり、外を覗いた。


 ──……暗過ぎる。


 二三時を廻ろうとしているので暗いのは当然だが、目の前の路地の街灯や近隣の建物、更には見える範囲内での同じホテルの各部屋からも明かりが消えていた。夜空は雲に覆われ、星の一つも輝いていない。

 ホテル近隣のレストランで夕食を済ませた時点で既に日は落ちていたが、間違いなく街灯は点いていた。停電にでもなったのかと思ったが、ずっと遠くの方では明かりが見えるし、停電ならばこの部屋の電気だって点かないはずだ。


 ──何だか嫌な感じがする。


「おーい、龍、聞いてたか?」


 父の声に龍は我に返った。


「そろそろ寝るぞ。明日は早いからな」


「外が暗い」


「ん? そりゃあ夜なんだから当然だろう」


「暗過ぎるんだ。この近くに、明かりが全くない」


 龍は窓を指差した。一緒に確認してほしかったが、家族の誰も興味を示さなかった。


「もう皆寝てるのよ。ほら、電気消すわよ」


 母が壁のスイッチに手を伸ばす。腑に落ちなかったが、龍はめくっていた深緑色のカーテンを離すと、しぶしぶ横になった。


「お前は次に何処へ行きたい? アイルランド国内で」隣のベッドから兄が尋ねてきた。


「田舎町」


「せっかくの海外旅行なのにか?」


「妖精とか出そうじゃん」


「ああ、レプラコーン、だっけ? それならいいけどさ──」


 電気が消えた。


首なし騎士(デュラハン)だったらヤバくね?」



 龍が目を覚ました時、まだ家族は全員眠っていた。時刻を確認したかったがスマホはリュックの中で、部屋には元々時計がない。それでも、起床時間まではだいぶあるだろうという事は何となくわかった。再び眠ろうと目を閉じるも、困った事にすっかり冴えてしまっていた。


 ──参ったな。


 龍は上体を起こし一息吐くと、窓の方に目をやった。

 外が気になる。通りに誰かが──むしろ〝何か〟がいて、光る目でこちらを見ているのではないか──一瞬、そんな妄想が頭を(よぎ)ったが、恐怖心よりも好奇心が勝った。

 龍はベッドから出るとカーテンをめくり、それだけでは見え辛かったので少しだけ窓も開け、恐る恐る外を覗いた。

 遠方の明かりも消えており、就寝前よりも闇が濃かった。真夜中なので当たり前ではあるのだが、まるで自分一人だけこの世界に取り残されてしまったかのように感じられなくもない。


 ──それに……


 龍は両手でそれぞれ反対側の腕を(さす)った。


 ──寒い。


 アイルランドは真夏でもあまり暑くはなく、日中は天候の変化こそ度々あったが快適に過ごせた。深夜に気温が下がるのはわかるが、吐く息が白くなる程寒くなるものなのだろうか。

 好奇心が急速に萎え、龍は窓とカーテンを閉めた。若干音を立ててしまったが、誰も目を覚ました様子はなかった。

 龍はベッドに戻り、織り込まれた薄い掛け布団を無理矢理引っ張り上げ、頭まですっぽり被った。


 ──こういう時は……


 以前クラスメートが口にしていた、寝付きが悪い時の最善の対処方──小難しい内容、例えば政治・経済について深く考えようとすると自然と眠くなるぞ──を試してみようか。別の対処方もある。こちらは隣のベッドで寝息を立てる兄が言っていた──寝付けない時は諦めて起きていろ。以上。

 龍は前者を採用する事に決めた。この環境で起きていても何もする事はないし、出来る事も限られる──そう、例えば、バルコニーに出て体を震わせながら真っ暗闇を眺めるとか。

 ありとあらゆる小難しい内容に考えを巡らせ、どれくらいの時間が過ぎただろうか。ようやくうとうとしてきた頃、悲鳴のような馬のいななきに静寂を破られ、龍は飛び起きた。


 ──何だ!?


