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怪物と子供

作者: 雉白書屋

「……ひっ、だ、だれ!」


 その少女はひとり、森の中を彷徨い歩いていた。

 夏休み。仕事で遠出するという父親に無理やりくっついてきたはよかったが、代わる代わる知らない大人に愛想を振りまき、そして父親の陰に隠れ、ひしっと父親のズボンを掴んで大人たちの呪文か暗号のような会話に耳を傾けることに飽き、ひとり森の中へ入ったのだ。

 

 どこへ進み、どこで見上げても背の高い木々が少女を見下ろす。

 空は曇天。じめじめと蒸し暑く、少女は手をパタパタ、ワンピースのスカートや胸の部分をパタパタ、ブゥンと虫が耳元を通過しバタバタ。泣きっ面に蚊。バチバチと腕を叩き、手のひらの血の玉を見て、卒倒しそうになるのを、ぐっと堪えるが、ガサガサと茂みが揺れれば短く悲鳴を上げ走り、立ち止まってはまた空を見上げ、と繰り返す。

 

「ねぇ……だれなの……?」


 だが、少女は今度は逃げなかった。疲れて足が痛かったのもあるが茂みの揺れが小さかったのだ。


「わっ!」


 茂みが大きく揺れ、少女の目の前に現れたのは、きゅぅと鳴く白いモコモコの毛の可愛らしい小動物……と、そこまでは期待してはいなかったが、空想染みた予想が大きく外れ、少女は目を瞬かせた。


「バルボボ」


「だ、ダーテ?」


 少女が口にした名。ダーテ。その国で『闇に潜む怪物』という意味を持つ存在。


『ダーテはね。森に住んでいるんだ。とーっても愚かな生き物なんだけどね。だからこそ怖くて危険なんだ。いずれ、退治するんだけどね、危ないから見かけてもお嬢ちゃんは近づいちゃ駄目だよ。じゃないと……殺されちゃうぞぉぉっぉぉお!』


 以前、父親の友人という男にそんな話を聞かされたことを少女は瞬時に思い出した。

 あの時「よせよ。こわがらせるな」とかばってくれた父親はここにはいない。そして、守ってもくれない。目の前のダーテから。

 そのことに気づいた少女はサッと顔から血の気が引くと共に、背を向け走り出した。

 倒木をピョンと飛び越え、蔓科の植物を手で払い、背の高い雑草に肘まで撫でられ、ぬかるみに足を取られ、思いっきり転んでも立ち上がった。


 が……


「きゃあ!」


 ダーテは目の前にいた。ギョロッとしたその瞳に少女の驚いた顔を映した。

 少女はまた走る。だがまた……。また走り、でもまた……。

 と、繰り返すこと何度目か。少女はペタンとその場に座り込んだ。


「あなた、とってもあしがはやいのね!」


「グイゴゴ」


 少女はムフーッと鼻息を吐いた。先程までの恐怖はどこへやら。少女はもう怖がりはしなかった。

 それは言わばランナーズハイというものだが、それを知らぬ少女はダーテには敵意はないと感じ、純粋にダーテを称える気になったのだ。


「あ、そうだわ! あたし、この森からでたいの! あなた、この森にすんでいるんでしょ? 道にくわしいんじゃない?」


「ボラボガクカ」


「うーん? あたし! 森! でたい! どう、伝わった?」


「モリ!」


「ちがうちがう、あたしはミア。ミーア! ミア!」


「ミア、ガラゴ」


「ミアガラゴじゃないの。ただのミア。で、森! これは森!」


「モリ」


「そう、でたいの! ミア! 森! でたーい!」


「デターイ!」


「ふふっ」


「フフッ」


 ミアとダーテは笑い、笑い、ひとしきり笑うと、まずダーテが立ち上がり、ついて来て、と視線を送った。

 ミアも立ち上がり、ダーテのあとに続いた。道案内のはずがそのうち追いかけっこのようになり、ミアとダーテの笑い声が森の中で踊った。


「はははっ、はぁ、はぁ、あ! すごい! 出た!」


「デタ」


「すごいすごい! ダーテ、ありがとう!」


「ガラゴガラゴ」


「しかも、お父様のテントからそんなにはなれてないわ! ほらあれよ! あのテント! ふふっ、ここからだと小さいけどホントは一番大きいのよ! はぁーよかったぁ。あ、ねぇ、明日またここで会いましょうよ! お礼にお菓子もってきてあげるから!」


「ダルゲルグール」


「お菓子!」


「オカシ、カシカシ」


「こう、ばくばくばくばく!」


「バクバクバクバク!」


「ふふふっ、楽しみにしててね。じゃあね、ありがとー!」


「ミア、ガラゴ」



 翌日。ミアは約束通り、ダーテと別れた場所に向かった。お菓子を持ち出すことも父親の目を盗み、テントから離れることも簡単だった。そもそも昨日、ミアが森で迷っていたことも父親は知らなかった。

 尤も、長い間森の中にいたというのは子供特有の時間感覚であり、実際は然程時間が経っていなかったのだが(父親はトイレへ行ったあと、テントに戻り絵本でも読んでいるのだろうなと思っていたぐらいだ)そのことについてミアは少なからずショックを受けた。

