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かぐやと僕と本の箱庭  作者: taiyo
プロローグ
3/4

プロローグ(3)


「ただいまー。」

玄関中に、自分の声が響きわたる。

でも返ってくる声は無かった。いつもは、義母さんの声が返ってくるのに。


もう、あの人を嫌いたくないと思っていた。

悪あがきはやめよう、そうした方が、お父さんも、お母さんも、幸せなんだ。

お母さんが亡くなって2年たった。そろそろ受け入れた方が良い。

義弟が産まれた。兄になった。僕はその子の、家族になってやらなきゃいけない。


義母はとても良い人だった。僕の勝手な予測は外れていた。

父親はきっと、あの人となら幸せになれると思って、再婚したのだろう。

そういうのを、ちゃんと考えている人だ……僕がその幸せの邪魔をしてしまった。

身近の、いろんな人を傷つけた。凄く弱かった。弱すぎた。

せめて今からでも、家族になりたい。


「……なのに、どうしたんだろう?かいものにでもいってるのかな。」


取り敢えず靴を脱いで、リビングに行く。

部屋の中はシーンとしていて、僕の足音ばかりが響いていた。

カチリと電気をつけると、薄暗かった部屋が明るくなった。カーテンが全部しまっていた。

カーテンを開くと、空がどんよりとした灰色で覆われていた。この感じじゃあ、もう少しで雨が降り出すだろう。

扉の方に戻ろうとすると、キュ、キュ、と、磨かれた床が鳴った。そう言えば、あの人は毎日綺麗に家を掃除していた。きっと家庭的な人だったのだろう。我が儘な僕にだって、毎日食事を出してくれた。


「おぎゃあああああぁあ゛あ、ゔぁあ゛ぁぁああああああああああっっぁあ!」

「うあっ!」


二階から、赤ん坊が泣いている声が聞こえた。きっと弟だろう、どうしたのかな。

静まり返った部屋の中で、赤ん坊の泣き声だけが嫌に響いて、僕の耳の奥の方で、ぐわん、ぐわんと変に眩暈を誘った。

きいん、と音がしたと思ったら、僕は自然とそちらに足を向けていた。涙が出そうだ、と思った。


キシッと階段が音を鳴らした。どうしてだろう、こんな音、泣き声でかき消されても良いだろうに。

無駄に響いている階段の音よりも早く、心臓がガンガンと僕をゆすぶる。なんだろう、予感がするんだ。この階段を上っても良いのかと、誰かが聞いているような、そんな気もする。

どうしてだろう、そんな声が、煩わしい。


足を止めることはできなかった。それどころか、僕は階段を上るスピードを上げた。

タタタタッと、たどり着いた廊下の床を、勢いよく蹴った。

学校と比べたら、全然長くも無いはずの廊下が、今まで無いほど長く感じられた。

どうしたんだろう。すごくすごく、なんだろう。


何時の間にか、僕は唇をかみしめていた。これじゃあ、一言だって言葉を発することができない。

服がじわじわと濡れた。さっきの雲を思い出して、ああ、もう雨が降り始めたのかなぁ、と、変な事を考えた。

目の前には、何の雨粒も見えなかった。ただ何故か、下睫毛に塩水が乗っかっていた。


僕はその勢いのまま、子供部屋の扉を開いた。


煩いほど耳の奥で響いていた弟の泣き声が、その瞬間に止んだ。

泣き疲れたのかな、とか、寝ちゃったかな、とか、赤ん坊と言うのは、あんなにも大きな声で泣くんだな、とか、一通りの事を考えて、ただ、その目の前にある、壁を見つめた。


「……待ってた、ホタル。」


見たくなかった方向から、声がした。落ち着いた声だった。

僕は瞳だけを動かした。そのせいで、焦点はよく合わなかった。ただ、風にたなびいているカーテンの隙間から、鈍く光が零れているのが見えた。

間違っても、体を動かそうとは思わなかった。足の裏が、その慣れ親しんでいた床に、縫い付けられているかのようだった。


「……この歪な世界を、何時か壊したいと思ってた。ふざけんな、何台無しにしてくれてるんだよって。」


僕の顔を見て、何を血迷ったか、何故だか「安心しろ、お前の事じゃねえから。」と言った。

でも僕は確か、彼の世界を歪めた気がする。


どうも、見覚えのある顔だった。

何度も何度も見てきた顔だった。

転校生の彼のように、気のせいだと思えない顔だった。

つい数分前も眺めた顔だった。

彼はまるで何時もの世間話でもするように、少しだけ高圧的な顔で、確かに、笑っていた。


「ぐちゃぐちゃにしてやりたいと思った。全部なかったことにしてやりたかった。このめちゃくちゃな世界で、正しい事をしたいと思ってやったんだ。今だって、これで合ってたんだって、勝手に思ってる。」


彼が右手に持つ包丁から、鮮やかな赤が零れた。

それ以外にいつもと違うのは、その顔がどうにも赤色の何かで濡れていることだった。

そう言えば、この部屋中を染めている赤色と似てると思った。

目の前は全て、赤かった。何時起きたのか、弟の泣き声が開かれた窓から出ているように思えて、近所迷惑かな、と思った。バタバタと音を立てている、五月蠅いカーテンさえ、赤色だった。雨が降ってる筈なのに、そこから零れる光さえ赤いように思えた。