 家族の様子を確認する。かなりやかましかったにも関わらず、やはり誰も目を覚ましていない。

 好奇心が元気を取り戻し、早く外を見てみろと急き立てられた龍は、素直に従った。


 ──あれっ。


 空は相変わらず曇ってはいるが、各所の街灯の明かりは点いていた。


 ──じゃあ何でさっきまでは──……


 目の前の路地を、人影が素早く横切った。龍は一瞬驚いたが、迷わずバルコニーに出て目で追った。

 人影は明かりに照らされてもはっきりとした姿が見えず、足音一つ立てずに真っ直ぐ道なりに走り続けると、角を左に曲がって消えた。そちらの方向は行き止まりになっていたはずだが、しばらく待っても戻っては来なかった。

 龍はほぼ無意識にバルコニーの手摺を乗り越え、パジャマに裸足という姿で路地に降り立つ──幸いにも一階だったため何ともなかったが、後日思い返しヒヤリとする──と、人影を追って走り、角の手前まで辿り着いた。


 ──寒い。


 吐き出した息は白く、剥き出しの足に触れるコンクリートは氷のように冷たい。全身にゾワゾワと鳥肌が立つのがわかる。


 ──って、何やってんだ、俺。


 龍は落ち着きなく振り返った。数十メートル程しか移動していないはずなのに、だいぶ遠くまで来てしまったかのように感じられた。心細さ、そして恐怖感。角の向こうには誰がいる? いきなり飛び出して来たら? 襲い掛かられたら?

 しかしそれでも、龍は足を踏み出していた。


 ──!!


 角の向こうは記憶通り行き止まりだったが、何やら少々奇妙な状況だった。街灯の明かりもほとんど届かない中、一番奥の壁際の一部分と、その数メートル手前の地面の一部分だけ、淡くぼうっと光っている。そして壁際の光の中心には、足を崩して座り込んでいる人間が一人。


 ──あれは……。


 顔の周辺は光が弱く全く見えないが、首から下の特徴的な服装だけはぼんやり認識出来た。


 ──西洋甲冑?


 龍はしばらく相手に見入っていたが、やがて少しずつ近付いていった。ほんの数メートル手前、淡く光る地面のすぐ近くまで来ると、甲冑姿は見間違いではないという事がわかった。


「……大丈夫ですか(AreyouOK)?」


 恐る恐る声を掛けてみたが、返事はない。声を出せない程に具合が悪いのか、眠っているのか。


 ──死んじゃいないよな?


 もう一度声を掛けてみるか、相手の体を揺すってみるか、迷ったその時だった。


「あら坊や、こんな時間にどうしたの」


 囁くような女性の声に、龍は体をビクつかせた。


「人間は眠っていなきゃいけない時間帯でしょう。その格好だと、さっきまでは眠っていたのかしら」


 何か言おうと口を開きかけた龍は、同時に違和感を覚えた。女性の声が聞こえてくる方向が、微妙にズレてはいないだろうか。


「寒いんじゃない? 裸足で痛くはない?」


 優しく労る声は、()()()()聞こえてはいないだろうか。

 龍はコンクリート地面に視線を落とした。淡く光る一部分、よく見ればそこに〝何か〟があった。小さくはない──そう、人の頭くらいのサイズ感だ。


「ああ、こんな位置からごめんなさいね」言葉を発しているのは〝何か〟だった。「もし嫌じゃなければ、拾ってほしいわ」


〝何か〟と()()()()()。 


「ワタシ、疲れちゃって。体を動かすのが億劫なの」


〝何か〟は、紛れもなく女性の生首だった。


「──……っっ!」


 悲鳴を上げようにも、カラカラに渇いた口の中に舌が引っ付いてしまったようだった。龍は二、三歩後ずさると、よろめいて尻餅を突いた。


「困った人間に目を付けられてしまったの」龍の反応はお構いなしに、生首は話し続ける。「ワタシは何もしていないのに、成敗するとか言って襲い掛かって来て……反撃したけれど、イギリスから来た退魔師だっていうあのむさっ苦しい人間の男、見た目よりもずっと強くて……ワタシの愛馬は殺されてしまった」


 パニックを起こしグルグルと回る頭の中で龍は毒突いた。さっきの近所迷惑な馬のいななき、あれは断末魔だったってわけか。そいつは御愁傷様! 次はバイクにでもしたらどうだ?