 しかし、森に入ったことを話せば心配をかけるだけじゃなく、ダーテに会うこと、また森の中に入ることを許されないと思い黙っていた。


「あ、ダーテ!」


「ガラゴ。ミア」


「ふふっ、こんにちはって意味かな。ガラゴ?」


「ガラゴガラゴ!」


「でね、はい、お菓子! いっしょに食べましょっ」


「カシオカシ」


「ふふっ、おいしい? おいしい、おいしい」


「オイシイ、オイシイ」


「ふふふっ、あなたって足がはやいだけじゃなく、かしこいのね」


「ミア。ミア、ミーア」


「ふふふふっ猫みたーい、あはははっ」



 その日を境にミアとダーテは友達になった。言葉が通じないのではっきりとそう決まったわけではないが、少なくともミアはそう思った。

 朝ご飯を食べたあと、日が暮れるまで森の中でダーテと遊んだ。お昼を持ち寄り、一緒に食べた。ダーテは森の果実。ミアはサンドイッチ。川遊び、木登り。いわゆるお嬢様学校に通うミアにとっては新鮮であり、また懐かしくもあった。きっともっと幼い頃はこうやって外で遊んでいたのかもしれない。


「お父さまとね。でも、最近はいそがしいの。でも、しょうがないのよね。だって、あたしがむりやりついてきたようなものだもの。

おうちに残っているお母さまはね、危ないからやめた方がいいって言ってたんだけどね。まあ、ふふん、いつも向こうが折れちゃうの。

あたしって意志が強いんだって。でね、お父さまもしぶしぶだけど連れて行ってくれることになってね。

あ、でもちゃんと喜んでいるのはわかっているのよ。お父様ったらちょっと張り切ってカッコつけている感じだもの。あたし、わかるのよ。元々、前からこの国には調査に来ていたんですって。それがお仕事。だから毒のある危ない生き物とかはいないって、ねえ、聞いてる?」


「ダーダ……」


「あなたって聞き上手ねぇ。でね――」


 ミアとダーテはどんどん仲良くなった。お互いを好いていた。

 しかし、いずれ別れの時は来る。ミアもそれがわかっていた。つらくなることは。だが、ただそれを受け入れるつもりはなかった。


「ねーえ、いいかげん、うち来てよ」


「ドゥドゥ」


「すぐそこよ? お父さまに会わせてあげる! 大丈夫、心配しないで。ほら、前に話したでしょ? うちはね、動物好きなの!

えっとルークでしょ、あ、犬ね。それから猫に、鳥にあと昔、子豚を飼っていたんですって!

でも大きくなっちゃってお母さまってば、あ、そんな話はいいんだわ。あ、ねえ! 帰っちゃうの? もーう、また明日ね!」


「アシタ……アシタ……ミア、クル」


「え? なーに? くるわよ。また明日もね」


「ミア、イマクル」


「え、いたい、いたい! はなして!」


 ダーテに腕を掴まれたミアはその力強さにゾッとした。そして、忘れていた何かを思い出した気がした。

 その何か。……そうだ、目の前にいるそれは怪物と呼ばれているんだ、と。


「はなして! はなしてよ! ダーテ! いたい!」


「ダーテ、チガウ! ガラゴ! ミア! イッショ! クル! ジャララ!」


「もうっ! しらない!」


 そう言い捨て、ダーテを振り解いたミアは走り去った。

 ダーテは森と平地のその境界線、刺すような夕日に目を痛めながらも、ミアの背中が見えなくなるまでずっと見つめていた。


 やがて夜が来て、夕日よりも赤いその光にダーテは思わず目を覆った。

 燃え盛るテント。銃声にダーテは足がすくんだ。

 だが、一歩、また一歩と決して越えてはならないと大人たちから言われ、そして自身もまたそう言われずともこれは立ち入ってはならない領域だと感じていたその森と平地という境界線を越えると、一気に走り出した。


「ミア! ミア! ガラゴ! ガラゴ!」


 ミアの名を呼び、また自身の名前を叫び、来たことを伝えようとするガラゴ。

 しかし、少女の姿を、声を聞くことはなかった。


 そして朝になった。侵略者に対する一族の奇襲作戦は一応の成功を収め、ガラゴはかつては森だったその切り開かれた平原、灰と化したテントを見て歩いた。


「ミア……ミア……」


 多分、父親と一緒に逃げることができたんだ。そうに決まっている。

 ガラゴは自分にそう言い聞かせ続けた。

 ガラゴは灰から、丁寧に並べられた死体に目を移した。数えずとも死者はこちらの方が多いことはわかっていた。 

 それでも我々は勝利した。奴らを追い払ったと豪語する大人たち。それが虚勢であることはガラゴはわかっていた。

 弱い。並べられた仲間の死体の横に膝をつき、泣く姿。あれが本当の自分たちなんだとそう思った。そして、泣くくらいならなぜ戦ったのか疑問に思った。話し合えないのだろうか。言葉だって時間をかければわかりあえるはずだ。ミアと自分のように。

 そう考え、ふと本当に通じ合っていたのだろうか、とガラゴは思った。

 

 が、そう長くは考えなかった。考えられなかった。

 積み上げられた連中の死体の山の前でガラゴは膝をついた。

 そして、地面につけた耳が肌が振動を捉えた。

 大群。遠くからこちらに迫る。そんな地響きを。


 

 少女と怪物。

 外国人と原住民。

 雄叫びと悲鳴。

 肉と槍。

 銃弾と肉。 


 交わる、交わらない、交わる、交わらない。

 花占いのように、足下に残されたのは無残に散ったものばかり。

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