6。
透明のビニール傘の上を流れ落ちる大量の雨粒。
曇天の暗がりの空の下、私の足もとから雨が流れる黒いアスファルトの歩道。
もうすぐ、その目の前には、彼の働く三階建ての老人ホームが道沿いに立っている。思ってたよりも小規模だけれども、私の胸には重くのしかかった。
「帰ろっかな……。やっぱり」
会えたとしても、自信がない。いや、会えるかどうかも自信がない。何の自信がないかって、自分に聞いても分からないくらい自信ない。それは──、
何かが変わる怖さ。何も変わらない怖さ。
勇気を出して、ここまで来た。
雨粒が激し過ぎて、濡れないようにはしてたけど──彼に渡す手紙と贈り物以外は、風もあって凌げないほど濡れて……。いや、もしかしたら、それも……。
弱々しく立ち止まった私の足もとに、雨水が側溝へと流れていく。躊躇う私の気持ちを他所に、雨は降り止まない。
心臓が激しく高鳴る。濡れた洋服の胸の前で、右手を強く握りしめた。立っていられないほど緊張する。
「神様──……」
まるで、増水した川の流れに揺られるように、私の鼓動の動きがアスファルトの雨の歩道を波打たせる。だけど、例え晴れてたとしても、真っ直ぐには歩けなかったのかも知れない。
運命がウネる時──、空間は白く歪む。まるで、時間が止まったかのように。ゆっくりと視界を奪う。泣いてもいないのに、雨のせいなのか、視界がボヤケる……。
◇
(──イィィーン……。ガチャン)
立ってた。
透明に両側へと開く自動ドア。彼の勤め先の老人ホームの正面玄関。少し雨に濡れた灰色の四角いタイルに、職員の足跡が幾つかついてた。傘を折り畳む。入り口の屋根が雨を弾いてた。風が強くて、雨粒が少し肌にかかる。
あんなに、空間が歪むような足どりの重さを感じていたのに。降りしきる雨に、足もとのヒールが、おぼつかなかったのに。
入り口の案内窓口と、事務所が一体になっている。どことも似たような中の風景。
奥から、綺麗めの若い女の人が出て来た。年は、私と近い感じ。
口角を上げて、つくり笑顔。負けてない。雨に濡れた格好と前髪は、気にする余裕が無かった。
「──はい……」
「あ、神戸○○介護支援事業所で介護支援専門員してます、高嶺と申します。いつもお世話になっております。先月、研修でお世話になった間中さんにお礼とご挨拶を兼ねて参りました。あらかじめ、お電話での面会予約が出来てなくて、申し訳ないです。間中さんは、いらっしゃいますか?」
「あ、間中ですね。少々、お待ちください」
心臓が口から飛び出そうだった。けど、平静を装い、ニコリと笑う。
事務員と思われる女性は、一つ括りにした髪の毛を背中に揺らして、電話口の内線で取り次ぎをしている。
小じんまりとした事務所内。受付窓口の上に設置された水槽。熱帯魚がネオンに照らされて、水槽の角から身を翻して泳いでいた。私を見た気がした。
半分、嘘だった。
何を話すか考えてはいたものの、頭の中は、真っ白。
けど、良くもまぁ、自分でも驚くほど言葉が出て来た。なんとか取り繕えた。
先月、研修でお世話になったと言うのは、嘘。
だけど、受診先のクリニックからの帰り道、あの日、たまたま研修があったのは本当。
休職していなければ、私も参加していたはずだった。彼は、あの日、研修を終えた帰りに私の事故に遭遇した。だから、半分、本当。そして、お世話になったと言う事実だけは──、正真正銘の真実。
きっと、会えば分かると想った。