さっき僕が踏みしめた床も、雨でびちゃびちゃに濡れていた。なのに赤かった。

天井から、ポタリと落ちた雨粒が、僕の頬を滑った。それを指で受け止めたら、赤かった。


真っ赤っ赤。まっかっか。


「ヵ゛、……タ、、ヅ、く、」

上手く、彼の名を口にすることが出来なかった。

のどがカラカラに乾いて、掠れていた。さっきリビングにいて、冷蔵庫が近かったのだから、麦茶を飲んで来ればよかったな、と思った。


「何から壊そうかな、と思ったんだ。そこで、お前が義母を苦手にしていることを思い出した。幼馴染だし、助けてやろうか……お前は弟が産まれるのを楽しみにしているようだった。だから、それまで待った。」


水を求めているからか知らないが、目尻から水が零れた。

それはこの部屋では珍しい事に、赤くなかった。だけど、さっきの雨と混じったのか、少しだけその色が濁ったのが分かった。

頬を伝っていったそれが、唇の隙間から口内に入っていった。僕は、ゴクリと喉を鳴らした。

唇が震えた。指の感覚が少しだけ無くなった。耳がキーンと鳴って、痛かった。


「病院で殺してやろうと思ったけど、俺にはまだ人に被害を浴びせる毒の知識も、害のある成分も、どうやって投薬してやるかもよく分からない。それに病院だったら、生き残る確率だってある……だから、俺はこの女が退院したらと思って、また待った。」


床から、足がはがれた。

僕はふらりと彼の方を向いた。

鮮やかな赤色の壁に、背中をつけた。

ごん、と音がなって、頭までぶつけていることに気が付いた。

シャツが何かで、じわと濡れた。さっきの雨とは、また違ったものだった。


「そんで俺は、最近更新したばかりの、新しい日常を過ごした。小学校一年生、そんな年齢で壊したいとか、幼児にでも戻ったか、それとも、早すぎる重い厨二病か……滑稽だけど、でも、どちらでも良いって思ったんだ。だから、俺はそれをぶっ壊した後、お前を待った。こういうのって、伝えた方が良いと思ったんだ。」


彼は笑っていた。

でも僕は、それを普通だと思った。そう言う物だと思った。全然そう言う物じゃないけれど。


「こういう、ぶっ壊しちまったこと、お前には伝えた方が良いと思ったんだ。」


そう言い直した彼の足元で、雨に濡れた義母が、苦しそうな顔で固まっていた。

元から白かったその肌は、もっともっと青白かった。

仲良くなりたかった、と思った。

何でこうなったんだろう、とも思った。

でも、それより僕は、彼の事が気になってしまった。

だって、彼は言い訳していた。

だって、彼は本当は、さっき僕と話まで、殺すのが怖かった。

だって、僕が壊したかも、しれなかった。


「……タツくん、うめよう。」


喉はもう、乾いていなかった。

ただ、そんな自分に自己嫌悪が止まらなかった。

壁は赤色に染められていたけれど、まだ固まりはしていない。すぐに拭いたら、きっと取れるだろう。

……僕は最悪のタイミングで、今の彼を受け入れた。


僕は義母の足を持った。僕の家は、高い塀で囲われているし、この時間は人通りが少ない。隣はタツ君の家で、両親は何時もいないと聞いている。もう片側は空地だ。庭側ならきっと、誰にも見られないで済む。

彼も義母の背中を持った。持ち上げると、思っていたより軽かった。そう言えば足も細く、痩せていた。きっと、ストレスを抱えていたのだろう。僕より弱かったのかもしれない。


トン、トン、と階段を下りた。不思議と、さっきより音は響かない。どこか、別の世界で起こっているかのようだった。

そっと義母を床に置いて、家の中にある方の倉庫から、大きめのスコップを取り出した。

大人が持つようなもので、少し重かった。

庭の端の方に生える、木の近くを掘った。ここなら掘っても、あまり気づかれない。

タツ君はただ黙って、地面を掘った。だから僕も、黙って義母を埋めた。


僕はそこで初めて、今空が晴れていることに気が付いた。雨なんぞ降っていなかった。さっき教室で見たのと変わらない位、真っ青に、晴れ渡った、空。


本当に馬鹿だったと思う。

殺された義母でなく、殺した幼馴染を取ったのだ。

確かに、彼の方が長い時間を共に過ごしてきた。

確かに、僕は彼の人生を少しだけ台無しにした。

だけどあの時は絶対に、義母を想わなければならなかったのに。

でも今僕は、こうやって。


「よく、みえないや。」


目の前がぼやけて、焦点が合わなかった。夢の中みたいだった。

タツ君が、お前、コンタクトしなよ、と言った。

それもそうだな、と思った。


そして、ぴう、と、目の端らへんを風が通り過ぎて行くから、思わずぎゅっと目をつぶった。


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