4。
「眠い……」
指定された受講番号どおりの座席へと向かう。目の前には無機質な白いコンクリート製の壁と、講義用の壇上とスクリーン。100人に満たない分の簡易用の白テーブルと椅子が並べられている。
俺は、雨上がりの幾つかの窓辺の光を眩しく想い、ひとり呟いてから席についた。
ここから、夕方5時くらいまで途中の小休憩と昼休憩を幾つか挟みつつ、俺の大事な休日の時間が終わってゆくのだ。社外研修とは言え、休日を研修に当てるのはやめて欲しい。
まだ開講時間ではないが、研修先の事務員からの説明とかうんぬんの話を聞く。雨は上がっているが、何人かの受講生が電車で遅延するとも聞いた。運の良かった俺は遅延せずに済んだようだ。別に遅延しても良かったのだが。
「えー。大阪方面から来る電車で途中、人身事故がありました。今朝の雨の影響もあり、かなり遅れている様子です」
俺とは反対方面の列車だ。室内が少しザワついた。
雨の日の混み合う時間帯では、何度か昔、俺も列車の中で人身事故により足止めを食わせられた事がある。
今は雨が上がっているものの、憂鬱な月曜日の朝と雨が重なる時間帯には、こう言った出来事に多く遭遇するようにも想える。
もしかしたら──、とは自分のことのように置き換えて想うが、列車での人身事故は遺族が負担する賠償額もウン千万円とも聞く。それに、闇バイトしてたオッチャンから、線路沿いに散らばる肉片やら骨片なんかを延々、つぶさに拾い上げねばならない作業をしたとも聞いた。
まあ、苦しみの渦中の中では死ぬことで頭が一杯だろう。それとも、遺族への恨みなんかもあったかも知れない。けれども、その死ぬ間際の痛みと恐怖を想うと、俺は震え上がる。空は雲間から朝日を覗かせ始めたと言うのに。
「ハァ……。やるせないよね、人の世は」
受講番号の席が窓辺だった俺は、もう一度、窓辺から見える空を頬杖ついて見上げた。
また、雲行きが怪しくなって風が吹き抜け、雨がパラつき始めたようだ。感染症対策に、開け放たれた俺の座席が寒い。眠たかったが、人身事故の話と寒さのせいで、少し目が覚めた。
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午前中の講義が終わる。座学だったので、ほとんど寝ていた気がする。顔は伏せ、腕組みしながら机の上の資料に視線を落とし、目を閉じて舟をこいでいたので悟られてはいないだろう。甘いか。俺も政治家も似たようなもんだ。いつも通りだ。
「さてさて。タバコとラーメン、と」
自分のことを完全にオッサンだな──と、想う。とは言え、二十歳そこそこなんだと自分に言い聞かせる。気持ちとしては。
脱いでいた背広に腕を通しながら席を立つ。ザワザワとした室内には、残ってお弁当を食べる者と、外に出掛ける者とに二分されている様子だ。
俺は足早に、徒歩で二分のタバコ屋を目指す。そこが、この辺で唯一の喫煙スペースだからだ。相変わらず、雨はパラつく程度だったので、傘も持たずに歩いた。まあまあ遠い。
「ふー。想えば遠くへ来たもんだ、と」
いや、近い。バスと電車で2時間も掛かっていない。
タバコ屋の軒先の古びてガタガタの細い木製の長椅子に腰掛けて、雨空を見上げた。
カートンからタバコを取り出し、口に咥えてから火をつける。いつもの動作。
けれども、周りには研修先で見かけた人たちが誰も居ない。時代だろうか。今のご時世、禁煙ブームもあってか寂しいもんだ。タバコの煙が空へと昇り、消えてゆく。
特に研修先で出会いなんてもんがあろうはずも無く、時間は重く空を漂う雲の流れとともに過ぎ去る。
タバコを吸い終えた俺は、ラーメン屋へと急ぐ。もしも、混み合っていたならば、次の講義開始時刻まで間に合わない。喫煙後に早歩きとは少々キツい。
それから、5分ほど歩いて例の『もっこすラーメン』に辿り着く。幸い、直ぐ店に入れた。
入り口の券売機で、定番の『もっこすラーメン』を単品で購入した。700円近くもしたが、まあ良いだろう。今日は特別だ。この街に来ることなんて滅多に無い訳だし。
「さーて、さて。ネギ大盛りに、ニンニク大盛りっと」
カウンターテーブルの座席に着くと、早々と『もっこすラーメン』が出て来た。流石のスピードだ。味も裏切らないだろう。
面識のある人たちに会う予定の無い俺は、ここぞとばかりに無料のトッピングを盛りに盛って楽しむ。
(人生なんて、ひとり遊びみたいなもんだ……)
複数のプレイヤーたちには、否が応でもこの現実世界で会わねばならないが、トドノツマリは、バーチャルやゲームの中の世界とさほど変わらない。
違うのは、あまりにもこの現実世界がハードル高過ぎて、激ムズ&クソゲーなだけだ。
それでも、頭の良いヤツらや幸運に恵まれたヤツらは、天国を貪る方法を知っている。攻略法は誰にも教えられない。もっぱら、秘密なのだ。そう言ったことは、他人に言うと幸運が逃げるとでも言うのだろうか。
「くだらねぇ……」
そう言ってから俺は、ラーメンの汁をすすり、口いっぱいにラーメンとトッピングされたニンニクとネギとを頬張る。
「やはり、うめぇ……」
捻くれて、荒んだ俺の心に沁みる味。
俺が、卑屈でなけりゃあ、もう少し人生も上手く行ったかもなんて、ラーメンを頬張りながら想う。
研修先のこの街に来て、最も良かったと想えた瞬間だった。