「もっと遠くへ逃げたい……でもあまり力が残っていないの。走って疲れた分は休めばすぐ元通りだけれど、大半の力は、あの退魔師にだいぶ削られちゃって。……あら坊や、大丈夫? ちょっと驚かせちゃったわね」


「……ちょっと……どころじゃ……ねえ!」龍は絞り出すように言った。「あんた……デュラハン……か?」


「そうよ」


 生首が微笑むと、龍は一瞬恐怖を忘れた。それどころか、美しいとさえ感じた。しかし相手はあのデュラハンなのだと思い直す。


「デュラハン、は……死期が近い人間の、前に……」


「そうよ。教えてあげるの」


 絶望のどん底へ突き落とされた。たった一四年しか生きていない。やりたい事、まだ見ぬ世界が沢山あるというのに。


「でも安心して。ワタシが見る限り、坊やの寿命はまだまだ当分尽きそうにないから。第一、坊やの方からワタシの元へやって来たんじゃない」


「……確かに」


 生首はウフフと笑った。ごく普通の人間と何ら変わらない──転がった生首がお喋りしている事を除けば。

 龍は大きく溜め息を吐くと、ゆっくり体勢を変え、生首の前にしゃがみ込んだ。


「えーっと……」


 改めて生首を見やる。淡い光に包まれているとはいえ、はっきり見えるわけではないが、天然パーマの金髪に碧い目をしているようだ。冑は被っていない。顔立ちは整っており、白い肌に少量のそばかすがある。


「あら坊や、落ち着いた?」


「ああ……何とか」切り替えの早さに龍自身も驚きだった。


「普段から〝見える〟の?」


「少しだけな。あんたみたいな大物は初めてだ」


「あら、大物だなんて。ねえ、ところで、ワタシの頭を手元に置いてもらえないかしら。後は自分で直せるから」


 龍は言われた通りにした。生首は想像以上に重たかった。


「ああ良かった、有難う」


 デュラハンは、両手で持った自分の首を、本来の正しい位置に乗せた。それ以外に特殊な動作をした様子はなかったが、生首はピッタリはまり、綺麗に元通りとなった。


「デュラハンは常に自分の生首を抱えているんじゃないのか」


「腕が疲れちゃうもの」


「そういうものなのか」


「そういうものよ」


 どちらからともなく微笑んだ。


「ほら」

 

 龍は立ち上がるデュラハンに手を貸した。自分よりも一〇センチ以上は長身だったので、ちょっとした敗北感を覚えた。三年後にはほぼ同じくらいの背丈にまで成長しているのだが、一四歳の少年にとっては、女性より背が低いのはちょっとしたコンプレックスだった。


「有難う。坊や、お名前は」


「龍。日高龍。日本人だ。あんたに名前はあるのか」


「ないわ。坊やが付けてくれる?」


「いいけど、ガキ扱いした喋り方はやめてくれよな」


「あらごめんなさい、そんなつもりはなかったのだけれど──」デュラハンは何かに気付いたようにお喋りを止め、身を強張らせた。


「どうした」


「来る……あの退魔師が」


 龍は振り返り、耳をそばだてた。「何も聞こえないぞ」


「わかるのよ。近付いているわ、あのむさっ苦しい男」


「見付かったら……あんた消されるんだよな」


「でしょうね」


 考え込む暇はなかった。


「ここでちょっと待ってろ」


「リュウ? 危ないわ。同じ人間だからって──」


「いいから待ってろって」 


 龍は安心させるようにデュラハンの腕に軽く触れると、来た道を戻っていった。

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